わが大学の先生と語る
「台湾史から学問をひらく」駒込 武(京都大学教授)

わが大学の先生と語る 「台湾史から学問をひらく」駒込 武(京都大学教授)



駒込先生の推薦図書

P r o f i l e

駒込武先生

駒込 武(こまごめ・たけし)
略歴
1962年東京都生まれ。
京都大学大学院教育学研究科教授。
東京大学大学院教育学研究科博士課程修了。1992年4月 お茶の水女子大学文教育学部専任講師、1994年1月同文教育学部助教授、1995年3月 博士(教育学)、1999年10月京都大学大学院教育学研究科助教授、2007年4月 同准教授を経て、2012年10月同教授(現在に至る)。専攻は、教育と学問の歴史、台湾近現代史。
■主な著書
『世界史のなかの台湾植民地支配―台南長老教中学校からの視座』(岩波書店 2015年)、編著に『生活綴方で編む「戦後史」 〈冷戦〉と〈越境〉の1950年代』(岩波書店 2020年)、『台湾と沖縄 帝国の狭間からの問い』(みすず書房 2024年)、訳書に呉叡人著『台湾、あるいは孤立無援の島の思想』(みすず書房 2021年)など多数。
  • 久次米桜保久次米桜保
    (法学部2回生)
  • 齊藤ゆずか齊藤ゆずか
    (文学研究科2回生)
 

 

1.台湾教育史との出会い

久次米
 台湾教育史を研究するようになったきっかけは何でしたか。

 

駒込
 台湾教育史には、「台湾史」という要素と「教育史」という要素がありますよね。教育史という点でいうと、大学に入ってから、ろう学校に通う耳の聞こえない子どもと、地域の子どもが一緒に遊べるように交流を企画するという、子ども会のサークルにのめりこんだ。言葉が通じない中で通じあったときの喜び、というのかな。それがいいなと思い、教育にかかわる研究をしようと。
 もうひと系列の話があって、高校時代に『韓国からの通信』(岩波新書)を読んでいた。韓国のクリスチャンの人々を中心とした民主化運動の動きを追ったもの。光州事件って知っているかな。独裁政権に立ち向かう民衆運動の中で死傷者や逮捕者がたくさん出て、人間の尊厳を問われる場面が描かれていた。そういう韓国の民主化運動に関心があった。
 それで、朝鮮教育史をまず研究しようと思った。でも、朝鮮教育史を調べたら先行研究が山ほどあった。特に渡部学さんのすばらしい研究を読んで、これ以上やることはない、と思ってしまった。ちょうどそのころ、現在の中国東北、旧満洲地域の歴史研究は始まったばかりだった。それで、満洲教育史の研究を始めた。ところが、1989年に天安門事件、大学生たちを戦車がひき殺すという、残虐な事件があった。この事件のために中国へ行く飛行機がしばらく飛ばなくなった。それで、今考えると台湾の人々に本当に失礼だけど、じゃあ台湾にでも行くか、と。
 1990年に初めて台湾に行くまでの自分は、本当に何も知らなかった。直前の1987年まで台湾には戒厳令が敷かれていたことも知らなかった。でも、行ったらすっかり「はまって」しまった。
 台湾に行く前からわずかに研究していたのは、「呉鳳」伝説。台湾総督府が先住少数民族を征服する戦争に漢人を動員するために広めた物語、それが教科書でどう描かれていたのかを研究していた。それで漢人の呉鳳をまつる廟に行ってみたら、バスが何台も停まっていて観光名所になっていた。実は戦後も国民党政府の蒋介石が呉鳳の顕彰を続けていた。日本時代に終わっていたはずのことが連綿と続いていたことに驚いた。日本人/台湾の漢人/先住民という複雑な支配構造を何も知らずにいたことについて、まずくない?という気持ちになって、研究を始めた。

 
 

 

2.台湾と沖縄

対談

 

齊藤
 昨年、『台湾と沖縄 帝国の狭間からの問い』(みすず書房)という本を出されましたが、台湾から沖縄へ視野を広げていった理由についてお聞かせください。

 

