読書マラソン二十選! 160号


夏の酷暑で疲れた身体と脳を、活字のシャワーで癒してあげましょう。今回の二十選も、昨年のコメント大賞応募作品のなかから20点をピックアップしてご紹介します (今年の全国読書マラソン・コメント大賞は10月31日まで絶賛受付中!)。

【お詫びと訂正】
季刊『読書のいずみ』159号「読書マラソン二十選!」掲載、『忘れられた巨人』のコメント筆者の所属大学とお名前に誤りがありました。誠に申し訳ございません。
訂正をして、本号(P.36)に再掲載させていただきました。
(誤)大阪市立大学/みなと→(正)京都府立大学/ひだまり
 


  • 『太陽の坐る場所』
    辻村深月/文春文庫

     悪夢を見たあとのような、身体中がべとべとするまで嫌な汗をかいたような感覚。この本を一冊読み終えたとき、私はあまりの苦しさに息ができなかった。高校は、瑞々しく、美しく、そして時に残酷だ。教室は狭く、決して逃れることはできない。その中で高校生たちが紡ぐ言葉は、鋭いナイフのように私の心に突き刺さる。でも、この、心から血が流れる感覚が愛しくて、感動的で、美しいから、私は、また、辻村深月を読んでしまう。
    (早稲田大学/てこ)

  • 『樹上のゆりかご』
    荻原規子/角川文庫

     「名前のない顔のないもの」とは何か? 自主性を重んじる伝統校にただようこの閉塞感……男子は気づかない。女子は感じている。偽善、欺瞞、学校は社会の縮図である。現代日本社会に深く根付く男女格差の問題に通じるものがある。いくら制度やルールが男女平等につくり変えられたとしても、人々の意識が変わらなければ、空気が変わることはない。男女が対等な立場に立つために、何を考えどのように行動すべきなのか、作中の高校生たちの葛藤、選択、覚悟に触れて自らも考えてみると良いだろう。
    (早稲田大学/さゆり)

  • 『きみはポラリス』
    三浦しをん/新潮文庫

     裏に記載されているあらすじを読んで目頭が熱くなったのは初めてだった。この本には、様々な愛の形が綴られている。1つ1つの話に大きく感情が揺さぶられ、恋って素敵だなと思ったり、誰かと生活を共にするのは窮屈そうだと感じたり、恋愛そのものが恐ろしくなったり。止まらないブランコに乗っているような気分だった。見つかることのない恋愛の答えを探すことを人は永遠にやめられないのだと思う。どの話も、登場人物に感情移入せず読み進めた。この本を、私の恋愛の教科書の一冊にしたいと思う。
    (法政大学/さのやま)

  • 『雪の鉄樹』
    遠田潤子/光文社文庫

     大学には「キョロ充」という言葉がある。常に周囲の目を気にしてキョロキョロしながら、「自分は充実した生活を送れている」とアイデンティティを満たす人のことを揶揄して言うらしい。無理してまでアイデンティティを満たそうとすることをなんて愚かなと嘲るのは簡単だが、自分だって周りを気にせず孤高になることなんてできない。人は一人では脆弱で、他者に認めてもらうことでしかアイデンティティを形成できないのかもしれない。
     自分を認めてもらえなかった人間が、この本には多く存在する。存在を認められず、どこかが壊れてしまった登場人物たちが、対話し、遊び、失望し、傷つけあっていくなかでお互いを認めあっていく様子は美しく、心が打たれる。裏表紙のあらすじの中に書かれている「再生」という二文字が、この物語にはぴったりだと思った。
    (埼玉大学/ホットポコ)

  • 『円卓』
    西加奈子/文春文庫

     こっこちゃんは、大家族に愛されて暮らす小学3年生。「うっさいんじゃぼけ」「なにがおもろいねん」ちょっと口が悪い。「人と違う」ことに憧れる彼女の感性で素直に捉えると、不整脈、吃音、在日韓国人、かっこいい! 平凡なんて、つまらへん。こっこちゃんが、ひと夏でぐんと成長するに伴って、彼女から見える世界は目まぐるしく変化する。それは生々しくて、懐かしくて、くらくらしてしまう。著者の滑らかで小気味良い関西弁が、自分もこっこちゃんのように見守られて成長してきたこと、こんな風に少しシビアできらきらした世界にはもう戻れないことに気づかせてくれます。
    (信州大学/天木絵理)

  • 『きよしこ』
    重松清/新潮文庫

     違う。どれも違う。少年にとっての吃音は。病気として扱われるのも、コンプレックスとして捉えるのも。「大丈夫だ」と励まされるのも、「気にするな」とあしらわれるのも。文章でなら。手話でなら。通訳がいれば。それも、なにか違う。誰にも打ち明けられず、自分でもよく分からない。少年は、孤独と戦っているように私は感じた。“少年" という時期。将来への漠然とした不安と夢。少年が青年へと変わる際に選んだ道に、私は勇気をもらった。この勇気は、いつか私が壁にぶつかった時に、背中を押してくれるように感じた。
    (徳島大学/たーる。)

