Essay 遺跡のすすめ

後藤万由子(名古屋大学6年生)
 

祖父の故郷、松江の出雲国庁跡。
今では穏やかな風景が広がっている。

『読書のいずみ』編集委員(以降、いずみ委員)として活動させていただき、他の学生メンバーをはじめ、多くの素敵な出会いがありました。出会う人たちの好きなものは本当に様々で、本はもちろん、芸術、旅行、劇場、鉄道など、話を聞くだけでも、世界が広がるようで楽しかったです。そこで、いずみ委員最後の活動として、私の大好きな遺跡について、ここで語らせてください。

 

 遺跡。遠い昔の人間の活動した跡。貝塚、古墳、城跡と、色々ありますが、まずはタイトル横の写真を見ていただきたいです。何もありません。ぱっと見たところ、本当に何も無い野原です。ただ、私はこの何も無い「跡」が好きなのです。この「何も無い」空間は、明らかに「何かある」空間なのです。

登呂遺跡。教科書の中だけだと思っていた。
富士山も見えて良いところだったんだろうな。
平城京、大極門。
周りは本当に何も無い。
 

 もともとなぜか古代史が好きで、教科書はそこだけが妙に折れ曲がっていました。大学に入学し、学部は違えど文学部の教室で考古学の授業を受けはじめました。ある日、文学部で知り合った友人と、一緒に奈良の観光をすることになりました。待ち合わせの駅に向かう近鉄奈良線に乗り、しばらく揺られていると、急にそれまで見えていた街並みは消え、何もない、だだっ広い空間が広がりました。一瞬何が起こったのかわからず、ただ、朱色の大きな門が遠くにぽつんと見えるだけでした。あ、ここは、と咄嗟にスマホの地図アプリを開くと、そこは、平城京跡のど真ん中でした。

 

 遺跡の良さは、何も無いところです。実際行ってみると、真っ平な、何も無い空間です。しかしそこには、普通の野原とは違う、明らかに「何かがあった」と思える空気が漂っています。当時はきっと役人が立派な建物の中で文書を作成したり、庶民が暮らしていたのでしょう。今はもう何もかも無くなり、静かな、穏やかな風景が広がるばかりです。その中で佇んでいると、現代にも関わらず、なぜか気が遠くなるような感覚に襲われます。

伊勢国分寺跡。
不思議なほどにだだっ広い。
大阪堺でいただいた古墳カレー。
お母さんのあたたかさに感動。
 

 遺跡が好きでよかったことの一つとして、知り合ったばかりの人と自己紹介をしあう時に、相手の出身地を聞くのが楽しいことが挙がります。遺跡と聞くと奈良などを思い浮かべるかもしれませんが、遺跡は全国にあります。中学生の時、歴史の資料集をめくっていたところ、平城京跡から出土した土器の写真が目に飛び込んできました。美濃(岐阜)、備前(岡山)など、全国から納められた土器でした。その時私は深く衝撃を受けました。なぜなら、その時まで古代人は奈良や大阪などの都にしかいなかったと思っていたからです。実際そんなことはないのですが、名もなき地方の人々が、確かにその場に暮らしていた、その当たり前のことに強く心を動かされました。都の人がわからないような方言を使ったり、その地域特有の風習を持っていたり、民話を語り継いでいたであろう、中央から離れた場所の人々について思いを馳せるのが妙に楽しいと思うようになりました。

 

群馬の井出二子山古墳。
穏やかな風景に泣きそうになった。

 遺跡から出土したものについても書きます。遺跡の近くにはたいてい博物館があります。展示されているものを見ると、当時の人の息遣いが感じられます。土器の縄目だったり文書の文字だったり、人の手が加わったことがはっきりと目に見えると鳥肌がたちます。文学部の実習に参加させていただいた時、そこで掘り出した瓦を触らせてもらいました。その瓦には布の網目のような跡が付いていました。それの手触りだったり、瓦の重みが今でも忘れられないです。無造作に置かれていた沢山の瓦のうちの一つでした。きっと失敗作で置かれていたのでしょう。文字が書かれたわけでもなかったのですが、確かにそこに古代人が生きていた、そのことを身をもって感じられて、なんとも嬉しかったです。

 

 ここまで書いていて、久々に遺跡に行きたくなりました。つらつらと書きましたが、遺跡の良さは実際そこに行かないとわからないです。この文章を読んで「行ってみようかな」と思ってくれた人がいれば、遺跡好きとしてこれほど嬉しいものはありません。

 


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