駒込
 ひとつは、2018年から、ゼミで鹿野政直さんの著作を読んだこと。鹿野さんは、早稲田で教鞭をとっていた、民衆史で知られる研究者。学生時代から知っていたけど、当時はもっと構造的な歴史学が主流で、人間の心のひだを描いた鹿野さんの書いたものにはなじめないところがあった。けれど、ある時期から、すごい、と思うようになった。「沖縄の歴史でこんなに大変なことがありました」と書くだけではなくて、沖縄の人々が何を考えどうしようとしたかということを、「沖縄の思想」として捉えている。有名な学者や政治家ではなく、普通の人々の、沖縄問題に対する向き合い方を。鹿野さんの文章には、何度か会ったことのある沖縄の学者も出てくるけど、僕は彼らの言っていることを全然理解していなかったと感じた。鹿野さんが「沖縄の思想」として評価する作業を通じて、自分の身に迫るものになった。
 もうひとつ、ウクライナで戦争が起きた。ポーランド史をやっている小山哲さんが、「ドイツとロシアの間にある人々はなぜ何度も歴史のなかでひどい目に遭うのか」と言った。台湾や沖縄と一緒だと思った。日本と中国の間にある人々はなぜ繰り返し、ひどい目に遭わなければならないのか。台湾の人々はその意志にかかわりなく、日本や中国からやってきた政権に支配されてきた。だから、いま中国が台湾に攻め込むかもしれないという話があったときに、本当にありえないことだとはいえないという気持ちがある。盧溝橋事件だって、一発の銃弾が日中戦争につながった。「台湾有事」なんてありえないと気軽にいう日本人に対して、「そう言うあなたは誰?」という気持ちが高まっていった。
 日本と台湾の温度差を感じていたところに、沖縄が絡んでくる。沖縄在住の映画監督・三上智恵さんの映像を見た。反辺野古基地運動の中心人物だった山城博治さんが、不当逮捕されたのちに獄中から出てきた場面。それが、1920年代の台湾で台湾議会設置運動のリーダーたちが獄中から出てきたときの高揚感と重なって見えて、感動した。ところが山城さんは「台湾有事があっても沖縄は絶対にかかわるべきではない」と話された。米軍出動も自衛隊出動も認めるべきではないというのは、沖縄の言い分としてはわかるけど、沖縄の人びとと似たような歴史を経験してきた台湾の人びとへの共感は見られない。それに、沖縄は台湾にかかわるべきではないと言ってしまったら、「沖縄が戦場になっても本土はかかわるべきではない」ということと何が違うのだろう?と思ってしまった。台湾の人たちが戦争で殺されてもしょうがないということだとも思えた。
 一方、2014年、台湾の政治学者・呉叡人さんは著書で「台湾の自決を求める人は沖縄の自決も支持すべきだ」と書いた。台湾の自立を求める人たちは、沖縄の米軍に助けてもらいたいと思いがちだ。しかし、それではお互いに大国の餌食となり、弱者の共食いになってしまうから、沖縄の反基地運動を支持すべきだと。でも彼の意見は台湾では支持されない。なぜならそんなことを言っても、沖縄の人も、まして日本本土の人も、そういう呉さんの議論を支持しようという動きがない。台湾人の自決が沖縄、日本の側から支持されて連帯の道が開かれないままでは、呉さんの論は絵空事になってしまいますよね。鹿野さんの作品によってようやく沖縄の思想を理解しはじめたところで、この状況をなんとかしたい、と。それは、この状況をつくってしまった日本本土の人々の責任だと思った。

 
 

 

3.「戦後80年」でよいのか?

対談

 

駒込
 それで、「認識台湾」という自主講座を始めた。最初は「台湾と沖縄」というテーマでシンポジウムをして、呉さんの意見を沖縄の人はどう受け止めるのか、沖縄の声を呉さんはどう聞くのか、という議論を出発点にしながら、日本本土に生きる人びとの責任を明らかにしたいと考えた。

 

久次米
 「認識台湾」について、今後扱いたいテーマなども含めて教えてください。

 

