学長・総長インタビュー

東京経済大学

岡本 英男 学長

コロナ禍に挑む大学改革

学生はもちろん、大学自体にも、自主自立の精神を求めたい。

米山 学長として3年目をお迎えになられたわけですが、最近の日本の大学について、また教員、学生についていかがお考えでしょうか

岡本 本学の教員の間でもたまに見受けられるのですが、最近は学生を「この子たち」と呼ぶことがあります。また自分たちのことを「私たち生徒は」と書く学生もいます。私のメンタリティからすると、こうした風潮には少なからず違和感を抱いています。大学教育においては、やはり学生一人一人に「自主自立の精神」を養うことが重要であると考えているからです。特に学問を究めていく上では、たとえ師弟であっても対等に渡り合い、深めていく関係が必要です。本学だけでなく、現在の大学教育の現場には、そんな緊張感が少し足りないのでは、と感じています。

米山 学生を一人の自立した存在として意識し、対峙していく、ということですね。学びという意味では、ディプロマポリシーやカリキュラムポリシーなどがきちんと整備され、大学で学ぶべきこと、大学としてどのような人材を輩出していくかが明確に宣されています。

岡本 おっしゃる通りですが、実際には4年制大学でありながら、4年生になれば就職活動に明け暮れて、本格的な学問をする機会も失われてしまう。大学の学びをするのは、実質的に3年生までということになってしまっています。
 実学を標榜する本学においては、産業界の声をまったく無視することはできません。しかし、産業界の声があまりにも強くなりすぎると、大学そのものの自主性も失われてしまうのでは、と危惧しています。

米山 確かに、学生は3年生の後半あたりから、何となく浮足立ってきますよね。

岡本 そうしたところが少しでも改善されれば、日本の大学はもっと可能性が持てるようになると思います。学生たちは講義にもちゃんと出席するし、よく勉強もするけれど、立ち止まって自分でものを考えたり、試行錯誤を経験する時間がない。じっくりと本を読む余裕すらないのです。日本人自体、時間がかかることを敬遠する傾向があるようにも感じます。世の中は、無内容なワンフレーズポリティックスばかり。大学、そして学問というのは、それとは正反対のところに位置するものだと思うし、そうならなくてはいけないと思っています。

「進一層」の気概を持ち、「責任と信用」を重んじること。

米山 先生に以前薦められた島田潤一郎さんの『古くてあたらしい仕事』という本を読ませていただきました。たった一人で全てやる、 小さいからこそできることにこだわる、ひとり出版社「夏葉社」を立ち上げた人物の10 年を描いた本ですけど、こういう人材を育てるのもある意味大学の役目ではないか、と思いました。

岡本 ありがとうございます。一見、主流ではないように思うかもしれないけれど、一人一人感じ方は違っていい。中にはああいう生き方もあるんだと、共感することが重要なのです。大学は教員と学生が、先輩や後輩と出会い、互いに認め、高め合う場所です。まさにダイバーシティ&インクルージョンが最も価値あるものとして認められなくてはいけない場所だと思うのです。

米山 高い包摂性をもって、多様な人材を生み出していくことが大学としての使命でもある、ということですね。

岡本 大学にとっても、教員にとっても、研究が大変重要です。大学が他の教育機関と異なるのは、研究をしながら学生を育てる点にあります。イノベーティブな研究は、一足飛びにできるものではありません。本学の創立者・大倉喜八郎は、学生たちに、“ 困難に出合ってもひるまずに、なお一層前に進む” という「進一層(Forward Forever)」の気概を持つこと、そして「責任と信用(Be Honest and Responsible Citizens)」を重んじることを求めました。「進一層」とは、まさにフロンティア精神であり、イノベーティブな研究には欠くべからざるものです。また、一方で、学生たちには単なる生活者や経済人ではなく、共同体に責任を持つ、共同体全体を考える政治的に成熟した市民を目指してほしい、との思いがあります。利己主義ではなく利他主義を持って、他者のことにもちゃんと思いを至らせ、配慮ができる。これはまさに今注目されているSDG sの理念に通じるものであり、教員にも、学生にも、現代における「責任と信用」とは何かを常に問い続けてほしいと思います。

