読書マラソン二十選! 157号

〜第14回全国読書マラソン・コメント大賞 受賞作品〜

★2018年6月1日〜10月5日まで開催されたコメント大賞の応募数は3,266通。今年も個性豊かなコメントが多数寄せられました。今回の読書マラソン二十選!は11月1日の選考会で選ばれた金賞・銀賞・銅賞・アカデミック賞、そしてナイスランナー賞から一部のコメントをご紹介します。

主催:全国大学生活協同組合連合会
協力:朝日新聞社・出版文化産業振興財団(JPIC)

 

  • 『時をかけるゆとり』
    朝井リョウ/文春文庫

     大学生になり、挑戦できることの幅が広がった。けれど、何から始めていいのか、分からない。失敗したら恥ずかしいし、なんて考えていた。そんなとき、この本と出会った。笑った。初めて本に向ってツッコんだ。そして「思いついたことを素直にやってみたらいいじゃない。失敗してもいいじゃない。笑い話にしてしまえば!」と背中を押してくれているような気がした。私が持っていた挑戦へのイメージがとても明るくなった。富士登山ツアーに、一人で参加、モンゴル人の方と友達になれた。借りた自転車の返却時間を気にしながら琵琶湖を一周したり、言葉の通じないタイの田舎でホームステイをしたりもした。少し挑戦するだけで、見える世界はとても広くなる。挑戦する勇気をくれたこの一冊を、私と同じ様に少し立ち止まっている人に読んでほしい。
    (立命館大学/ monako)

  • 『さよならクリームソーダ』
    額賀澪/文春文庫

     炭酸水の中に入ってみたい。小さな小さな無数の泡が身体中にはりついてはじけ、永遠に続くパチパチした感触に身を委ね、溶けてしまいたい。自殺願望ではなく、誰とも会いたくなくなったり、急に独りになりたくなる時があります。本作では、家族や友だちなどの密の濃い人間関係について考えさせられました。いくら一緒にいるのが苦ではない相手でも気を遣ってしまう時、「良い子」を人に見せるのがすっかり板についてしまっている時。周りに良い顔をすること、空気を読むことに疲れてしまったら、この作品を読んでください。きっと、心が軽くなります。そして、きっとクリームソーダを飲みます。
    (東北学院大学/アイスクリーム先生)

  • 『ぼちぼちいこか』
    マイク・セイラー=文
    ロバート・グロスマン=絵〈今江祥智=訳〉/偕成社

     この本は小さい頃の寝る前の絵本読み聞かせレパートリーの1冊だった。就学前の気楽なお子ちゃまであった私はカバ君の愉快な失敗と母のネイティブな関西弁とを何も考えずに楽しんでいた。しかし半年程前、間もなく最終学年へと進級しようという頃、すなわち就活を目前に控えた頃にふと再読した時にはそんな楽しみ方はできなかった。本屋で見かけ、懐かしさからつい立ち読みしていると、子どもの頃は面白いとだけ思っていた内容がグサグサと刺さること刺さること。「あれになれるやろか」→「アカンかった」、「これになれるやろか」→「ムリやったわ」の繰り返しに就活戦線でことごとく返り討ちにあう自分の未来をかさねてしまい、読み終える頃には私の心は落ち武者かハリネズミのようになっていた。しかしこれだけ刺されまくったからこそ、最後の焦らずマイペースで「ぼちぼちいこか」というフレーズが心にしみるのだろう。
    (帯広畜産大学/万能葱)

  • 『マイ国家』
    星新一/新潮文庫

     彼の物語はいつも銀色の味がする。それはとっても香ばしくて、私の胃袋を刺激する。彼はいつも少し未来の話をする。辺りにスパンコールが散りばめられているような、目のチカチカする物語。それはとってもフルーティーで、やっぱり私の胃袋を刺激する。異質なのにどこか人間的。無機質なのに生温かい。だから引き込まれる。直線では終わらない。斜め46°から入りこんでくる文字たち。この現実の闇を映し出した夢の世界。奇妙奇天烈。奇想天外。最初は全く見えないのに、最後の最後で私の目をこじ開ける。後味の悪い、でも爽快な、アベコベパラダイス。私の脳内、いつの間にか宇宙。君の脳内も、あっという間に銀河系。ゾワっとワクワク。ドキドキバキューン。美味しすぎるから、もう止まらない。
    (法政大学/向日葵)