駒込
 この5月には、台湾近代史研究の第一人者である呉密察先生をお呼びした。台湾では日本の戦後もずっと戦争が続いてきた。呉先生は「砲声の響かない戦争」という言葉を使ったけど、台湾人は戦後40年間、戒厳令下にあった。戒厳令というのは戦時体制。軍が最優先で、憲法の人権保護規定が停止される。多くの人が裁判なしに死刑にされた。
 日本人にとって戦争は外で起こすもの、沖縄を除いて。だから「戦争はいけない、平和が大事」なのは確かだけど、自分たちが侵略され占領されるイメージを持ちにくい。台湾の人にとっては外から敵が押し寄せ、自分たちの生活の場を踏みにじり、家族を皆殺しにしていくのが戦争。台湾の歴史ではそんな戦争が繰り返されてきた。日本の教科書では日清戦争のあと清朝が日本に台湾をあげますよ、というところで終わりだけど、台湾ではその後に日本軍による虐殺が起きている。そして日本が負けて蒋介石政権に支配者が変わったところで、またものすごい虐殺が起きた。だから、呉密察先生は、日本には「戦後」があったかもしれないが、台湾に「戦後」はなかったと声を詰まらせながら話した。
 そういうことを考えたときに、いま日本は戦後80年というけれど、台湾が日本に支配されてからの130年の歴史の重みを考えなくてはいけない。さらに言えば、1874年の台湾出兵で先住民の人々が日本軍に殺されている。この台湾出兵は、琉球(沖縄)の人々を大日本帝国臣民の一部だと示すための、「琉球処分」のひとつの完成形態でもある。そこからはほぼ150年。その認識をもって、近代日本の歴史全体を批判的に捉え直さないといけない。
 日本人の戦争のイメージは、「正規軍対正規軍」に固定されてしまっているが、「認識台湾」では非対称的な植民地戦争という観点からそうした戦争観を見直す試みをしたい。

 
 

 

4.アートで伝える台湾の歴史

対談

 

齊藤
 台湾で出版された絵本の、日本での出版にも取り組まれたと聞きました。

 

駒込
 「認識台湾」のためのクラウドファンディングをした時に、台湾の歴史を学べ、かつプレゼントとして嬉しいものとして、「白色テロ」と呼ばれる政治弾圧の受難者である蔡焜霖さんの人生をモデルにした絵本をとりあげた。これを翻訳したのが、『こぐまのララはうたう』(国土社 ※1)。
 歌を歌うのが大好きだったこぐまのララに、王様の家来であるウサギが突然「歌を歌ってはだめだ」と告げる。ララは「なんで歌っちゃいけないの?」と言うけど、「うるさい!」と離れ小島に連れていかれてしまう……。
 いきなり「歌を歌ってはいけない!」という唐突さこそが台湾の人びとの政治的経験を象徴している。そして、わたしたちはなぜ歌うのか、歌い続けるのか、「表現の自由」にかかわる問題を提起している。絵本なら、子どもを含めて多くの人と一緒に考えられる場を切り開ける。
 「認識台湾」は手ごたえを感じつつも、正直、集まる人の層が限られていた。閉塞感を抱いていたときに、『こぐまのララはうたう』を翻訳してくれた絵本作家・吉田瑠美さんや、台湾在住の文筆家である栖来ひかりさんに出会った。美術や映画、音楽の回路を通すことで、より多くの人とつながることができると思った。8月末には、自主講座「認識台湾」も協賛する形で、台湾発の映画、文学や音楽、美術などの魅力を伝える「台湾光譜」というイベントを開く。わたしは、栖来ひかりさんや、台湾出身の漫画家・高妍さんと対談する予定。高さんの『隙間』(KADOKAWA)という漫画は、台湾から沖縄へと留学した高さん自身の経験をベースとしながら、台湾と沖縄の人びとの対話を描いている。さきほどお話しした呉叡人さんのことも出てくる。漫画としてエンターテイメントの質を保ちながら、政治や歴史にかかわる重たい問題をとりあげている点が新鮮。
 今年は「台湾光譜」というアート系のイベントがあるので、「認識台湾」ではきっちり歴史の講義をしていく。台湾の人たちの思いを受け止めている研究者による歴史講義は、エモーショナルなものと無縁ではない。

※1:『こぐまのララはうたう』特設サイト https://note.com/kogumanolala/n/n88c1d78d3d1e

 

齊藤
 歴史学とアートは分かちがたいものだと思います。歴史学は当時の人の思いを受け止めるところから始まるものだし、アートも内面に入り込むもの。

 

駒込
 自主講座を始めるまで、一般の人が買ってくれそうな本はほとんどつくったことがなかった。歴史家は縁の下の力持ちをやればよいと思ってやってきた。台湾では中国史さえ学んでいればいいということで、1980年代まで台湾史が研究されてこなかったために、研究の蓄積が圧倒的に乏しかった。まずはしっかり史料を集めて、たしかなことを伝えたかった。でもいまは、伝えたいメッセージを多くの人に届けるための工夫が重要だと思うようになった。これからは、わかりやすく伝えるための工夫もしていきたい。

 
 

 

5.「勝ち組」は負け続けている

久次米
 最後に大学生へのメッセージをいただけますか。

 

