学長・総長インタビュー

一般社団法人 国立大学協会

永田 恭介 会長

コロナ後の未来へ、国立大学の使命

大学というかけがえのないディメンション(時空間)。

生源寺 新型コロナウイルスの感染拡大が、わが国の経済・社会活動に大きな被害を与え始めて約2年が経過しました。私たち大学生協ではアンケートやグループヒアリングなどを通じて、今回のパンデミックによる学生への影響を『コロナ2年目の大学生活』としてまとめています。この中で明らかになったのは、「暮らしの危機」「学びの危機」「コミュニティーの危機」という三つの危機の存在です。永田先生が会長を務めておられる国立大学協会においても、文部科学省をはじめとする関係方面に対して、新型コロナウイルスの感染対応に関する実に多くの緊急要望を出されたとお聞きしています。そこで、現状に対する永田先生のご認識をお聞かせいただけないでしょうか。

永田 私たち大学関係者が最初に考えるべきは、やはり実際に大学に通う学生や保護者の方々のことです。三つの危機とおっしゃいましたが、そういう意味で「暮らしの危機」に対して有効な対策を講じることが急務だと思いました。世帯収入の減少によって大学生活の維持が難しくなった学生への学費支援、アルバイトが減った学生への給付金の支給、奨学金返済の延長などさまざまな要望を出してきましたが、これらについては本当によく対応してくださったと思います。
次に「学びの危機」についてですが、この間、文部科学省からさまざまな要請がありました。オンライン授業の実施を促進する一方で、学生の要望を受ける形で対面授業をもっと増やすように要請してきたり…。もちろん、どちらも必要な対策であり、一定の効果をもたらしましたが、もう少し各大学の事情に合わせてきめ細かな要請を出してくれたらよかったのではないでしょうか。一方で、オンラインのメリットや可能性に改めて気づいたのは、これからの学びを考える上で大きな収穫だったと思います。

生源寺 では、「コミュニティーの危機」については、いかがでしょう?授業の多くはオンラインで実施されるので、直接人と会うこともない。各種のイベントも軒並み中止され、カフェなどで気軽におしゃべりすることもできない。これによってもたらされる学生たちのメンタルヘルスへの影響は、決して無視することのできない深刻なものだと思います。

永田 おっしゃる通りで、コロナ禍を経験してコミュニケーションの大切さに多くの人が気づきました。だから私が学長を務める筑波大学でも、収容人数を制限したり、分散させるなど知恵を出し合い、学生がキャンパスに集うことのできる機会を徐々に増やしていきました。当初は対面授業の割合も4分の1くらいでしたが、こうした取り組みを進めることで学生たちの表情に明らかな変化が表れ始めました。先生、先輩、友だちに一目でも会って、互いに声を掛け合う。そんなささいなことが、彼らにとっては本当に必要なことだったのでしょう。
現在、オンライン上に独自のコミュニティープラットホームを構築する取り組みが、いくつかの大学で進められています。アクセスすれば、いつでも先生がいて、友だちがいて、声を聞くことができる。専門の先生方に意見をお聞きしても、学生のメンタルヘルスの改善にかなりの効果が見込める、とのことでした。大学とはコミュニケーションを図るための場所であり、かけがえのない時間を過ごす場所だと再認識しましたね。

受け入れることで育つ健全なエモーションと建設的なサイエンス。

生源寺 現代の若者たちはTwitterやFacebookなどのSNSでつながっているというのですが、大学生活におけるつながりというのは、それとは少し違うと思います。先ほどのコミュニティープラットホームのお話は、そういう意味で学生たちのメンタルヘルスの問題を解決する一つの糸口になると思いますが、いかがでしょう?

永田 遠すぎることもなく、近すぎることもない。自分にとって心地よい適度な距離感でつながっていたいと思っているのですね。しかも、ネットの世界にこもる機会が丸々2年も増えてしまったことで、そこに本当の意味での仮想空間を作ってしまっているのではないか、と思うのです。おそらく、彼らは1日に1000~2000ツイートくらいは見ているでしょう。そして、その世界にどっぷりと入り込んでいる。結果として、これが現実空間との間に大きな乖離を引き起こしていると考えられます。
メンタルヘルスの先生方とお話をさせていただくと、皆と会えない孤独や孤立といった問題がクローズアップされることが多いですね。しかし、自分たちだけの仮想空間に入り込んでしまうことによる弊害に着目してくださる方は、それほど多くありません。これは、学問的にも、臨床的にも、大変重要な視点ではないかと思います。

生源寺 同じ事柄に興味を抱く人々が集うSNSなどのコミュニティーの存在は、確かに大きなメリットを持つものと考えられます。一方で、自分たちの関心のあることにしか目が向かなくなったり、自分に同調する意見しか受け入れられなくなっていくことも、大きな問題になっています。こうした傾向が続くことで、結果的に本人が自覚することなく、ある種の刷り込みが行われていくことになってしまうわけですね。

永田 しかも、自分にとって不都合な反対の意見は見ない、聞かないということになると、そこには健全なエモーションも、建設的なサイエンスも育っていかなくなるのではないか、という危機感があります。

