かつて雪の降る街で暮らしていました。「冬」という文字を見て最初に連想するのが「雪」なのは、そのためかもしれません。ふわりとした白く冷たいかたまりは、記憶をしまっておく抽斗の中に降り積もって、いまでも溶けないままでいます。
滅多に雪の降らない街に住んでいた幼いころ、雪はひとつの憧れでした。冬のおやすみに家族で県外のスキー場に出かければ、一面の銀世界に歓声を上げ、ゆきだるま作りやそり遊びに励んだものです。普段の生活の中で雪に触れる機会があまりなかった当時のわたしは、絵本の中で雪と触れ合うのがすきでした。
『ゆきのひのゆうびんやさん』(こいで たん=文・こいでやすこ=絵/福音館書店)は、すきだった絵本の中の一冊です。『ゆきのひのゆうびんやさん』は、三匹のねずみの家に、ゆうびんうさぎさんが小包を届けに来てくれるところから、物語がはじまります。季節は冬で、外は雪。風邪をひいてしまって辛そうなゆうびんうさぎさんに代わって、三匹のねずみたちが急遽郵便配達をすることになります。雪の中、荷物をそりに乗せて運ぶのは、それはそれは大変なことです。しかし当時のわたしの生活の中には「雪」という存在がほとんどありませんでしたので、雪の中三匹のねずみがそりで郵便配達していく様子を「たのしそう!」などと心をときめかせながら、眺めていました。雪の降る街での生活を経た現在、当時のわたしに対し「なんと呑気なことか」と思ってしまいますが、雪国での生活を知らなかったのですから仕方がありません。いくら本で読んで知ったつもりになっていても、実際に体験しなければわからないことというのは、きっとたくさんあるのだと思います。
わからないことと言えば、大学に身を置いていても自分の研究分野以外のことは、案外ちっとも知らなかったりします。そう考えると、大学一年生のときにとっていた「教養科目」は、幅広い分野に触れることができる、数少ない機会だったのかもしれません。
「雪の結晶はすべて六角形である」ということは、雪に関する講義を通じて知りました。わたしが大学一年生のとき、雪にまつわるあれこれを学ぶことができる面白い講義が、教養科目として開設されていたのです。雪の結晶は湿度や温度によって違った形になりますが、それでも六角形であるということは変わらないのだそうです。化学に明るい方にとっては「雪の結晶は六角形である」ことはもしかしたら当然のことなのかもしれませんが、当時のわたしにとっては驚きでした。そもそも、その講義を受講するまでは「雪の結晶が何角形であるか」など、意識したことがなかったのです。雪の結晶をモチーフにしたイラストやアクセサリーなどは、度々目にしていたはずなのにです。
『雪は天からの手紙』(中谷宇吉郎〈池内了=編〉/岩波少年文庫)は、雪の結晶の研究で知られている物理学者・中谷宇吉郎さんのエッセイ集です。もちろん雪に関することにも触れられているのですが、特に印象的だったのは「立春の卵」というエッセイです。1947年に「立春の日だけは卵を立たせることができるらしい」と、新聞が取り上げたことで大きな話題になったそう。ですが実際には立春に限らずとも、落ち着いて取り組めば誰でも卵を立たせることはできるのです。そのことを実際に(立春ではない日に)確かめた中谷さんは、このように書いています。
「何百年の間、世界中で卵が立たなかったのは、みなが立たないと思っていたからである。人間の目に盲点があることは、誰でも知っている。しかし人類にも盲点があることは、あまり人は知らないようである。卵が立たないと思うくらいの盲点は、大したことではない。しかしこれと同じようなことが、いろいろな方面にありそうである」
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