駒込
 今の学生はきついなと思う。僕より少し上の世代には、学生運動をしていて「自主退学」した後おもちゃ屋さんになった人や、運動の中で出会った、シンクタンクに拾ってもらった人がいた。社会全体が右肩上がりで豊かだったからかな、運動をして安定したルートからはずれた人にも生きていくすべがあったんだよね。でも今の社会はそういう可能性がどんどん狭まっていたり、見えにくくなったりしている。今の学生は、収入はいいけど極端にブラックな企業に就職するか、やりがいはあるけど収入の安すぎる仕事に就くかしかない。だから「勝ち組」にならないと、という意識が強い気がする。でも、それってすごく寂しくてもったいないこと。少し脇道に逸れたとしても、面白いことはたくさんあるのに。
 そこで学生たちに送りたい言葉は、『エルピスー希望あるいは災いー』(関西テレビ)というドラマにあったセリフ。渡辺あやさん脚本の連続ドラマで、とあるテレビ局のキャスターが冤罪事件を調査しようとする。ディレクターはそんなのやらないほうがいいという中、有名私立大学出身の若手局員が冤罪事件に関わるかを問われたときに、かつて学校でいじめ事件を知らぬふりをしたときを思い出して言ったセリフ。
 『僕ずっとママにそう言われて育ってきたんですよ。裕福な家に生まれて小学校から大学までずっと明王(ドラマ内の有名私立校)で大手テレビ局で働いてる人生の勝ち組なんだって。でも僕本当は何にも勝ててないんじゃないかって気がするんですよね。ていうか結局僕とママは、より負けてきたんじゃないかって。自分たちは勝ち組なんだって思い込むために必要以上に負けてきただけなんじゃないかって。』『僕は…。裏切ったやつです。ううっ… 友達だったのに。こうやって見せてきたんです。手のひらに鉛筆の芯がいっぱい刺さってて。でも誰にも言えなかったんです。自分がいじめられるのが怖くて。だからママに言ったんです。でもママも学校に何も言わなかった。いじめの主犯が学年で一番の有力者の息子だったからです。ううっ…。僕らは負けたんです。決定的に負けて…。それからずっと負け続けてる。』
 つまり、「勝ち組」であろうとするために彼も彼のママも自分を押し殺してきた。それは実は「負け続けてきた」ということなのではないかということ。皆さんには人生において「勝つ」とはどういうことなのか、ということを考えてみてほしい。

 

対談

 
(収録日:2025年7月3日)
 
 

 

韓国で感じた「非対称性」

 大学2年生の時に韓国へひとり旅をした。当時は独裁政権で自由がなくて、日本からみて貧しい、という状況だった。あるとき、バスに乗ったら、隣に座ったおばあちゃんが、韓国語で話しかけてきたので、下手な韓国語で辞書を引きながら応答していた。1時間くらい経ってから、急に流暢な日本語を話し始めた。「最初から話してくれよ」と思ってしまいそうになるんだけど、日本語は使いたくなかったということ。日本人の学生が韓国語を学んで頑張ってしゃべっているから、話してやってもいいか、と思ったのかもしれない。植民地支配の記憶が、身体化された形で残っているのだと感じた。韓国の図書館に行くと、日本語で書かれた教科書がある。でも、逆はありえない。日本のおじいちゃんおばあちゃんが韓国語を話すことはない。そこに圧倒的な非対称性がある。

台湾議会設置運動:1920年代~1930年代にかけて、日本の植民地支配下にあった台湾で、台湾の人々が自治を求めて議会の設置を請願した運動。

自主講座「認識台湾」:日本の人々が台湾の歴史や、それに対する現在の台湾の人々の捉え方について知ることを目的に2023年、駒込先生の呼びかけによって始まった公開講座。

白色テロ:台湾の国民党政権が反体制派とみなした人物を投獄・処刑した政治弾圧・言論統制。

 
 

 

『統治される大学』に込めた思い

 2024年10月に発売された駒込先生の『統治される大学 知の囲い込みと民主主義の解体』(地平社)は続けざまに強行採決された国際卓越研究大学法案と国立大学法人法案をはじめ、新自由主義的な大学政策によって、財政界が大学を統治する仕組みが整いつつある現状をしるしたものだ。先生がこの本にどのような思いを込められたかうかがった。

 

