こたけ正義感 氏 インタビュー

香川大学での学生生活

弁護士を目指して勉学に励む日々

こたけさんの大学時代はどういう学生生活でしたか。大学での過ごし方や研究、勉強についてなど、お聞かせください。

僕は香川大学出身で、四国の大学で国立ということもあり、そんなに派手な遊びをしていた記憶はあまりなくて、法学部でもあったので入学当初から弁護士になろうと思っていました。でも実際に入学してみると、司法試験を目指している人がほとんどいなかったので、司法試験予備校に通うなど、一人で勉強している時間が多かったですね。勉強の合間には、バスケットボールのサークルに入っていたので、行ったりはしていましたが、ただただ勉強していたことの方が多かったですかね。

僕は愛媛県出身なので、香川大学に進学した友達が結構いましたが、確かに香川大学は経済系が花形だと先生から言われていたイメージがあります。

そうですね、法学部とかは特に大人しい人が多かったかもしれない。

ちなみに、大学1年生の頃から弁護士になると考えていたとのことですが、その理由は何かあったのでしょうか。

弁護士を志したことについては、本当に大した理由はなくて。中学生くらいの時から、僕自身に協調性がないので、サラリーマンにはきっと向いていないだろうと思っていて、なにか自分の力だけでできそうな仕事というので、最初に思いついたのが弁護士でした。ドラマとかを見てかっこいいなって、本当に漠然と、そういう気持ちだけで弁護士を志したというのもあります。

あとは、大学生活は4年間あるので、なにか一つ成し遂げたいみたいな気持ちがありましたね。高校生の時は部活以外であまり何かを成し遂げたということもなくて、受験もそんなに一生懸命できたわけでもなかったので、司法試験の勉強を頑張って4年すれば、それなりに受かるだろうみたいに思っていました。

それと、法学部の最初の授業の時に民法の先生が「法律の勉強はみんな大学生から始まるので、今の時点ではあなたたちも東大生と一緒なんですよ」みたいな話をされて、確かにそうだなと思って。僕はそういう言葉に簡単に影響されてしまうので、その通りだなと思って勉強を始めました。

ミールホルダー

在学当時は大学生協の購買や食堂などを利用されていましたか。

はい、食堂をよく使っていました。ミールカードって今もあるかどうかわからないですけど・・・。

はい、あります。

ありますか!ミールカード。僕は持っていたので、基本、大学生協の食堂でご飯を食べていました。それさえあればね、食事だけはすることができると思って。

僕も使っていましたが、1食から2食くらいは大体保障されますよね。ありがとうございます。

立命館大学法科大学院でのロースクール生活

勉強のみの2年間

大学卒業後の大学院時代のご苦労などがあれば、教えてください。

大学院は、いわゆるロースクールである法科大学院に進学したので、研究というより司法試験に向けて勉強するようなところだったんですよ。進学したのが立命館大学の法科大学院で、実家から自転車で5分くらいのところにあったので、2年間本当に勉強以外なにもしていないですね。特にその2年間は、朝起きて勉強して、ご飯を食べて学校に行って勉強して、帰ってご飯を食べて勉強して、寝る、みたいな生活をひたすらしていました。本当に、もぐらの気分ですね、当時は。外出したら眩しすぎて目を開けられないみたいな。友達もあまりいない、そういう2年間でした。

私の後輩も、今ロースクールを目指している段階なのですが、目指すにあたって苦労されたことがありましたか。

ロースクールは2年コースである「既修コース」と3年コースである「未修コース」があって、法律をある程度勉強してきた人は2年で卒業する「既修コース」に行き、基本「未修コース」は法律を勉強してきていないという前提で入るところで、当時はロースクールができたばかりなので既修コースがやはりレベルが高くて、競争率も高いみたいな感じだったんですよ。

香川大学から先輩を含め、ロースクールに進学する人も毎年数名はいたんですが、法学部出身でも未修コースに行って、3年勉強をするみたいな人ばかりでした。だから僕が当たり前に既修コースを受けるスタンスでいたら、「君は香川大学生なのに、無理なのではないか」みたいなことを普通に言われました。当時の僕は、司法試験の合格を目指していたので、既修コースも受からなければ、弁護士になることを諦めるという気持ちでした。

とにかく、当時は情報がなさすぎましたね。だから東京などの都市部の大学生だったら、同じような状況にあっても既修コースに2年行ってと、当たり前のように情報を共有していたと思うんですけど、香川大学に当時そういう人が全然いなかったので、情報がない中でもがいていたみたいなところがあって、結構苦労しましたね。

今だからわかること

そのような中で、勉強する際に工夫されたことなどはあったのでしょうか。

予備校で教わったことをただやっていたのですが、やはり相当効率は悪かったと思うし、大学生の時は全く工夫できていなかった気がしますね。

今だったら、ここは上手くできるのにということはありますか。

それはもちろんありますね。そもそも法律の勉強ってこうすべきだと分かったのが、ロースクールの卒業間際くらいだったので。それまでは、大学での4年間+ロースクールでの2年間の勉強をしていても、何をやっているかわからないまま、ただただ知識を詰め込むみたいな状態でした。卒業間際でようやく構造を理解して、司法試験に挑むところに到達したので、どういう仕組みで法律が動くのかということを最初の頃に理解していれば、もう少し勉強は楽だっただろうなと思いますね。

