吉村 暢基
(全国大学生協連学生委員会/立命館大学 卒)
自分は、大学で『沖縄県における米軍基地問題』について卒業研究をしていた。今日は少し、自分の研究テーマから平和について考えていこうと思う。
いきなりですが、皆さんは現在沖縄県でなにが起こっているのかを知っているだろうか?
現在、日本の国土面積の0.6%しかない中で、70%以上の基地が沖縄県に集中している。米軍基地の多くは、街の中心にあるため沖縄県の人たちにとって暮らしやすい街づくりをしていくことが難しい。また、米軍機による事故や騒音問題もある。
もともと、戦後も飛行場を米軍が基地として使用することは想定していた。しかし、1947年から1949年にかけて、多くの場所から基地を撤退させた。1945年以降、海軍は多くの基地を閉鎖し、1949年にはわずかな基地を残していた。そこでは、基地の返還を考えていたが、1950年には、グローバルに拡大のために、再び基地を拡大した。それによって現在のように基地が拡大されている。
現在の沖縄県における米軍問題は多く存在する。例を挙げると、普天間飛行場(図1)の問題である。普天間基地は「世界一危険な飛行場」と言われている。その理由は、クリアゾーンにある。クリアゾーンとは、米軍機の離着陸の安全確保と住民を危険から遠ざけるために土地の利用を禁止した区域であり、滑走路両端から900メートルの線を軸にした幅約450~690メートルの台形状の緩衝地帯だ。(図2)しかし、実際、普天間飛行場の周辺には、小学校や公民館など多くの公共施設があり、十分にクリアゾーンを確保できていない。つまり、その周辺に住む人は、安全を確保されておらず、常に危険と隣り合わせになっている。
さて、今回ここまで沖縄県の基地問題を書いてきたが、基地問題を解決するために論じているわけではない。あくまでも、日本における平和をめぐる諸問題の一つにしか過ぎないのである。
図1:普天間飛行場とクリアゾーン内の住宅街『出典:2017年8月現地にて撮影』
図2:クリアゾーンの範囲『出典:しんぶん赤旗の記事より』
では、ここで何を述べていきたのか。それは、沖縄県以外の人々がどのように考えていくのかということである。日本のいたるところに基地はあるが、現在沖縄県の人々は危険と隣り合わせの中、基地と共存して生活している。その中で私たちは、沖縄県における米軍基地問題を考えたことはあるだろうか。基地問題を考えるのは、そこに居住している人だけの問題なのか。自分の生活する範囲にこのような問題がなければ考える必要ないのか。そんなことはない。
自分は関係ないと思うのではなく、同じ日本に暮らす一人の若者として、このような諸問題について考えていくことこそが「平和」を作っていくことになるのではないか。今回は沖縄県の基地問題を例に出したが、どんな問題でも無関心になるのではなく、しっかり考えて意見を持ち、意思表示していくことこそがこれからの若者に求められていくと思う。
<https://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-06-25/2012062501_01_1.html
(2020年5月8日最終閲覧)>
【参考文献】