駒込
 京都大学のトップに、日本の代表的な軍需企業である三菱重工の取締役が就任したり、日本学術会議も内閣の統制が強く及ぶように改組されたりと、大学、学問の世界は今大変なことになっている。そのうえ大学内部の変化は誰にも知らされない。しかし、こうした大学や学問の世界で起きている危機を普通の人に伝えても、みんなシラーっとしていて興味がない。それは大学や学問というものが自分たちの日常の中で感じる問題に応えてくれるものだと感じていないからだと思う。大学や学問なるものへのニヒリズム(虚無主義)と言ってもいいかもしれない。しかし、そのニヒリズムをつくってしまった大半の原因は学者の側にあると思う。だから、学者と呼ばれる人間が自分たちの学んできたことはこんなにも面白く、また大切なのだと伝え、人々が学べる場所をつくっていかないといけない。自分のやっている自主講座「認識台湾」もその場所の一つ。自分が自主講座を始めるきっかけとなった人に環境学者の宇井純さんがいる。彼は1970年に自主講座「公害原論」を立ち上げ、水俣病の問題について、なぜ起きているのか、公害病にどう立ち向かっていけばいいのかを考える場とした。そこは、だれでも市民が学べる場だった。自主講座「公害原論」が学問とは立身出世や栄達のためのものではなく普通の人たちのためのものであるということを自分に示してくれた。今の大学が産業界の食い物にされているということを伝えると同時に、学問の多様な可能性についても広く伝えていかなくてはならない。

日本学術会議の問題:「学者の国会」とも呼ばれる「日本学術会議」を国の機関から切り離し、2025年に特殊法人化することによって懸念される問題。日本学術会議は戦後、科学が戦争に動員された反省からつくられたものあり、政府から独立して仕事を行う国の「特別機関」と定められてきた。その仕事はおもに国の政策への提言である。今回の特殊法人化に伴い、国から学術会議へ業務の監査や活動計画への意見ができるようになり、学術会議の「独立性」が脅かされることが懸念されている。

宇井純 日本の環境学者。1970年東大に着任してから15年にわたり自主講座「公害原論」にて郊外の研究・調査結果を市民に直接伝え続け、市民による公害反対運動のネットワーク構築に大きく寄与した。

 
 

 

『鹿野政直思想史論集』のすすめ

 大学生には『鹿野政直思想史論集』(全6巻)をおすすめしたい。「思想史論集」というタイトルに構えてしまうかもしれないけれど、河上肇や田中正造といった思想家たちと、石川啄木や夏目漱石、萩原朔太郎といった人たちを同じ平面で論じている。鹿野さんが主張するのは、人間の感性や発想まで歴史によって規定されてしまっているのだということ。だからその次元でいかに自由になれるのかが重要。鹿野さんからすると、石川啄木は、感性や発想において、がんじがらめになったところから自由になった思想上の先駆者ということになる。
 また、鹿野さんのひとつの意識は、「民間学」にある。いわゆる思想史と違うのは、高群逸枝という女性のように、大学の学者ではない、自宅で執筆活動に専念した民間学の担い手を重視している。民間の中で育った、やむにやまれぬ思いで研究をする人々、琉球学の祖である伊波普猷についてもいえる。歴史学というものがある意味で専門分化しながら、民間の人たちのさまざまな思い、救済への願望や、それが断たれたことへの絶望を十分に論じられてこなかったという意味で、既成の学問への挑戦を試みている。

 
 

 

インタビューを終えて

久次米桜保

久次米桜保(京大法・2回)
 日本人の自分は台湾について日本がしてきた加害の歴史を知らないといけないと思いました。知らないままに台湾は親日だとか台湾有事の際に日本がどうするべきかとかをディスカッションのテーマとして消費していくのは、本当によくないなと思いました。また、大学の自治の危機について大学生である自分が全然問題を知らなかったことが恥ずかしかったです。台湾史と大学自治の問題に取り組み続けてきた駒込先生から直接お話を聞けてとても貴重な経験になりました。

 

齊藤ゆずか

齊藤ゆずか(京大文・M2)
 歴史をふまえ、「日本人」という立場を自覚して台湾や沖縄と向き合う。難しいけれども今やらなければならないこととして伝えるために、「わかりやすく伝える」ことを始めた駒込先生の取り組みに、これからも参加していきたいと思いました。わかりあえないかもしれない相手と心を通わせたときの喜び、という駒込先生の原点が、台湾の人々の声を聴くという、活動の軸につながっているのだと思いました。ありがとうございました。

 

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