話題の著者に訊く!「線は、僕を描く」刊行インタビュー!!
「線」から学ぶ、生き抜く力 小説家 砥上裕將

「線」から学ぶ、生き抜く力

砥上 裕將Profile

砥上 裕將 著書紹介


『線は、僕を描く』
講談社本体 1,500円+税
両親を交通事故で失い、喪失感の中にあった大学生の青山霜介は、アルバイト先の展覧会場で水墨画の巨匠・篠田湖山と出会う。なぜか湖山に気に入られ、その場で内弟子にされてしまう霜介。それに反発した湖山の孫・千瑛は、翌年の「湖山賞」をかけて霜介と勝負すると宣言する。はじめての水墨画に戸惑いながらも魅了されていく霜介は、線を描くことで次第に恢復していく……。


 『線は、僕を描く』を読ませていただきました。この作品は水墨画のお話ですが、日本では水墨画は中国ほど芸術としてメジャーではないように感じます。そんな水墨画をテーマに小説を書かれたのはなぜですか。
 

砥上
 まさしく水墨画は日本ではメジャーとはいえない、滅びかけているかもしれませんね。かといって楽しくないのかというと、そうではないんですよ。だからこそ今まで続いてきているわけで、そういうところを青春小説で伝えられたらいいなと思いました。
 例えば老人が水墨画をやるという話なら誰もが納得するかもしれないけれど、あまり新鮮味はないですよね。そこを若者で描くことによって可能性を追求するというのは、小説としてはありではないかと思って。
 


 読みながら、「大学生がその道に入る」というのが一つ大きな意味を持つのかなと感じました。主人公の青山くんをはじめ周囲の友達までもが「水墨画を習おうかな」という展開になっていくのが、意外にもしっくりくる感じがしました。「水墨画は年配の人がやるもの」というイメージを良い意味で打破してくれたように思います。
 

砥上
 水墨画は本来「楽しみ」として受け継がれてきたものなんですよ。もちろん専業で描いている人もいますが、元々はそういう楽しみの部分が水墨画の主体だと思っています。「ちょっと始めてみようかな」となったときに、そこが違和感なくとけこめる要素になるのではないかと思うんです。
 


 水墨画にあまり馴染みのない人でも読みやすい形で描写がなされていたので、楽しんで読めました。
 

砥上
 伝統文化をやることに意味はありますが、「伝統文化」という言葉を便利に使いすぎてはだめだと思います。「伝統文化だから意味がある」のではなくて、「実際にやったり見たりして楽しいから意味がある」のです。主人公の青山くんもその楽しみを「伝統文化」という言葉を用いずに、自分なりに発見していくんですね。そうすることに意味があるし、そうすることで新しい世代へ伝統文化が受け継がれ、形になっていくのだと思っています。
 


 確かに作中では「伝統文化」という形では一度も語られていませんね。「伝統文化」というと自分たちとは違う世界にあるような感じがして、少し壁を感じてしまいます。でも『線は、僕を描く』で描かれる水墨画は、伝統的なものとしてだけでなく生命に満ちたものとして扱われているので、別のものとして受け取ることができました。今後美術館で水墨画を見たときには、今までとは違った感覚で鑑賞できるのではないかと思います。
 

砥上
 それは鑑賞する上で大事だと思います。どんなに昔の作品であっても、生の人間が描いているんです。人間が描いているのだから「こんな感覚で描いたんだろう」「こんな人が描いたんだろう」と想像しながら作品を見ることができれば、その人は作品の中で「生きて」いるんです。より新しい意味のある見方が可能なのではないかと、いつも思っています。
 


 『線は、僕を描く』では水墨画を描いている描写が多いですよね。主人公が「先生のように描きたい。だけど思うように描けなくて悩む」といった心情描写も、すごくリアリティがあります。
 

砥上
 おそらく昔だって、全ての人が描けたわけではないですよ。下手な人はいたし、訓練しなければいけなかったんです。どの時代もそれは変わらないと思います。
 若い頃に苦しむのは、すごくいいことだと思っています。何かにすごく熱中して、試行錯誤を繰り返していく。その中では、成功も失敗も同じくらい大事です。ここで修練のありかたというものを描いたのは、なんでも手軽に手に入る現代だからこそ意味があったのではないかと思います。ほとんど情報を与えられずに、自分が見たもの感じたものだけを頼りに探っていくというのは、粘り強くないとできません。そして頭をすごくつかいます。でもそれは面白いことでもあるんですよ。
 


 そして救いの物語としても描かれています。主人公の青山くんはかなりつらい境遇の中に置かれていましたが、その意図は?