  • 『青くて痛くて脆い』
    住野よる/角川書店

     なりたい理想の自分とは? 未来には無限の可能性があり、そこにいろんな理想を描く。その理想に向かって、ただひたすらに、まっすぐ、まっすぐ突き進む。そんな団体があればいいな、という理想のもと、秋好と僕でつくったのが「モアイ」。
     私たちはまだ青い。未熟な存在だ。だからこそ、今、傷つけられて、傷ついて、傷つけて。その傷口から甘く、熟すことができるのではないのだろうか。この一冊を読み終えたとき、私のこころは心地よく痛かった。
    (名古屋大学/まっちゃ)

  • 『乳と卵』
    川上未映子/文春文庫

     「読むたびに感じ方が変わる」とよく言うが、この小説は違った。成人を迎え、1年越しに再読した私を襲ったのは、当時とほとんど変わらぬ衝撃であった。豊胸手術を考える母と、初潮に戸惑う娘、2人の女が抱える性の悩みがリアルに綴られる。その表現の生々しさを掻き消すかのように、関西弁の軽快なテンポが常に読者をリードする。何かに取り憑かれたようにページをめくる手が止まらない。そしてラストでは、やはり、親子の絆を確かめる玉子の投げつけ合いが炸裂するのだ。何度読んでも私はこの作品に終始支配され、圧倒されるのだった。
    (静岡大学/マリリンモンロー)

  • 『シアター!』
    有川浩/メディアワークス文庫

     舞台観劇が好きな私にとっては少しだけ胸が痛むお話だった。商業演劇はどうしたってお金の問題がある。私は「この舞台を成功させたい!」「次はあの大きな劇場に立ちたい!」とキラキラと夢を語る彼を応援したいけど、「がんばって!」と言うだけではなくて、収益という結果を持たせなければいけない。1つでも多く席を埋めなければ。そんな知っているけど知らないふりをしていた部分をありありとみてしまった気がして、「シアターフラッグ」のファンでもないのにとにかく見に行かなきゃ!と感情移入してしまった。
    (長崎純心大学/匿名)

  • 『われはロボット』
    アイザック・アシモフ〈小尾芙佐=訳〉
    /ハヤカワ文庫

     科学が大きく進歩し、優れた頭脳を持つロボット達が生み出された世界。そんな世界の中で、完璧なはずのロボット達が引き起こす騒動は、ロボットの脅威というよりも、むしろ高度な技術に振り回される人間の滑稽な姿を浮き彫りにする。今、AI技術やロボット技術の発達は著しい。この物語のような世界が訪れるのはそう遠くないかもしれない。しかし、SF小説のように高度な技術に私たちはついていけるのだろうか。進歩した技術を扱うには人間もまた進歩しなければならないことを、この本は私たちに語りかけているのだ。
    (山梨大学/リコシェ号)

  • 『忘れられた巨人』
    カズオ・イシグロ〈土屋政雄=訳〉
    /ハヤカワepi文庫

     奇妙な霧のせいで健忘の呪いにかかった人々。老夫婦は失った記憶を取り戻すために、もうこれ以上忘れてしまわないために、命をかけた旅に出る。しかし、記憶というのはいつも美しい思い出ばかりとは限らない。もしかしたら、怒りや不満、嫉妬などの感情まで思い出してしまうかもしれない。今私が築いている人間関係も、ある程度の忘却の上に成立しているなら、それは本当の愛、友情と呼べるのか。衝突した記憶など、忘れたままでいるほうが楽なのではないか……。だが「許し」と「忘却」は違うということをこの物語は教えてくれる。相手を思いやる気持ちによって、負の感情は、「水に流される」。忘れることとは違うのだ。生きている限り、私はすべての記憶を大切にしていきたいと思わずにはいられなかった。
    (京都府立大学/ひだまり)

  • 『少年キム』
    ラドヤード・キプリング〈斎藤兆史=訳〉
    /ちくま文庫

     彼は雑駁なインドの申し子だ。少年は数か国語を操り、持ち前の処世術と豊富な人脈を駆使して、物語の中を縦横無尽に動き回る。そんな彼の相棒は、チベットからやってきた不思議な老僧。のんびり屋で世間に疎いところは少年と正反対だ。
     デコボココンビは、それぞれの大切な目的のために旅を始めるが、折しも時代は帝国戦争の真っ只中。大国の思惑に翻弄されながらも、心身ともに成長していく少年とそれを見守る老僧。植民地支配の混沌や暗部も、キプリングの手にかかればエネルギッシュな活劇に様変わり。複数のテーマが織りなす濃厚な味わいは、壮麗な一枚のタペストリーだ。
    (立命館大学/人身難得)

  • 『タイタンの妖女』
    カート・ヴォネガット〈浅倉久志=訳〉
    /ハヤカワ文庫

     ヴォネガットの視点はシニカルだ。人類の発展など無意味な茶番と一蹴してしまう。しかしその語りはユーモアと優しさに溢れている。彼は、善人も悪人も関係なく個人を愛する。作中の人物にもただ突き放すようなことはしない。また、特筆すべきは、SF的設定の面白さもさることながら、物語の展開であろう。空間も時間も目まぐるしく変わっていくことから、読みにくいと感じるかもしれない。そこで細かいことは気にせず、一度最後まで読み通すことをお勧めしたい。ぼんやりとでも全体像が見えてくるはずだ。そして再読することで違った見方ができるだろう。
    (立命館大学/にょう)