  • 『おとな小学生』
    益田ミリ/ポプラ文庫

     ずっと子どものままでいられたらなあ、なんて思ってはや幾年。いつのまにか大学卒業間近である。最近は子どものころの記憶も薄れてきてしまった。だけど先日、こんな話を聞いた。「子どもの感性を失えば、つまらない大人になってしまう」。がーん……。このままではいけない、そう思っていたとき、この本に出会った。読んで、いろいろ思い出した。たとえば、当時ふたごのねずみの絵本がすきだったこと。海に行く話は、貝がらが宝石のように美しかったなあ……。よかった、子どものころのきもち、まだ残ってる。ときどきそっと思い出してみよう。これからもよろしくね、小さい私。
    (岡山大学/るーしー)

  • 『寝ながら学べる構造主義』
    内田樹/文春新書

     この本を読むまでは、自分の思考や感情は自分の内側から出てくる自由なものだと思っていた。しかしこの本を読んで、本当は社会システム等といった自分の外部にあるものが自分の内面を操作していると知り、ショックだった。自分の外的環境が自分の想いを決めるのであれば、意識的に勉強したり見聞を広めたりして少しでも自分の内面を豊かにしたいと感じた。勉強しなかったがために自分の考えが貧弱なままであり、ひょっとしたら貧弱であるということさえ気付けずに一生を終えてしまうかもしれないのは、あまりにも勿体なさすぎる。
    (岡山大学/proton)

  • 『管理される心』
    A.R.ホックシールド
    〈石川准・室伏亜希=訳〉/世界思想社

    「ありがとうございました」とびっきりの笑顔を駆使し、誰かのために生きている。レジ打ちのアルバイトをして、何年経つのだろうか。私たちは適切な感情を求められる。結婚式で喜んだフリ、お通夜では悲しんだフリ、いつから演技者になったのだろうか。また、客室乗務員や店員に対して、「笑顔」を期待するのはなぜだろうか。私たちは知らない間に、つくり笑顔をすることに慣れ、また、笑顔で接客することを要求しているのではないだろうか。このような感情まで搾取してよいのか。私はこの本を通じて、感情労働のありふれた社会に疑問を持つようになった。感情は自分のモノである。世間が求める適切な感情と違っていたとしても、私は自分の感情に従って生きたいと思う。
    (京都大学/のだめっこ)
ナイスランナー賞は、総数200点が選ばれました。 今回はその中から13点をご紹介します。

  • 『ハーモニー』
    伊藤計劃/ハヤカワJA文庫

    「死」は「生きている証」である。「それは脳死状態を指すのか」とか「生きていた証の間違いじゃないのか」といった風旙之論が飛び交うだろう。だからこそ問いたい。「死」という圧倒的な事実を前にして「生きている」ことの絶対的論拠はどこにあろう。「完璧」と謳われた、システムや共同体なるものが「完全」であることを証明できる人間はどこにいよう。彼女は、やさしさが絡みついたこの世界が「不完全」であることを、人間の「死」を通して証明したのだ。「生」という事象において「完全」なものは「死」だけであることを証明したのだ。進んだ時代が常に正しいとは限らない。彼女の意思を「完成」された文字に起こしたこの一冊が、現代社会への警鐘となるだろう。
    (北海道教育大学/羽)

