全国大学生協連の研究会報告

2017年度 大学生協 理事長・専務理事セミナー記念講演
「大学をとりまく危機とこれからの大学の在り方」

第2回「大学をとりまく危機、変化する時代に必要な能力」

全国大学生協連では、9月に「大学生協 理事長・専務理事セミナー」を開催し、大学をめぐる全国的状況と大学生協の課題について、講演や報告、分科会での討論を通じて、さまざまな意見交換、情報交流を行っております。

2017年は、法政大学総長の田中優子先生にご講演いただき、大学進学とその社会的効果、世界と日本の変化、大学をとりまく危機、変化する時代に必要な能力、なぜ大学はグローバル化するのか、法政大学の長期ビジョンなどについてお話しいただきました。

大学生協の理事長・専務理事にとどまらず、学長先生をはじめ広く大学関係者の皆さまにも知っていただきたく、前回より連載として今回2回目を掲載いたします。皆さま方のご参考になれば幸いです。


法政大学
田中 優子総長 YUKO TANAKA

1952年生まれ 神奈川県出身
1974年 法政大学文学部卒業
1977年 法政大学大学院人文科学研究科修士課程修了
1980年  法政大学大学院人文科学研究科博士課程
     単位取得満期退学
     法政大学第一教養部専任講師
1983年 法政大学第一教養部助教授
1991年 法政大学第一教養部教授
2003年 法政大学社会学部教授
2012年 法政大学社会学部長・評議員
2014年 法政大学総長・評議員
専攻:江戸時代の文学・生活文化、アジア比較文化
所属学会:日本比較文学会、法政大学国文学会


大学をとりまく危機

 国公私立大学の多くの学長が集まる「天城学長会議」で、日産自動車の志賀俊之さんが「新卒一括採用は10年以内になくなる」とおっしゃった。中途採用など、能力で採用する方法に変わっていくということです。そうでないと企業がもたない。一つの会社だけではなく、さまざまな企業がそうなる。

 社員の中に新しい能力が欲しい。単に鉄の塊の自動車を作るのではなく、Googleが自動車を作る時代、そういう社会の到来で、学生も時代の変化に適応できないといけません。大学の危機は社会の危機からやってきます。

具体的な危機

 世界に類を見ない少子高齢化社会の到来は、日本だけの特殊状況です。

 人口が増え続ける世界とのアンバランスな人口動態は日本人が初めて体験することで、どのような社会になるかわからない。一つは自治体の経済破綻の可能性が言われています。

 また弱者としての高齢者に対して、医療・介護・年金等に税金を使っていますが、財政難と言われる中で、子どもや若者に使われず、50%を超える母子家庭の貧困率、子どもの貧困が進み、高等教育の進学率も頭打ちで、OECD諸国で最悪です。

 給付型奨学金の少なさに手を打ち始めていますが、高等教育の無償化は可能なのでしょうか?政府の無償化案はオーストラリア型で、結局給与に応じて後で返済する方法です。本当に返ってくるか分からない困難もあります。

 日本の人口は、このままでは2100年に4000万人台になります。江戸時代が3000万人、江戸が100万人でした。ただ江戸時代は人口が明治維新以降のような人口増加にならない中で、電気がなくとも文化は発展しましたし、印刷も世界に稀な高度な技術を持っていました。人口は変わらずとも技術や文化は右肩上がりでしたので、4000万人ぐらいになっても、ソフトランディングして健全な状況を作っていけば良いのです。

 さらに重要なのは人口構成比で、65歳以上の老齢人口比率が上がっていきます。2016年度の国家予算の一般会計歳出の構成比で、社会保障費が33.1%にもなっています。文教・科学振興(教育)が5.5%です。防衛費は5.2%でこれは徐々に増えていくでしょう。

 自治体の経営破綻は、ごみ収集は誰がやるのか、水道管を直すのは?、道路の補修はするのか、など身近な生活に直結します。私たち市民としてどう自分の問題として捉えるかが大事なことになります。

 高等教育で必要な給付型奨学金も、進学率が上がるのか、さまざまな要件があります。法政大学の奨学金もすべて給付型です。奨学金には優秀な学生を奨励するものと経済的支援を目的としたものとありますが、今は経済的支援を目的としたものを重点とするようにシフトしています。

経産省若手プロジェクト

 経産省若手プロジェクトの「不安な個人、立ちすくむ国家 ――モデルなき時代をどう前向きに生き抜くか」という文書が出ました。一つは経済発展や経済効果が本当に人の生活に幸せをもたらすのかということに、彼らは疑問を抱いています。一人当たり実質GDPと生活満足度は、1980年代前半から一致しなくなっている。それまでの高度成長型の価値観に縛られて、教育や医療、公共事業などのあり方が続いている。制度を変えていくには、価値観を変える必要がある。この価値観を一人ひとりが生活レベルに転換していこうと言っています。

 高齢者も健康な限り社会参画をしていく。働くことに限らずボランティアなど社会に役立つことを行う。子どもや教育が最優先で、高齢者よりも重要だという価値観がそこにはあります。確かに、公の課題もお任せではなく、意欲と能力のある人たちが積極的に担うべきですね。

 それぞれが社会を担うのは、江戸時代では当たり前の社会観でした。火消しや寺子屋の教師などはほとんどボランティアです。社会的責任を果たすことを「つとめ」と言い、お金を稼ぐことは「かせぎ」と言って、人間は両方やることが当たり前でした。お金だけ稼いでいれば人生いいのだというのは、戦後社会の考え方なのです。

