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「未来は我等のものなり」に
寄せて

大学生協連会長理事 福武 直(一九七八年当時)

「未来は我等のものなり」について『生活と生協』に一文をよせました。会員生協におわかちした複製は、どこかにかかげていただきたいと思いますが、これについての私の感想として読んで下されば幸甚です。 一九七九・五・二〇 福武 直

 全国大学生協連の会館三階のホールに、最近小さな額がかかげられた。それには、三六×五三センチの紙に「未来ハ我等のものな里 一九三五・一一・一・祝東京学生消費組合創立十周年記念 賀川豊彦」と達筆で認められた書がおさめられている。

 この書は、記されているように、賀川さんが東京学消一〇周年を祝って揮毫(*1)されたものであるが、その学消は、その数年後、弾圧のもとに解散せざるをえなかった。そして、その後昨年まで、東京学消関係者のひとり山岸晟さんが、この書を保管されていた。学消関係者の方々は、東京学消友の会という会をつくり、交友をあたためられているが、大学生協連は、尊敬すべき先輩の会という気持から、昨年の五月一五日、大学生協連ホールで催された会合のお世話をし、今後毎年、開催通知を出し文字通りの粗餐を用意することを約束した。この席上、山岸さんは、賀川さんの書を大学生協連の保管にゆだねることが最もふさわしいと考えられ、私たちに譲渡して下さった。これが、会館のホールにかかげられた書の因縁である。

 私たちは、この書の複製をつくった。それは、なかなかいい出来ばえであった。本年の五月一五日、学消友の会の例会が、東京大学の中央食堂の一角でもたれたとき、私たちは、会員の方々に、この複製をさしあげて、お礼を申しあげるとともに、会員生協にも頒布して、どこかにかかげてもらうことにした。私たち現在の大学生協も、先輩の労苦を、この書によって偲ぶとともに、「未来は我等のものなり」という気宇壮大な意欲に学びたいと思ったからである。

 ところで、私は、この書に接して、昭和一〇年と書かないで一九三五と記されていることにも、特別の感慨を禁じえなかった。私は、賀川さんについて、ほとんど無知である。どのような気持で一九三五と書かれたのかも知らない。キリスト者として当然といえばそれまでだが、その五年後、紀元二六〇〇年を祝賀した戦前の日本で、最近復刻された東京学消赤門支部の『図書評論』でも昭和十年と記している(関係者の中には一九三五年と表記したかった人もあったかもしれないが)ころに、敢て一九三五と筆をふるわれたということは、その理由は別として、私には「未来は我等のものなり」という言葉に全くふさわしいように思われた。いいかえれば、これによって、言葉が一層生彩をはなっているように感じられたということである。

 現在の日本では、元号法案が国会で審議され、会期延長のもとに法制化されようとしている。「未来は我等のものなり」という気魄(*2)は、高度経済成長の過程でうすらいできている。敗戦直後の窮乏の中で、生活に苦しみながらも、未来への望みに燃えた熱気が、消費水準の上昇するにつれて消えていったように思われてならない。高度成長が頓挫して低成長に移行した昨今でも、暮らしと健康を守ろうという声は高まったにしても、「未来は我等のもの」という将来的展望をもった積極的な意欲は低調である。

 私は、これではならないと思う。私たちをめぐる状況はきびしいが、それだけに、賀川さんの書を、かみしめたい。私たちの会員生協に、そう訴えたいと考えて配布することにしたわけであるが、それは地域生協のばあいも同様であってほしいと願ってやまない。私たちの現状よりもというよりも、比較にならないほどの情勢の中で、しかもなお賀川さんや学消関係者は、「未来は我等のもの」と自らに言いきかせながら奮闘されたのである。きびしかっただけに、それだけの情熱もたぎったのだともいえるかもしれないが、そうだとすれば、戦前よりも恵まれた條件のもとでは、一層意識してこの確信をつよめる努力をしなければならないといえないであろうか。

 このようにいうことは、徒らにイデオロギー過剰の悲憤慷慨(*3)を是としたり、状況を無視した戦闘的運動を賞揚(*4)したりしようとするものではない。むしろ「我等のもの」である「未来」は、それほど近い将来には招来しがたいことを認識した上で、しかも、その遠い「未来」が必ずや「我等のもの」であることを確信しようというわけである。いいかえれば、近い未来を我等のものと安易に期待することが、その望みなさに憤慨し、無謀な運動をひきおこすのであり、我等の未来は遠くとも必然であるという不動の立場を固めることが、地道な不屈の努力を生み出すのである。

 賀川さんの書がしたためられてから半世紀に近い歳月を経た今日、私は、できるだけ多くの人々とともに、「未来は我等のものなり」という言葉を、このように読みとりたいと思う。

【言葉の説明】

  • *1揮毫:きごう 「揮」はふるう 「毫」は筆の意
  • *2気魄:きはく 気迫と同意語
  • *3悲憤慷慨:ひふん-こうがい 運命や社会の不正などを憤って、悲しみ嘆くこと
    「悲憤」は悲しみ憤ること「慷慨」は「憤慨」と同じ 憤り嘆く意「慷慨悲憤:こうがいひふん」ともいう
  • *4賞揚:しょうよう 褒めたたえること