  • 『ビロウな話で恐縮です日記』
    三浦しをん/新潮文庫

     あなたは日記を書いたことがあるだろうか。ちなみに私はない。理由は単純明快、「誰かに見られたら恥ずかしいから」だ。だって日記って他人に見せることを前提として書くものじゃないし、自分の、人には見せられないような部分を書き記したものだもの。私の日記が家族や友だちに見つかって、私の知らないところでそれが読まれる……ああ、考えるだに怖ろしい。だから、この本を読んで思ったのだ。「三浦しをん先生はすごいな」と。自分の日記を、こんな風に惜し気もなく、私たちに見せてくれるなんて。しかも内容が面白い。人の日記って、読んだら面白いのだ。そりゃそうだ。その人の日々や考えたこと、価値観、内面、魂が、日記には綴られているのだから。誰かの楽しみになれるなら、日記を書くのも悪くないかなと思った。……だからって、すすんで人に見せるほどの勇気は無いけども。
    (大阪市立大学/みなと)

  • 『言えないコトバ』
    益田ミリ/集英社文庫

     言葉は、時代を越えて変わっていく。昨日まで使っていたものが、1日にして古くなってしまうことさえある。近年、日本語の乱れが話題になっているが、一方で表現の幅が広がっていると考えられないだろうか。案外、身の回りには「このコトバが登場するまで、一体、なんて言ったんだっけ?」という言葉が見つかる。著者は「新しいコトバを取り入れている人に会うと柔軟性」を感じると言うが、たしかにそうかもしれない。私たちは日々、無意識の柔軟性によって新たな言葉の文化をつくり、反対にこれまでの文化を殺してしまっているのかもしれない。この本の中の言葉は、果たして未来でも通用するのだろうか。
    (長崎純心大学/ぽい)

  • 『終わりと始まり』
    ヴィスワヴァ・シンボルスカ
    〈沼野充義=訳〉/未知谷

     詩は、言葉の帯が韻や警句をからめとりながら層状に折り重なったものだ。地下で何万年も温められた末に顕現した鉱物のようである。炭素が高温で圧縮されて生まれたダイヤモンドのように、詩は硬い。その詩を自らの心と幾多の書物でときほぐしていく。すると、凝縮されていた詩人のまなざしや思いが立ち現れる。もったいぶって書いたが、シンボルスカの語り口はやさしい。親戚のおばさん、という感じである。しかし、文献は必要なくとも、日常生活で如何に思索しているかが問われてしまう詩である。
    (津田塾大学/モニィ)

  • 『白の闇』
    ジョゼ・サラマーゴ〈雨沢泰=訳〉
    /NHK出版

     ポルトガルの小説。突然発生した視界が真っ白になる失明病により、世界中の人びとがそれに感染していく。人々が失明した社会を描くことで、人間の本性、みにくさをあぶりだしていく作品。あなたが、同じように目が見えなくなったら、どうする?と問いかけられているようでした。見えていることを前提につくられた現代社会。「見える」ということはどういうことか。見なければいけないこと、本当に「見えているのか?」考えさせられる作品です。
    (早稲田大学/Ciel)

  • 『人間失格』
    太宰治/新潮文庫

     大丈夫だよ、なんて軽々しく言うな。
    誰が自分の葛藤を知っているのだ。
    もがき、闘い、血反吐をはけども、
    失格の烙印が押される──。
    生が描く痛み、無垢な発狂、「罪と蜜」。
    この愛おしくて狂おしい物語は、
    万の頭をもつにちがいない。
    (慶應義塾大学/C.K)

  • 『カラマーゾフの兄弟 全四巻』
    ドストエーフスキイ〈米川正夫=訳〉/岩波文庫

    「小説なんて読んで意味あるの?」と聞いてくる人がたまにいるが、僕はいつも「そうか、この人はまだカラマーゾフを読んでいないんだな」と思う。カラマーゾフを一度でも読了した人ならこの種の疑問は抱かないはずだからだ。毒々しい感情表現や冗長とも思える会話劇も、巧みなキャラ配置とストーリー展開、含蓄に富んだ台詞によってむしろ魅力的になり、極め付きの「大審問官」では「人間とは何か」という究極な命題に対するドストエーフスキイなりの回答を与えている。この激烈な物語を知ってしまったら、小説という世界にのめり込んでしまう“毒書"ではあるが、小説を読むことに、意味を見出すことができるだろう。
    (北海道大学/1839 北面直登沢)

