読み方百人百首
うーん、うーん……
どうしたの?
この短歌、どう読もうかなぁって。
でも自撮りやめないきみが可愛くて可愛くなくて夜霧がしみる
田丸まひる『ピース降る』
たとえば「(客観的に/主観的に)可愛くて(主観的に/客観的に)可愛くなくて」だったら、どっちだと思う?
"近くて遠い“か。それなら後が主題だろうし、それで「可愛くない」が主観なのは違和感かな。短歌の「きみ」って、恋人とか配偶者のことが多いんでしょ?
うんうん。
「でも自撮りやめないきみ(=恋人)が(僕にとっては)可愛くて(でも世間的に)可愛くなくて夜霧がしみる」かな。「でも」の前に省略されてるのは「(もともと可愛くないから、可愛い自撮りは撮れないのに)でも自撮りやめない」。
自分もそう読んだんだけど、「(世間的に)可愛くなくて」で終わると辛いなぁって。あと個人的に「自撮り」にこだわる行為を可愛いと思えない。
そんなわがままな……。
解釈の仕方で変わらないかなぁ。ちなみに「夜霧がしみる」=「泣ける」で、「可愛くなれないきみが悲しい、視界が滲んで見ていられない」で取った。
「夜霧」があるような時間と場所で自撮りを「やめない」切迫感は、思春期の「きみ」と見守る大人のイメージ。この歌集、「きみ」は恋人じゃなさそうだし。
それから同じ連作にある〈自撮りブスみたいな顔の為政者がまばらにひかり浴びる八月〉の「自撮りブス」が……
待って待って! うーんと、両方主観でも読めるんじゃないかな。
え?
「(自撮りにこだわる行為は可愛いと思えないのに、)でも自撮りやめないきみが(きみだから自分にとって)可愛くて(でも外見的には)可愛く(思え)なくて」っていう葛藤の歌なんじゃないかな。この後も「でも可愛くて、でも」って続く。
あー、「可愛い」って言い切りたいからこその葛藤か! なのに言えないから「夜霧がしみる」=「泣ける」わけだ。
そうそう。まあ自分は、最初の読み方がシンプルで好きだけどね。
今・月・の・う・た
気ちがひといふおどろしき言葉もて人は智恵子をよばむとすなり
高村光太郎『智恵子抄』
暴力のかくうつくしき世に住みてひねもすうたふわが子守うた
齋籐史『魚歌』
サラリーマン向きではないと思ひをりみーんな思ひをり赤い月見て
田村元『北二十二条西七丁目』(本阿弥書店)
過去になる名字に朱色が染み渡る 戻れないことは幸せなこと
高田ほのか『ライナスの毛布』(書肆侃侃房)
パーキングエリア夜こそ美しく(まだ今日だからまだ楽しいね)
ペン助
|
ー 掲・示・板 ー
ペン助のうただよりでは、皆さんからのお手紙をお待ちしています。
作った短歌、短歌にまつわる質問、記事へのリクエスト、短歌に関することなら何でもお気軽に『読書のいずみ』編集部へお寄せ下さい。
編集部へ投稿する
「ペン助のうただより」記事一覧