NPT再検討会議レポート vol.10

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5/1に行われたNPT再検討会議のNGOセッションの日本被団協 濱住事務局長のスピーチを聞いてほしいです。

01.NPT再検討会議 NGOセッションの様子

5/1に行われた会議場での32のNGOが連続してスピーチを行うセッションは、
UN Web TV:https://webtv.un.org/en/asset/k1j/k1j1ujhf1c にてアーカイブを見ることができます。
 

日本被団協 濱住事務局長 のスピーチ全文

 
日本被団協 濱住事務局長
(UN WebTVより引用)
NGOセッションのトップバッターとして登壇した
日本被団協 濱住事務局長

議長、ならびに各国代表のみなさん、被爆者を代表して発言の機会をいただき感謝します。

私は、広島の胎内被爆者です。1945年8月6日、広島に原爆が投下された時、私は母のお腹の中で3カ月の胎児でした。父は爆心地近くの会社にでかけていました。爆心地から4kmの我が家には市内にいた親族が避難してきて、その日から30人が一緒に暮らす生活が始まりました。しかし、父親だけが帰ってきませんでした。母と姉たちが捜しに出かけましたが、持ち帰ったのは父のベルトのバックル、鍵束、財布の金具の3つでした。我が家では避難者が次々に亡くなりました。町は避難者でいっぱいになり、死体が学校の校庭で毎日4,5体ずつ1カ月半も焼かれました。被爆者は人間として死ぬことも生きることもできませんでした。

父の死と引き換えに生かされた私は、父のことを思わない日はありません。戦争は終わっていません。いまだに世界に12,000発もの核兵器が存在しているからです。ゼロにならなければ安心できないのです。80年前の原爆投下は、いまも被爆者のからだ、くらし、こころに影響を与えています。原爆は人間と共存できない、悪魔の兵器です。しかし被爆者は、人間として生きるために原爆に抗って生きてきました。今、国連のロビーで開催している原爆展をぜひご覧ください。

1956年8月10日に結成した日本被団協は、結成宣言「世界への挨拶」で「自らを救うととともに、私たちの体験をとおして人類の危機を救おう」と誓いました。それから70年、誓いを貫き、「ふたたび被爆者をつくるな」と国の内外で訴えつづけてきました。

NPTは、発効から56年。2000年の再検討会議で皆さんが約束し、2010年に再確認した「保有核兵器の完全な廃棄を達成するとの核兵器国による明確な約束」をすみやかに実行してください。1982年、第2回国連軍縮特別総会。総会議場で長崎の被爆者、山口仙二さんが壇上で訴えました。ノーモア·ヒロシマ、ノーモア·ナガサキ、ノーモア·ウォー、ノーモア·ヒバクシャ!

戦争をしたから核兵器が使われたのです。戦争はしてはいけないのです。核兵器も戦争もない世界の人間社会にむけ、ともに力を尽くしましょう。ありがとうございました。

 
続けて、原水協、広島市の松井一實市長、長崎市の鈴木史朗市長、広島県の横田美香知事、長崎県の馬場裕子副知事、らもスピーチを行いました。後半には、Vol.7で紹介したRinor氏も登壇していました。
 

02.国連の常設展示

国連の理事会議場の建物の3Fには核不拡散・軍縮などをテーマとした15分程度で回れる規模の常設展示がありました。
浦上天主堂の被爆像や溶けた缶や瓶の展示はありましたが、核爆発により死傷者が出たことを直接的に表現する展示はほぼありませんでした。国連ツアー参加者が訪れる場所で、子供たちも見に来るから直接描写を控えているようです。
より一層の工夫と充実を期待したいと思います。
 
  • 国連の常設展示

    左から大きさで下記金額を表す図
    •世界中の軍事支出
    •政府開発援助(ODA)
    •国連予算
    •軍縮・核不拡散機関(IAEA/OPCW/CTBTO/UNODA)の資金計

  • 国連の常設展示

    UNODAによる軍縮ポスター

   

PDF版のレポートは以下よりご覧いただけます。

Vol10_『NPT再検討会議』生協代表団派遣_全国大学生協連レポート.pdf