  • 『本屋さんのダイアナ』
    柚木麻子/新潮文庫

     人生ってうまくいかない。愛情たっぷりに育ててもらった実感はあるのに、私はどうしてこんなに捻くれたかなぁと、空を仰ぐときもある。それでも、私は自分の人生になんだかんだ期待しているのだ。この物語の二人のヒロインが、片や自分の名前のコンプレックスで悩み、片や両親への反発心に翻弄されても、ついには立ち直って人生を切り開いたように。山あり谷あり、けれど諦めなければきっと未来を掴み取れると、彼女たちが身をもって教えてくれた。人生は曲者だ、だからこそ、愛おしい。夢を叶えたヒロインの笑顔を思い浮かべながら、私という一度きりの人生を精一杯に駆け抜けたい。
    (立命館大学/あきら)

  • 『夜のピクニック』
    恩田陸/新潮文庫

     あの人に会いたくなった。ふと、あの人だったら、何て言うかな、あの人だったら笑っていつものようになぐさめてくれるかなと、登場人物を片想いの彼に当てはめて読み進めていく自分がいた。言えなかった言葉、後悔してからでは本当に遅い。若かったあの頃、若すぎたあの頃、だからって言い訳は出来ない。自分の気持ちに嘘をついちゃ、ダメだ。今があるなら、そこに君がまだいるなら、気持ちを伝えたいと思った。
    (愛知大学/おくもも)

  • 『重力アルケミック』
    柞刈湯葉/星海社

     私が大学に入って間もない頃、よく耳にした言葉がある。
    「あなたたちは生徒ではなく学生です」
    当時は理解できなかったが、この本に出会えた今ならわかる。授業を受けるだけが学問ではない。高校生活の延長としてではない大学生活を送りたい人にこそ読んでほしい。読めば、きっと変わる。ああ、学問って深くておもしろい!!
    (同志社大学/めろんぱんな)

  • 『読書の価値』
    森博嗣/NHK出版新書

     本選びにおいて森さんは「本と人は同じような存在なので、人におすすめされた本を読むのではなく、友達を選ぶように自分で本を選ぶことが大切である」という持論を展開している。お勧めされた本をよく読む私も、確かにそうだと納得。友達と仲良くなる時、基本は「話しかけてみようかな」と決心して仲良くなるように、主体は自分である。本も「これ読んでみようかな」という感情が大事なのかもしれない。このような読書に関することを、エピソードを交えつつ分かりやすく説いているこの本を、読書好きの方にも読書が苦手な方にもお勧めしたい(私はあなたにこの本をお勧めするが、あなたはこの本を読むだろうか)。
    (愛媛大学/海月)

  • 『夢があふれる社会に希望はあるか』
    児美川孝一郎/ベスト新書

     小学生の時、簡単には宇宙飛行士になれないと父に教わった。中学生の時、ずっと好きだった女の子に振られた。高校生の時、第一志望校は諦めろと担任の先生に肩を叩かれた。これまで幾多の挫折を味わってきた僕たちは、夢があふれる社会が希望に満ちているばかりではないことを知っている。けれど、俯く顔をあげた先にいる、がむしゃらなあいつの姿は、目を背けたいほどにバカバカしくて、でもやっぱり羨ましいほどにキラキラしている。夢の両義性を自らの人生に突きつけ、夢との向き合い方を学べる一冊である。
    (名古屋大学/N.Y.)

  • 『先生は教えてくれない大学のトリセツ』
    田中研之輔/ちくまプリマー新書

     大学での学びとは何か。それが分からないために高い学費を払ってまで講義のたびに後ろの席を選び、雑談や睡眠、携帯電話でSNSやゲームをするのではないか。大学ではどのようにデザインしていくかを教えてはくれない。そもそも自分は何に好奇心がわくのか、どのように学んでいきたいのかについて本書では向き合っていく。ほかにもプレゼンの苦手意識の克服法や、バイトやインターンの魅力など、大学では学べないことが濃縮されている。この一冊を読み終えた頃、あなたの意識は大きく変わり、充実した学びを手にしているはずだ。
    (北海道教育大学/Shellie)

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