 年齢に縛られない社会保障や、複線的な社会参加が必要で、子どもへのケアと教育投資の充実、これが一番大事だという報告になっています。

変化する時代に必要な能力

 このような社会的な危機の中で、今大学で求められている能力とは何でしょうか?大学でどのような能力を伸ばすべきなのでしょうか。ここで先ほどの学長会議に戻って、大学で求められる能力について、学長から出てきた意見を述べてみます。

クリエイティブな能力

 まず正解のない時代に、自ら考えられる人が必要です。日本では 50%以上の仕事が人工知能に代替されると言われています。今必要なのはAIに代替されないクリエイティブな能力を持つ人です。柔軟性のある、現場で判断できるクリエイティブな能力、それは、AIができないことです。

目標管理ができる

 目標管理を自分でできる人。自己管理ではないのです。自己管理は、外から与えられている目標に向かって頑張ろうという管理、啓発なのですが、今必要なのは目標そのものを自ら作ることです。そして、それを未来や現実の今の社会と照らし合わせて、微調整をしながら、そこに向かっていく自分を管理できる、そいうイメージです。

意見をもち聞き議論できる

 自分の意見をもち、相手の意見を聞いて議論できる人。今まで言ったことをやっていくには議論は欠かせません。自分の考えだけを押し付ける人はもう必要なくなります。AIだって「考える」ことをプログラミングすれば、言い続けることができますが、それは人間としてはもういらない。人の意見、相手の意見を聞いて受け入れた上で、自分の意見を反映させていく。そういうコミュニケーション能力を持っていることです。

現在存在しない仕事に就ける人

 今まで言ってきたようなことができれば、現在存在しない仕事に就けるだろうと思います。そして結果として生きる力、自分で稼ぐ力をもつことができる人。公のことに頼っていれば自分の人生何とかなるだろうという考えは、もう通用しなくなってきている。年金も医療保険さえもらえるのかどうか分からない社会に近づきつつあるので、自ら計画して自分で稼ぐということを、常に考える必要が出てきます。

生まれた地域を大切にできる

 グローバル化はほっておいても進んでしまいます。ここでもう少し意識しなければならないのは、生まれ育った地域についてです。そこを大切にできるか、認識できるか、そこの知識をきちんと持つことができるかということです。

 何故なら、少子高齢化で地域の衰退がいわれていますが、衰退するにはあまりにも、日本のそれぞれの地域は素晴らしく、もったいないほどの多くの自然・文化資産をもっています。地域だけで外国と取引きをしている会社もたくさんあります。

 現実に地域が豊かさを持っていても、それは意識されないことが多いのです。ですから生まれ育った地域の豊かさはなんだろうという眼差しで理解できる人は、そこに必ず大きな未来に向かう財産を見つけます。そういうことを理解できる人が今、必要とされているのです。

新しい能力の基準

 学長たちは、今までお話ししてきたような日本の状況や世界の状況を頭に入れた上で、学生たちをどの方向に育てなければならないのかを、日夜考えています。それを踏まえた議論の場が、これからますます必要になってくると思います。

 それぞれの大学が求められていることは何なのか。新しい能力や、新たな基準に沿った教育や、国際通用性は、どの大学でもすべて同じというものではなく、個々の大学がどのような個性を持っているかということが重要なのですね。

 皆さんご存知のように、三つの新しい能力の基準のなかの「基本的な知識・技能」とは、今までの教育で言えば、例えば「偏差値」に当たる。

 問題なのは2番と3番で、2番が課題を解決するために必要な「思考力」「判断力」「表現力」、3番が「意欲」や「主体性」です。

 ご存知のように2020年から始まる大学入学学力試験は国立大学の試験なのですが、これは思考力・判断力・表現力・学習意欲・主体性を判断する試験にするという目的で今、試作を重ねています。

 本当にそういう試験はできるのかという大問題がありまして、国語は長文を作るところまで、数学は解いていく課程をきちんと採点するところまでは決まっています。けれど、本当にそれで思考力・判断力・表現力はどの程度測れるのか。結局、こういうことをすれば試験に受かるというパターンができてしまうと、同じことになってしまう。そういうことに陥らないで本当に測れるのかというのは、やってみないと分かりません。

 現時点では学力試験なので、これに相当する試験をやってみたところ、生徒は30%ほどしかできないことが今分かっています。これを100%までもっていくのは本当に大変なことですが、目標は正しいと思います。

大学教育の目標

 思考力・判断力・表現力の教育は、大学の教員であれば、誰でも目指していることです。それができているか、できていないかはまた別問題で、できている教員もいれば、できていない教員もいます。

 また、上から教えれば、学生は言うことを聞くはずだと思っている教員がまだいることも確かです。

 大学教育の目標は、思考力・判断力・表現力にあるのです。それは一部の能力ある先生がやればいいのではなく、大学全体でやることが求められているのです。高校でも中学でもこれを展開する必要があります。

 その方向性は正しいのですが、どういう方法なら、完璧に多くの先生ができるのかというノウハウは、まだ確立されていません。特に意欲や主体性ということになると、例えば、何度も手を挙げれば主体的なのかということは、ここはまた難しい問題です。でも必要ですから、そこに向かっていくしかないですね。

(続く)

連載予定

前 号 Vol.53 第1回「大学進学と社会的効果、世界と日本の変化」
次 号 Vol.55 第3回「大学のグローバル化、法政大学長期ビジョン」

『Campus Life vol.54』より転載