要は、覚えるべきことを荷物とするならば、棚もなく整理されていない部屋に、それをただ投げ込んでいる状態だったんですけど、最初にスペースをきちんと整理し、準備した上で仕分けしながら勉強すれば、もっと効率的だったと思います。

学生時代の勉学や学びの経験、または学生生活全般の経験が、今のお仕事に生かされているという気づきとか実感がありましたら教えてください。

弁護士の場合は、学びがそのまま仕事になっていますね。知識ありきの仕事ではあるので、応用的に使うというより、仕事で使うための知識を詰め込んでいたので、それがそのまま役には立っています。もう本当に、実務で使うための知識を学んでいた感じですね。

弁護士がお笑い芸人を目指す

養成所に入所するきっかけ

司法試験に合格されて、弁護士として働かれるなかで、お笑い芸人としても活動することを決意された理由やきっかけは何だったのでしょうか。

弁護士になって、もちろん子供の頃からの夢が叶い、すごく充実はしていたんですけど、ストレスの多い仕事で結構辛かったですよ。特に最初の 2、3 年は、夜も遅くまで働きますし、終電で帰れたり帰れなかったりみたいな生活で、もちろんわからないことばかりですし、仕事の内容的にもストレスフルなんですよ、やっぱり。多くは犯罪に関することとか、基本的に人のトラブルに関することなので、しんどいなと思って、何か他にもやりたいなとずっと思ってはいたんです。

僕は子供の時からお笑いがすごく好きで、でも好きすぎて自分がやりたいことから除外していたというか、芸人さんのことをリスペクトしすぎて、自分がそこに混ざっていいわけがないと、芸人というのは天才たちが集まってやっていることだという感覚でいました。

でも今の奥さんと話している時に、僕がいつもお笑いの話ばかりするので、「そんなに好きなら、1回なにかやってみれば」みたいなことをふっと言われて、なるほどな、と思って。それでその場で養成所をインターネットで検索したら、今の事務所の養成所に「社会人コース」というのがあって、そのコースは週1回、土日どちらかに通えば、所属できるかどうかは別として1年後に卒業できますとあって、ぴったりだと思って。当時、ブレイクし始めた厚切りジェイソンさんもテレビで「社会人コースがあったので、会社員として働きながら通いました」みたいなことを話されていて、すべてが噛み合って、これはもう行くしかないという気持ちになり、通うことにしました。

弁護士でもあり、お笑い芸人でもあること

弁護士として働きながらお笑い芸人になることで、両立する上での苦労されたエピソードなどはありますか。

まず弁護士事務所を辞めました。もともと弁護士が何人もいる事務所にいたんですけど、本格的に芸人をやるぞと思った時に、当時勤務していた事務所を辞めて、いわゆる自分だけの事務所に独立しました。まあ結構大変でしたね。

法律をお笑いに組み込まれていますが、そこに着目した背景やきっかけなどはあったのでしょうか。

最初の3年間くらいはコンビで漫才をやっていて、いわゆる普通のネタも作ったりはしたんですけど、無名の頃はお客さんがそもそも興味を持っていないところからのスタートなので、何かフックがないとネタを見てもらえないことが多くて。わかりやすいキャラクターがあった方が話を聞いてもらえるので「弁護士です」と言ってからネタを始めることが増えて、それが職業を名乗り始めたきっかけですね。

解散してピンになってからも法律関係のネタをやりますが、法律も数ある中の一つだったという感じではあって。法律そのものが本当に面白いと思ってやっているというよりは、やはりみんなが「interesting」だと思う、「funny」というよりも先にまず「interesting」で興味を持って集中してもらえる入り口づくりのために使っているということが、正直なところ多いですかね。

確かに私が動画を拝見する上でも、興味を持って話の内容にフォーカスするきっかけになりました。ちなみに、芸名に「正義感」とありますが、これは弁護士や法律が関係していますか。

最初3年間くらい漫才をやっている時は、本名で出演していました。芸名をつけるきっかけは、所属事務所がいわゆるお笑い事務所というよりタレント事務所なので、明らかにお笑い芸人とわかるように芸名をつけました。
なぜ「正義感」にしたかは、あまり覚えてないですね。本当にゴロで、弁護士というキャラクターもあるし、ちょうどいいと思い決めました。

奥様のご職業も弁護士ですが、同業の方が身近におられるなかで、ご自身も弁護士にだけの生活に戻ろうかと思われることはないですか。

いまのところ全然思っていないですね。そもそも妻は弁護士と言っても、企業で働いたり、海外に行ったりしていて、オーソドックスな弁護士ではないので。
お互いにいろいろと変なことをしたいタイプというか、あまのじゃくなのかもしれないですね、逆に言うと。子供の時からそうですが、既定路線が見えた時点で逸れたくなるという癖があるのかもしれないです。逆張りですね、香川大生が司法試験を受けないから受けるとか、みんな「未修コース」に行くから「既修コース」に行くとか、そういう発想はあります。

CONTENTS

はじめに

香川大学での学生生活

立命館大学法科大学院でのロースクール生活

弁護士がお笑い芸人を目指す

学びにおける新しいコンテンツへの向き合い方

大学生の皆さんへメッセージ