「大学らしい大学」を目指して、進むことをやめない覚悟が肝要。

米山 本学は今年創立120周年を迎えましたが、同時に新型コロナウイルスの感染拡大による大変な危機を経験する年になってしまいました。

岡本 大学というのは基本的に若者が集い、その中で何かを経験し、生み出しながら成長していくところではないでしょうか。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大によって、その全てが禁止された状態になってしまった。大学では具体的な取り組みとして、全ての講義をオンラインで実施することになりました。こうした事態に対して、「講義はいつでも繰り返し見ることができるし、満員電車に長時間揺られることもない。何より、自分で時間をコントロールできるのがいい」という学生がいる一方、「大学は始まったけれども、誰にも会えず、友達もできない。オンラインで講義は受けられるけれど、これは本来享受できる大学教育なのか」という否定的な学生もいます。

米山 授業料の返還を求めたい、という学生がいても不思議ではありませんし、それも真実です。

岡本 そうした中で、本学では可能な限り、その両方の思いを満たすべく対策していこうと。基本はオンライン講義ですが、一部分散して行えるような講義は集まって実施。ゼミは基本的に対面ながら、一部オンラインで補完するなどの方針を固めました。教育の質を落とすことなく、「オンラインによる講義は、本来の大学の学びではない」と考えている学生に対して、人間的な触れ合いが感じられる学びをいかに提供していくことができるか。今、コロナ禍において大学が問われている課題ではないか、と思っています。そして、その解決のためには、大学も組織として学習し、「大学らしい大学」を目指して成長していく必要があると考えています。

よりよい学びの場をつくるため、大学生協との協働体制を積極的に。

米山 学生たちの、こころとからだのケアという面ではどうでしょうか?

岡本 実は本学の学生相談室は、設置されてからすでに50余年を経過しています。もちろん、最初から順風満帆ではなく、紆余曲折を経て現在に至るわけですが、本学の学生相談室の充実ぶりは他大学と比しても著しいものがあります。専任の臨床心理士、カウンセラー、精神科医、相談員…が親身に対応し、この度のコロナ禍においても、大学の中のセーフティネットとして、その力を存分に発揮してくれました。

米山 また、東経大ではこの春新入生の必修科目の教科書を全額大学負担、また教科書注文の送料も全て大学が負担することで、コロナ禍における学生たちの「学び」を支援してこられました。大学生協も発送にあたって、新入生へのメッセージを添えるなど、独自のサポートをしてまいりました。大学にとって、大学生協とは、どのような存在であると思われますか。

岡本 大学生協のようなノンプロフィットな組織は、一つの安心を提供する、市民社会の中でも大切な存在だと思っています。昔、東北大学の川内キャンパスで過ごしていた頃は、研究に没頭していたこともあり、朝・昼・晩と大学生協の食堂で食べ、必要なものは全て大学生協の売店で賄っていました。そういう意味では、学生はもちろん、教職員にとっても、いざという時になくなってしまっては困る、不可欠なものといえます。しかも、一人一人にメッセージを送り、寄り添う姿勢。売買活動の中にどれだけ人間性を盛り込むか。それは、アマゾンには到底望めないことです。

米山 最後に、お聞かせください。考えてみれば、大学と大学生協の目的は、一致していると思います。だからこそ、もっと互いに協力できることがあるのではないか、と思うのですが…。

岡本 大学生協には、学生委員という形で、学生たちも多く参加しています。つまり、サークルや学園祭活動などと同じように、通常のカリキュラムでは得られない学びがそこにはあります。そういう意味では、大学と一体となった組織として、ともに大学生協を育てるという意識が重要だと思っています。学生たちにとってよりよい学びの場をつくるためにも、私も積極的に協力させていただくつもりです。

米山 本日は、ありがとうございました。

(編集部)