生源寺 サイエンスといえば、先生ご自身のご専門は、確かウイルス学でしたよね。専門家のお立場から、現在のコロナ禍についてどのようにお考えでいらっしゃいますか。

永田 何人かが感染し始めてから対処しようとしても絶対に間に合わないのが感染症の怖いところです。だからこそ、ワクチンを作るにしても、治療薬を作るにしても、何年も前からさまざまな研究や臨床を積み重ねていかなくてはいけないわけです。今回のパンデミックに対しては、それがきちんとできた国とそうでない国がはっきりと分かれてしまいましたね。もちろん、わが国はできなかった国の一つです。
確かに製薬会社にとってワクチンや治療薬は、感染症が流行しなければ利益を上げることができません。だからといって、いざという時の備えを怠っていれば今回のような憂き目に遭うわけです。無駄だと思われていても、批判的な意見を出されても、それを受け入れたうえでどうあるべきかを考え、判断できる人材を育てていくことが大学にとっての使命でもあります。

オンラインと対面ではなく、サイバーとフィジカルのハイブリッド。

生源寺 最近では、対面参加者全員が、ノートPCとヘッドセット(マイク付きイヤホンも可)を使用し、オンライン参加者とともに授業を受けるハイブリッド授業というものがあります。授業の規模や教室サイズの制約を考えずに済むことや、対面と遠隔の学生の学びの質に差が少ないことがメリットとされていますが、どのようにお考えですか?

永田 オンライン授業と対面授業を組み合わせたハイブリッド授業について、一般的にはおっしゃった通りだと思います。ただ、私の個人的な解釈を言わせていただければ、「オンライン」「対面」という言い方が、よくないのではないかと思っています。一つはオンラインではなくICTのサイバー空間であり、もう一つは対面ではなくフィジカル空間という考え方をしたほうがいいと思うのです。オンラインと対面という言葉は、同じステージで語られるものではないと思いますし、「意見交換ができる双方向性のこと」を全て対面と呼べばいいわけです。
感覚的には、私はフィジカル空間とサイバー空間のハイブリッドになればいいと思っています。教育という視点で考えた時に、自分たちの教えたいことにフィジカル空間がどれだけ寄与して、サイバー空間がどれだけ寄与するのか。既成の概念にとらわれることなく発想すれば、新たな可能性が見えてくるのではないでしょうか。

生源寺 少しずつ言葉の定義も明確にしながら、社会も、教育も、私たちの暮らしも変わっていかなくてはならない、ということですね。

永田 まだまだ一般社会の中では、私が申し上げていることなど通用しないかもしれません。「それはハイブリッドではありません」と言われたら、「ああ、そうですか」というしかない。でも、私の感覚から言えば、どうもしっくりこない。もっと考え方を柔軟にしていかないと。私が言うところのハイブリッドを実際に教育の場面で具現化できればわかりやすいですね。ぜひ、そうしていきたいと考えています。

強靭でインクルーシブな社会のために国立大学が担うべきこと。

生源寺 第5波が始まる少し前の6月21日、国立大学協会から「第4期中期目標期間へ向けた国立大学法人の在り方についてー強靭でインクルーシブな社会の実現に貢献するための18の提言ー」が発表されました。これは国に対して、改めて今後の国立大学の方向を宣したものと受け止めさせていただきましたが…。

永田 今回の提言には、二つの重要なメッセージが含まれています。最初のメッセージは、今まで持っていた国立大学としての機能を高めるのはもちろん、これからを見据えた新たな機能を増やしていくということです。そして、もう一つが、人類・社会に教育・研究をもって資する国立大学としての役割をより鮮明に打ち出していくということです。これらを一言で表現すれば、「wellbeing(幸福:心身と社会的な健康を意味する概念)」ということになるのだろうと思います。
国立大学は自らが有する多様な学術知や、これまでの「知の資産」を結集することで、SDGsの実現、グリーン・リカバリー、カーボンニュートラルの推進をはじめとする地球規模の課題を解決するとともに、災害や感染症等に対応する高度にレジリエントで持続可能な社会の構築にこれまで以上に貢献していかなくてはなりません。また、デジタル技術を駆使した教育・研究・社会貢献の機能強化を行うとともに、データ駆動型研究等の新たな研究手法を支える人工知能(AI)技術、ビッグデータ解析に長けた人材の育成等について、その中核としての役割を担っていくことが求められています。

生源寺 この提言の中では、東京一極集中から地方分散への流れを推進する観点からも国立大学のプレゼンスが語られています。

永田 申し上げるまでもなく、国立大学はわが国の47都道府県に満遍なくあります。だからこそ、地域で活躍する人材の育成や新たな産業の創出、地域文化の振興など地方創生の中心的な存在であることも国立大学が担うべき重要な役割なのです。そういう意味で地方自治体は、もっと国立大学に肩入れしていいと思うのです。例えば、ハーバード大学があるボストンは、イギリスからやってきた清教徒たちによって開かれたアメリカでも最も長い歴史を誇る都市の一つです。ハーバード大学も全米最古の大学として知られていますが、その創立は1636年、アメリカ合衆国の建国よりも140年も前のことだといいます。ハーバード大学の関係者が数百年前から言っていますけど、自分たちにとって一番大切なのはボストンだと。ボストンという町がなくなったら、ハーバード大学ですら価値がないのだと。それほどボストンという町とハーバード大学は、長い歴史の中で密接な関係を作り上げてきているわけです。
国立大学は知の循環と社会への還流を生み出すことで、これからのwithコロナ・afterコロナ時代の新たな価値を創造するとともに、社会基盤の構築を先導していきます。全国86校の国立大学が総力を結集すれば、きっとできると思っています。

生源寺 本が一冊できそうなくらい、たくさんのお話を伺うことができました。本日はどうもありがとうございました。