あの頃の本たち
「かっぱえびせん小説」椰月美智子

かっぱえびせん小説

椰月美智子 Profile

 小説家になるような人は、さぞかし本をたくさん読んできたのだろうと思われがちだが、例外もいる。わたしがその一人である(もしかしたら、例外はわたしだけかもしれないが……)。
 子どもの頃から、ほとんど本を読んでこなかった。家にあったのは、赤本と呼ばれる『家庭の医学』ぐらいだったし、絵本も、記憶する限り二冊しかなかった。
 はじめて本を自分で買って読んだのは、中学一年生のときだ。佐藤さとるさんの『コロボックル物語 ふしぎな目をした男の子』。
 国語の教科書に載っている抜粋小説しか知らなかったわたしは、小説のおもしろさに感激した。村上勉さんの挿絵がまたすばらしく、「コロボックル、うちに来てくれないかなあ」と、目を皿にして家中をさがしたこともあったが、出会うことはなかった。
 中学二年生の頃に、映画でも話題になった『アウトサイダー』(集英社文庫コバルトY・Aシリーズ)に出合い、夢中になった。授業中、ノートにむやみやたらにTHE OUTSIDERSと書いてレタリングしたりして、遠い異国の孤独な不良たちに思いをはせた。
 ─映画館の暗がりから、いきなり外の明るい陽ざしに出たとき、おれの心にあったことは二つだけ。ポール・ニューマンのこと。家に帰ること。─
 という冒頭部分を、未だそらで言えるほど何度も読んだ。友達にもぜひ読んでもらいたくて、なけなしの小遣いから三冊も購入し、一冊は自分用、一冊は貸し出し用、一冊は予備、というふうに、コレクターの基本スタイルを、誰に教わることなくごく自然に行なっていたほどだ。
 次に小説を読んだのは、高校二年生のとき。村上春樹さんの『ノルウェイの森 上・下』だ。友達に「これ、すごいよ」と勧められた。十七歳のわたしは、なによりもセックスの描写に驚き、小説ってこんなエロくていいんだ!という、村上文学云々とはまったく別のところで心を動かされた。
 高校を卒業してからは、ちょくちょくと本を読むようになった。とはいえ、書店で平積みされている、売れ筋の本を手に取るというレベル。そのうちだんだんと、自分の好きなタイプの小説がわかってきて、作家さんの名前も覚えるようになっていった。
 わたしはどんなにおもしろい本でも、一度読むと満足してしまい、同じ小説を再読したいとは思わないのだが(となると、中二のときの『アウトサイダー』には、思春期特有の魔法がかかっていたと思われる)、何度も繰り返し読む本がある。
 レイモンド・カーヴァーの短編集だ。『ノルウェイの森』以来、村上作品は外せなくなり、村上さんが翻訳しているものも手に取っていた。
 短大の頃のことだったと思う。カーヴァーの短編集『夜になると鮭は・・・・』を読んだ。感想は、ひとこと「はあ?」だった。わたしには、よくわからなかったのだ。日常のひとこまが書いてある、ただの出来事。まったくもって、つまらなかった。期待外れで、すぐさま本棚に仕舞った。
 それから何年経った頃だろうか。本棚の整理をしているときにカーヴァーの文庫本が出てきた。あー、これね、ぜんぜんおもしろくなかったやつ、と思いつつ、何の気なしにページをめくってみた。気が付けば、あっという間に読み終わっていた。なぜなら、めちゃくちゃおもしろかったから!
 驚くべきことに、以前読んだときとはまるで違う感想だったのだ。ありきたりな日常のひとこまに隠された、小さな出来事。その不穏さに気付いたとき、これまで見えていた景色がくるりとひっくり返る。ほんのささいな言葉や行動が、彼らの人生の舵を大きく切っていく。
 なかでも、わたしがいちばん好きなのは、「羽根」という短編だ。さえない友人夫婦の家に遊びに行ったことがきっかけで、彼らのその後の人生が変わっていく。孔雀、歯形、不細工な赤ん坊……。ひとつひとつのディティールがすばらしい。
 やみつきになって、何度も読んだ。短編というところも、またよかった。時間がなくても、ささっと読める。あまりに好きで、カーヴァーを真似した短編集も出版させてもらったぐらいだ。
 時を経て、わかる小説がある。時を経なければ、わからなかった小説がある。それを如実に体感できて、わたしはとても幸せだと思う。
 やめられない止まらない、かっぱえびせん小説。レイモンド・カーヴァー短編集は、わたしのバイブルでもある。ちなみに、かっぱえびせんはフレンチサラダ味が最高だ。
 
P r o f i l e


©双葉社

略歴(やづき・みちこ)
1970年神奈川県生まれ。小説家。
2001年『十二歳』で第42回講談社児童文学新人賞を受賞し、02年にデビュー。07年『しずかな日々』で第45回野間児童文芸賞、第23回坪田譲治文学賞を受賞。17年『明日の食卓』で第3回神奈川本大賞を受賞。『14歳の水平線』『るり姉』(双葉文庫)、『さしすせその女たち』『つながりの蔵』(KADOKAWA)、『伶也と』(文春文庫)、『その青の、その先の、』(幻冬舎文庫)、『ダリアの笑顔』『未来の手紙』(光文社文庫)、『恋愛小説』(講談社文庫)他多数。最新刊は、『緑のなかで』(光文社)。


『緑のなかで』
光文社/本体1,500円+税

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