あの頃の本たち
「喪失感とともに」澤村 伊智

喪失感とともに

澤村 伊智 Profile

 社会人になって二年目の頃だった。上京し、とある出版社に潜り込み、金髪で腕に刺青がいくつも入った先輩に怒られたり、別の先輩が悪事を働いて逮捕され、隣の編集部も巻き込んで対応に追われたりしていた、二〇〇五年かその辺り。
 図書館でふと手にした海外SFアンソロジー『この不思議な地球で─世紀末SF傑作選』に入っていた一篇に衝撃を受けた。バズビイ著、北沢克彦訳「きみの話をしてくれないか」。近未来の歓楽街にある「死体と遊べる店」に、軽い気持ちで足を踏み入れた男の物語だ。届きたての少女の死体に男は魅了され、やがて理性を失っていく。死んでいる彼女から話を聞きたいと望むようになる。
 SFの形式で屍体性愛を描いた話に打ちのめされた。すぐさま購入して繰り返し読んだ。異様に見えて普遍的な物語にのめりこんだ。
 それからしばらく経って、少し仕事が落ち着いた頃。久々にミステリを読もうと手にしたのが、殊能将之『ハサミ男』。女子高生を次々惨殺し、マスコミに「ハサミ男」と呼ばれている連続殺人犯が、自分の模倣犯の存在を知り、その正体を探る話だ。サイコスリラーの形式でサイコスリラー自体を皮肉り、衒学趣味に溢れながらも洗練された物語に唸らされ、笑い、驚き、没入した。すぐに書店に走って殊能氏の既刊を買い漁った。というより、氏のテキスト全てを摂取しようとした。
 岐阜の寒村で起こった連続見立て殺人事件を探偵が解き明かす、横溝リスペクトの『美濃牛』。初読では悪ふざけのような真相に激怒したが、気付けばまた読み返していたアリバイトリックものの『黒い仏』。新本格というジャンル、探偵という存在への皮肉と敬意が、「知性の否定」「陳腐なオチ」にまで極まる『鏡の中は日曜日』。痛快で馬鹿馬鹿しく楽しい密室ものの『キマイラの新しい城』。子供向けにしてはあまりに苦い『子どもの王様』。氏が編纂した異端のSF作家アヴラム・デイヴィッドスンの短編集『どんがらがん』の解説。そして氏の個人サイトで連日連夜アップされる身辺雑記、テレビ番組や小説や音楽の批評、自作料理のレシピ。
 どの文章にも知性とユーモアと毒気が溢れていた。それでいて無邪気で通俗的だった。小説本文と、難解なSF小説の批評と、テレビ番組や芸能人について茶々を入れている時のテンションが全く同じ──と表現すれば、その不思議さと魅力が理解いただけるだろうか。例えば近所の物知りお兄さんの話を聞いているような、妙な親しみが感じられた。自炊するようになった理由の一つは確実に殊能氏の影響だ。また、氏の見事な解題をサイトで読んでいなければ、法月綸太郎『生首に聞いてみろ』の偏執的な構造に気付かず、「地味な話だなあ」としか感じなかっただろう。読める全てのテキストを読み終えた頃、氏は既に小説を書かなくなっていたが、多くのファンと同じように私は氏のネットでの発言を楽しく読み、新刊を待った。
 氏の訃報を知ったのは何度目かの既刊再読の最中だった。SNSでの発言すら途絶え、少しばかり不安を覚えた矢先のことだ。
 初めて「メディアの向こうにいる人」の死に悲しみを覚えた。正直に言うと母方の祖父が亡くなった時より辛かった。月並みな比喩だが、心にぽっかり穴が開いた気がした。
 ファンや関係者のネットでの発言を読み漁り、氏の大学生時代のテキストを集めた名古屋大学SF研究会の自費出版本も読んだ。その過程で私は意外な事実を知る。
 あの「きみの話をしてくれないか」を翻訳した北沢克彦なる人物は、デビューする前の殊能氏だったのだ。リンクすると思ってもいなかったものがリンクし、運命的なものを感じたが、もちろんこれは単なる偶然だ。意味などない。ただの偶然に神秘性や意味を見出す通俗オカルト信奉者を、氏は『ハサミ男』で痛烈に皮肉っていた。自分もそれに倣いたい。だがそう思っていても、私はこうした符合に意味を求めてしまう。愚かなことだと分かっていても止められない。
 小説で口を糊するようになった今、原稿を書き終える度に、私は「殊能さんがお読みになったら何と仰るだろう」「どんな感想や批評をネットに上げてくださるだろう」と夢想する。氏の興味の範囲外であるはずの、所謂ホラーを書いてもそう空想してしまう。そして開いたままの胸の穴と、消えない喪失感に気付く。
 どれだけ多くの方に読んでもらえても、ずっと小説を書き続けることができたとしても、殊能氏には永久に読んでもらえず、感想を聞かせてもらうこともできない。編集者に頼めば墓前に自著を供えたり、手を合わせたりできるかもしれないが、そうしたところで氏が語りかけてくれたりはしない。少女の死体が男に、決して自分の話をしないのと同じだ。
 先日上梓した『予言の島』は孤島の連続怪死事件を扱ったミステリ長編だが、ある故人の遺した言葉に翻弄され、ただの偶然を運命だと解釈してしまう人々の物語でもある。殊能氏の著作を読んでいなければ書けなかった話だ。この本も決して氏には読んでもらえないが、それでも書かずにはいられなかった。

 
P r o f i l e

略歴(さわむら・いち)
1979年大阪府生まれ。小説家。
2015年、『ぼぎわんが、来る』(受賞時のタイトルは「ぼぎわん」)で第22回日本ホラー小説大賞〈大賞〉を受賞。同作は2018年「来る」のタイトルで中島哲也監督により映画化。デビュー後第一作『ずうのめ人形』が第三十回山本周五郎賞ノミネート。
『予言の島』
角川書店/本体1,600円+税

■著書に、比嘉姉妹シリーズ『ぼぎわんが、来る』『ずうのめ人形』『などらきの首』(角川ホラー文庫)、『ししりばの家』(角川書店)、『恐怖小説キリカ』(講談社)、『ひとんち澤村伊智短編集』(光文社)がある。最新刊は、『予言の島』(角川書店)。共同事務所「高円寺オフィス」在籍。

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