  • 『高村光太郎詩集』
    高村光太郎/岩波文庫

    私は、彼の詩が好きだ。慈しみとは似て非なる、強い気持ちで何かを愛するということを理解できる気がするから。妻・智恵子と出会い、彼の心と「いのち」ともいえる彫刻が救われたことがわかるから。はじめは実に反逆的で剛健な雰囲気。それが智恵子という存在と交わるにつれ、どこか柔らかくなる。優しい眼差しやほのかなあたたかさを感じるものになる。今日、10月5日はレモンの日だったと、ふと思う。レモンの日は智恵子の日であり、そんな日には、彼の詩を声に出して読もうと思う。嗚呼、やっぱり私は、彼の詩が好きだ。
    (立命館大学/まるメガネ)

  • 『君がいない夜のごはん』
    穂村弘/ NHK出版

     アインシュタインは「自分の目で見る。自分の心で感じる。そんな人間がいかに少ないことか」と言った。ヘタのないいちご、ダサいドーナツ、箸一本で食べるところてん、鉄で食事する私たち。人生のタイムラインを雑に消費してしまう私が拾いきれないノイズを、どうしても拾ってしまう著者の不器用さと、それぞれの「しゅん」を慈しむ姿から、この星の未来が見えた気がした。ノイズを無駄として排除しがちな現代日本におけるアインシュタインは、穂村弘だ。
    (愛媛大学/じぇじぇいかぽん)

  • 『ヒトラー演説』
    高田博行/中公新書

     ヒトラーほど、言葉が秘めた力を熟知し、かつ信用した人物はいない。街頭演説やテレビ会見に全く耳を貸さない私は、ドイツがなぜヒトラーによって支配されてしまったのか、どうしてナチスによって“洗脳" されてしまったのか疑問だった。この本を読み終えて、私は戦慄せずにいられなかった。言葉の配置、話し方、身振り手振りで聴衆は簡単に思考や意見を左右されてしまう。言葉は、人類が獲得した原初の武器であることを再認識させられた内容だった。
    (山口大学/ R.A)

  • 『天皇制の文化人類学』
    山口昌男/岩波現代文庫

     今上陛下の生前退位を前に、「平成最後の」という冠がそこかしこで使われるようになりました。その言葉をときに当たり前に、ときに感慨深く使いながらも、その背景にある「天皇」という存在について考える機会は多くないのではないでしょうか。王朝文学でありながら王権を持たぬ貴公子の物語を国文学の粋とし、実権を有さぬ天皇の規定を憲法の1条に掲げる私たちは、実は奇矯で、しかし極めて人間的なのかもしれません。
    (慶應義塾大学/あるぎにん)

  • 『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』
    加藤陽子/新潮文庫

     「戦争」はやりたくない。そう思う人がほとんどだろう。だけど、「戦争」を選ばずに問題を解決するにはどうすればいいのだろう。では逆に、これまでは、どうして戦争を選んでしまったのだろう。どの時点で、どのような選択をすべきだったのか。それを知ることが歴史を学ぶ意義である。その観点に立つと、急に歴史が生き生きして見えた。ほとんどの歴史的出来事には、その裏に国の思惑や人の考え、時に暴走がある。そう思うと、歴史は暗記するものではなく、物語のようであった。
    (東京大学/かんぽこ)

  • 『10年後の仕事図鑑』
    落合陽一・堀江貴文/ SBクリエイティブ

     私たちは変わりゆく社会の入り口に立っている。その未来は分からない。だから怖い。だがこの一冊が、優しく、そして強く僕の背中を押した。AIの社会進出は明白である。“AI"という単語を新聞やネットニュースで見ない日はないくらいだ。その中で人間は何を思い行動すればよいのだろうか。見直されるべきは個人の「人生観」である。人間が“やらなければならなかった義務" をAIに任せ、それによって生まれた時間的余裕を“やりたいこと"に使うこと、それが人間の次の仕事となる。ある既存のポストに嵌るのではなく、自分だけのポストを創るのだ。現実と、その対極にあった理想が重なりはじめた。読み終えた僕はいつしかのように少年の目をしていた。未来は思うより悪くないのかもしれない。
    (松山大学/カワ)

  • 『「おじさん」的思考』
    内田樹/角川文庫

     私は果たして、「あなたの人生はこれでお終いですよ」と言われたら、「はいわかりました。これで死ぬのですね」と言うのか、「いいえ、もっと快楽を得るまで死ねません」と言うのか、どちら側の人間になるのだろう。「幸せな人間」は、生きているうちの全ての瞬間を丁寧に、大切に扱いながら生きているから終わりを告げられても気楽なリアクションが取れる、と著者は語る。これを読み、私は今のままでは絶対に幸福な状態で死ねないと確信した。だから私は、この生きている時間を大切にし、幸福な状態で死ぬことこそ人生で最難関の課題であると感じる。
    (北海道教育大学/ユ)

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