 

砥上
「白紙」という、まったくゼロの状態のものに何かが現出するというのが、水墨画らしい感覚ですよね。その「真っ白」というものをキャラクターに置きかえると、主人公の青山くんはかなりそういう状態に近いんです。そういう人間が水墨画を学び取っていく、もしくは水墨画を描くことで何かを得ていく、という設定にしました。
 


 他のキャラクターもみんな個性的です。
 

砥上
 対立構造を作りやすいという点では千瑛ちあきがいますね。彼女は青山くんと対立して、技法的にもスタイルとしても反対のものを持っています。その対立構造を発展させた形で、西濱にしはまさんと斉藤さんがいます。それから場をかき乱すために、自分が楽しむために古前こまえくんを配置する(笑)。


 古前くんはすごく面白いキャラクターですよね。青山くんの背景が重いので、古前くんの存在が息抜きになり、面白く読めました。
 

砥上
 古前くんは作者も好きなキャラです。作者の願望が入っています ( 笑)。川岸さんは便利な使い方をしていますが、でもいいキャラですね。湖山先生は理想の先生像を描きたいと思いました。こんなにできた先生は現実にはいないと思いますが。
 


 青山くんは良い人たちに囲まれていて、こんなラッキーな人はいないんじゃないかと羨ましかったです。メンターみたいな先生や良い友達がいっぱいいたらな、と。
 

砥上
 何を大事にするかによって人間の見方はおそらく変わってきますよ。完璧な人間はいないけど、ある一面をピックアップして人間関係を築くというのは可能だと思いますよ。それは感謝することであったり、どう相手と付き合うかということであったりしますが。
 


 青山くんがいろんな人に助けられて成長するというのは、すごく美しい形で現れたのではないかと思います。必ずしもみんなが経験できることではないけれど、これが人間のあるべき姿みたいな。
 

砥上
 どうしても技術を習得したり何かを突き詰めていく中で傲慢ごうまんになったり他人を排斥はいせきしていくようになってしまう……確かにそういう人間が多いのですが、そうでない素質をもっているのが青山くんの特筆すべきところだと思います。それは、単に才能を持っている人間ではないという意味です。それがなぜなのかは、ぜひ考えてほしいです。そこには理由があるので。


 それを『線は、僕を描く』では、ちゃんと先生や周りの人が感じ取っているんですね。
 

砥上
 そういう関係性が存在するということです。

 


 水墨画の細かいテクニックの話などはたくさんありましたが、それとはまた別に「力を抜く」というメッセージも込められていたように感じます。例えば青山くんが墨をるシーンでは緊張で力が入りすぎてしまい、師匠に何度もやり直しをさせられますよね。でも青山くんは水墨画を続けるうちに徐々に力を抜けるようになっていきます。私はその「力を抜く」ということが、なかなかできないんです。色々考えてしまって。そういう境地にどうしたら至れるのだろうと、読みながら考えていました。
 

砥上
 例えば人生が30 年40 年で終わるなら、パワー型でもいいと思うんですが。中国にも日本にも「老成」という言葉があります。経験を積みながら年老いるのが理想の在り方で素晴らしいことですが、それは自ら求めていかなければそうはならないんです。そういう境地や技法は、確かにここで伝えたかったことですね。
 


 考え方として、流れに任せていけ、みたいなものがあるのかなと思いました。私はなかなかそれができないので、そういう意味では刺激を受けました。
 

砥上
 若い人は、そうすぐにはできないですよ。いろんなことがあって、結果的にそうなったというのを後で感じるくらいでいいと思います。だからこそ取り組みがいがあるんです。修練というのはそういうところがありますよね。すごくたくさんやらなければいけないから、異常な量を力を入れてやり続けることはできないんです。
 


 「失敗」もキーワードとしてちりばめられていたように感じます。若い時だからこそ失敗をたくさんして成長できるというようなメッセージも隠れているのかなと。
 

砥上
 失敗そのものにも意味があるんですよ。というより、成功することよりも失敗することの方が大事な時期というのがあります。失敗からしか学べないことは多いんです。例えば一枚の絵を描いたとして、それが一発で成功したなら「では同じものをもう一度描けますか?」と言われてもできないんですよ、人間って。でも失敗のバリエーションが増えてくると、変化だったり予測だったりが生まれるんです。それが楽しいんです。手の技は、心の動きに順応していくんですよ。
 


 私は失敗しちゃだめだと思って生きてきたので、そういうふうに言ってくれる人がいるといろいろ違ったのかもしれないですね。
 

砥上
 水墨画というのは失敗しやすい絵画なんです。たった一か所違うところがあるだけでもものすごく目立ちますよね。でも失敗したときは紙を替えればいい。紙を替えると、別のことがはじまります。それを無限にくりかえしていくので、すごく失敗がしやすい。これは水墨画の特質だと思いますね。
 


 私の父が水墨画を描くので、私も子どもの頃に少し筆をにぎったことがあるんです。でも筆では思うように線を引くことができなくて、続きませんでした。今なら、「失敗してもいい」という気持ちで続けて、青山くんのように少しずつ成長していくのもありなのかなと思います。
 

砥上
 生きていると絶対失敗できない場面はいっぱいありますが、それとは別に、失敗の在り方を学ぶというのはいいと思います。そういうものを自分のそばにひとつ置いておくというのは、面白い生き方かもしれないですね。水墨画からは、たくさん失敗を学べますよ。それも自分の固有の失敗です。自分の失敗にこそ個性があらわれるので。
 


