卒業生のひとりごと
4. 雪の日 門脇みなみ


 かつて雪の降る街で暮らしていました。「冬」という文字を見て最初に連想するのが「雪」なのは、そのためかもしれません。ふわりとした白く冷たいかたまりは、記憶をしまっておく抽斗の中に降り積もって、いまでも溶けないままでいます。

 滅多に雪の降らない街に住んでいた幼いころ、雪はひとつの憧れでした。冬のおやすみに家族で県外のスキー場に出かければ、一面の銀世界に歓声を上げ、ゆきだるま作りやそり遊びに励んだものです。普段の生活の中で雪に触れる機会があまりなかった当時のわたしは、絵本の中で雪と触れ合うのがすきでした。
ゆきのひのゆうびんやさん』(こいで たん=文・こいでやすこ=絵/福音館書店)は、すきだった絵本の中の一冊です。『ゆきのひのゆうびんやさん』は、三匹のねずみの家に、ゆうびんうさぎさんが小包を届けに来てくれるところから、物語がはじまります。季節は冬で、外は雪。風邪をひいてしまって辛そうなゆうびんうさぎさんに代わって、三匹のねずみたちが急遽郵便配達をすることになります。雪の中、荷物をそりに乗せて運ぶのは、それはそれは大変なことです。しかし当時のわたしの生活の中には「雪」という存在がほとんどありませんでしたので、雪の中三匹のねずみがそりで郵便配達していく様子を「たのしそう!」などと心をときめかせながら、眺めていました。雪の降る街での生活を経た現在、当時のわたしに対し「なんと呑気なことか」と思ってしまいますが、雪国での生活を知らなかったのですから仕方がありません。いくら本で読んで知ったつもりになっていても、実際に体験しなければわからないことというのは、きっとたくさんあるのだと思います。

 わからないことと言えば、大学に身を置いていても自分の研究分野以外のことは、案外ちっとも知らなかったりします。そう考えると、大学一年生のときにとっていた「教養科目」は、幅広い分野に触れることができる、数少ない機会だったのかもしれません。
「雪の結晶はすべて六角形である」ということは、雪に関する講義を通じて知りました。わたしが大学一年生のとき、雪にまつわるあれこれを学ぶことができる面白い講義が、教養科目として開設されていたのです。雪の結晶は湿度や温度によって違った形になりますが、それでも六角形であるということは変わらないのだそうです。化学に明るい方にとっては「雪の結晶は六角形である」ことはもしかしたら当然のことなのかもしれませんが、当時のわたしにとっては驚きでした。そもそも、その講義を受講するまでは「雪の結晶が何角形であるか」など、意識したことがなかったのです。雪の結晶をモチーフにしたイラストやアクセサリーなどは、度々目にしていたはずなのにです。
雪は天からの手紙』(中谷宇吉郎〈池内了=編〉/岩波少年文庫)は、雪の結晶の研究で知られている物理学者・中谷宇吉郎さんのエッセイ集です。もちろん雪に関することにも触れられているのですが、特に印象的だったのは「立春の卵」というエッセイです。1947年に「立春の日だけは卵を立たせることができるらしい」と、新聞が取り上げたことで大きな話題になったそう。ですが実際には立春に限らずとも、落ち着いて取り組めば誰でも卵を立たせることはできるのです。そのことを実際に(立春ではない日に)確かめた中谷さんは、このように書いています。
「何百年の間、世界中で卵が立たなかったのは、みなが立たないと思っていたからである。人間の目に盲点があることは、誰でも知っている。しかし人類にも盲点があることは、あまり人は知らないようである。卵が立たないと思うくらいの盲点は、大したことではない。しかしこれと同じようなことが、いろいろな方面にありそうである」

(『雪は天からの手紙』205頁)
 現代でも、似たようなことがあります。些細な冗談が「ほんとうのこと」として誤って拡散されてしまったり、メディアが報道している情報を鵜呑みにしてしまったり。多くの人が支持していることを「正しいこと」と思ってしまったり。「立春の卵」のようなことを繰り返さないためには、各々できるだけ幅広い分野の基礎的な知識をつけておくことが、大事なのではないでしょうか。「雪の結晶が六角形である」ということを知らなければ、八角形の雪の結晶の絵を見たときに、違和感に気づくことはできません。そして「人類には盲点がある」ということを、憶えておくこと。人は色々なことをすぐに忘れてしまうので、できるだけときどき思い出すこと。それだけでも、「立春の卵」のような事態は回避することができる(とまではいかなくても減らすことくらいはできる)ように、なるのではないでしょうか。

 本当に、人は、たくさんのことを忘れてしまいます。記憶からこぼれ落ちてしまったエピソードは、ひとりの人間につき、きっと数えきれない程あるのでしょう。わたしの中に積もっているたくさんの雪の記憶も、時間とともに溶けていくのかもしれません。その後に残るものは、一体何でしょう。なにか、あたたかいものだったら良いなと思います。例えば、雪の日に飲むココアのような。あるいは、凍えた身体を優しく包み込んでくれる、ふかふかのお布団のような。


  • こいで たん=文・こいでやすこ=絵
    『ゆきのひの
    ゆうびんやさん』

    福音館書店
    本体900円+税


  • 中谷宇吉郎〈池内 了=編〉
    『雪は天からの手紙 
    中谷宇吉郎エッセイ集』

    岩波少年文庫
    本体720円+税
 
P r o f i l e
門脇みなみ(かどわき・みなみ)
『読書のいずみ』卒業生。ゆきだるまよりかまくら派です。

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