 「失敗」は普通に生きているとダメなことという形で大抵捉えられがちですが、失敗にポジティブな面もあるんですね。
 

砥上
 古前くんは失敗しかしないけど、個性的で愛される人間なんですよ。彼の場合、失敗が物語にすごく良い作用を及ぼすことになるんですね。でもそうなると「それは失敗なのか?」という議論はありますよね。一面では、優れた人間かもしれないじゃないですか。
 


 たしかにそうですね。人間の多面的なところがいろいろ表れているんですね。
 

砥上
 そういう意味でも小説というのは面白いですね。

 


 砥上さんの本業は水墨画家ですが、小説を書かれたのは何故ですか。
 

砥上
 小説を書き始めたきっかけは友人にすすめられたからです。短い小説を書こうとしたら500枚くらいになったんですよ。それを投稿してみたら「また書いてみませんか?」と編集部から連絡があったんですが、もう一作書いたらそれは全然上手くいかなくて。その次は水墨画でやってみたらどうでしょうと言っていただいて、それで今回の作品を書いたんです。
 


 水墨画を実際に描かれているからこそ、これだけ表現できるのかなと読んでいて思いました。
 

砥上
 確かに実際に水墨画を描いている人にしかわからないことを書いていると思いますよ。美術の教科書などには出てこないことばかりなので。美術史は成功したことを論じるものですからね。僕の作品の場合は失敗した例を書いています。失敗というのは、実際に筆を持った人間にしか書けないと思っています。
 


 私たちが普段見るものは完成している作品ですが、物語の中では「どう身体が動いて、どういう緩急があって」という水墨画を熟知された目線で描かれているので、素人としては「すごい、水墨画にもプロセスがある」と感じさせられるところがあったと思います。その流れが文章にも反映していて、文章量は多くてもすごくペース良く読めました。
 

砥上
 実際に自分が使っている技術を書いているので、わかりやすさが保証されているのはそういう部分かなと思います。そして、こういう楽しみ方があるんだと思ってもらえると嬉しいですね。
 


 また「みんな同じ題材を描いていても、それぞれスタイルが違う」という多様性が、ひとつの芸術の中に感じられました。
 

砥上
 実際に数えきれないほどの人が水墨画をやってきたので、いろんなタイプの人がいたと思いますよ。天才たちの作品を見るのは楽しいですよ。自分にはない何かを明らかにもっている作品を見ると、やはり素晴らしいと思いますね。
 


 そういう気持ちも込めて、作品にも違うタイプの絵師さんを登場させたというのがあるのでしょうか。
 

砥上
 それもありますし、人を認められることはやっぱり大事ですよ。対立するのではなくて。
 


 「技術ではトップではないがハートがこもったものが描ける」みたいな、芸術の豊かな面が表現されているなとも思いました。
 

砥上
 つたなさというか味わい深いものというか。それは実際にたくさんの絵を見て、味わってもらうしかないですね。ググってわかることではないので、自分の目でそれを発見してほしいなと思います。絵画に向き合う時に「これはこうだからこうだよね」という断定的な見方ではなくて、ある種の敬意をもって接することが大事です。そうしていくうちに、良い線とは何かというのもわかってくると思いますよ。
 


 西洋の絵画の場合、写実的なものだと線がしっかりとは描かれなかったりするので、お話を聞いていてそこがすごく対照的だなと思いました。現代日本社会では、そちらの方が芸術としてもてはやされているような気がしますが、それとは違うような発見はたくさんあるんですね。
 

砥上
 例えば写真を撮るとき、被写体は「面」で認識されて写りますよね。一方で輪郭線などの「線」は非常に抽象的なもので現実には存在しないのですが、水墨画であえてそれを描くというのにはきちんと意味があって、ある種の精神性と内面性と現象との境界線がそこに引かれているんです。そういう見方を東洋の人たちは昔からしていたはずなんです。その表現をあるとき多くの人は忘れてしまったのだと思います。線という美意識を、もう一度ふりかえって感じてもらえたらなと思います。
 水墨画は技術が高度な部分はあるけど、高度である必要はないというか、親しみやすい絵画だったはずなんです。こういうものを足掛かりにして東洋の美術などに触れて、感じてもらえるといいなと思います。任 最後に今後の活動について、教えてもらえますか。
 

砥上
 水墨画はこれからも描いていきたいですね。小説はあたたかい作品を明るい筆致で書いていきたい思っています。
 


 これからも楽しみにしています。今日はありがとうございました。

(収録日:2019年7月4日) 
P r o f i l e

砥上 裕將(とがみ・ひろまさ)
1984 年生まれ。福岡県出身。水墨画家・小説家。
『線は、僕を描く』で第59 回メフィスト賞受賞。

 

著書紹介



任 冬桜(にん・とうおう)
砥上さんの理知的な語りに圧倒されつつ、作品の裏側をいろいろ聞けて楽しかったです。失敗の重要性についてのお話は目からウロコでした。ありがとうございました。

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