あの頃の本たち
「誰かの『あのころ』」栗原 俊秀

誰かの『あのころ』

栗原 俊秀 Profile

 皆さんはスタジオジブリの『紅の豚』という映画をご覧になったことがあるでしょうか。宮崎駿監督が手がけた作品のなかでは、私はこれがいちばん好きです(次点は『ポニョ』)。といっても、子供のころに「金曜ロードショー」かなにかではじめてこの映画を見たときは、感性の乏しさゆえなのか、あまり面白く感じられませんでした。私が『紅の豚』に再会したのは、大学院生になってから、イタリアに留学していたころの話です。せっかくイタリアに来ていることだし、イタリアを描いたジブリでも見てみるか……という気持ちになって、書店でDVDを購入したのでした(『紅の豚』の舞台は、北イタリアのアドリア海周辺です)。家賃150ユーロの屋根裏部屋に帰り、ひとりノートパソコンの前に腰かけて、再生のボタンをクリックします。約90分のフィルムを見終えたとき、私は感動のあまりほうけていました。とはいえ、あのとき私の心を撃ち抜いたのは、映画の本編よりむしろ、エンディングテーマとして流れた「時には昔の話を」でした。そこには、自分が思い描く「青春」の姿が、完璧に表現されているように思えたのです。「時には 昔の話をしようか / 通いなれた なじみの あの店 / マロニエの並木が 窓辺に見えてた / コーヒーを 一杯で 一日……」(加藤登紀子「時には昔の話を」より。以下、同様)。急いで断っておくならば、私はなにも、自分自身がこの曲に描かれているような青春を送っていた、と言いたいのではありません。そうではなく、「青春」という言葉を聞いて脳裏に去来するさまざまなイメージに、この曲が鮮やかな色彩と、くっきりとした輪郭を与えてくれたのです。自分以外の誰かにとっての「あのころ」が、たまらなく愛おしく、かけがえのないものに思える瞬間がある。懐かしさと苦しさがないまぜになった、胸をしめつけるような感情は、ノートパソコンを閉じたあとも、しばらく消えずに残っていました。

 さて、ここからが本の話です。「時には昔の話を」と同じように、私にとって「青春」の換喩かんゆとも呼ぶべき1冊、それが須賀敦子の『コルシア書店の仲間たち』です(現在では河出文庫『須賀敦子全集第1巻』に収録)。1928年生まれの須賀は、1958年にローマに渡り、60年からミラノで生活を始めます。そして、それからおよそ10年にわたり、「コルシア・デイ・セルヴィ書店」という、本屋でもあり、出版社でもあり、一種の知的サロンでもあるような場とかかわりを持つことになります。須賀はカトリック信仰を持った人物で、この書店は「カトリック左派」という思想を掲げるグループの活動拠点でした。『コルシア書店の仲間たち』は、著者とこの書店の関係を主軸としながら、書店の草創期(1950年代半ば)から終焉(1970年)までの歳月を描いた自伝的エッセイです。須賀は書籍の終わり近くで、書店の仲間たちと過ごした時間を、「おそい青春の日」と形容しています。ミラノに暮らしていたころの須賀はすでに30代。はたち前後の若者が大半であろうizumiの読者のなかには、こんなふうに感じた方もいるかもしれません。「いくら〈晩い〉と言ったって、30を過ぎて〈青春〉というのは、ちょっと厚かましいんじゃないか……」。けれど私は、「青春」と呼ばれる時間を生きるのに、早いも晩いもないのだと思っています。脇目も振らずに、明日への希望に急きたてられるようにして過ごす季節は、私たちひとりひとりに、それぞれふさわしいタイミングでめぐってくるものなのではないでしょうか。

 「青春」には「希望」が付き物です。「時には昔の話を」は、こんなふうに歌っています。「見えない 明日を むやみにさがして / 誰もが 希望を たくした……」。須賀が過ごしたミラノの日々も、みずみずしい希望や情熱に彩られていました。けれど、ここで描かれる希望はつねに、哀惜あいせきと背中合わせになっています。須賀がこの本を書いたのは、イタリアを去ってからすでに20年以上が経過した、1990年代はじめのことでした。ミラノで過ごした「あのころ」を振りかえる須賀の眼差しには、拭いがたい哀しみの色が宿っています。仲間とともに希望をたくした書店という場が、けっきょくのところひとつの夢物語でしかなかったことを、いまや老境のとば口に立つ著者はしみじみと痛感しているからです。須賀が紡ぐ言葉の寂しさに触れながら、私はまたも、「時には昔の話を」の歌詞を思い起こします。「あの日の すべてが 空しい ものだと / それは 誰にも言えない……」。
 自分にはけっして訪れることのなかった「あのころ」を、自分以外の誰かと分かち合い、自分が生きた時間であるかのようにいつくしむこと。本や、映画や、音楽には、そんな営みを可能にする、不思議な力が備わっているように思います。
 
P r o f i l e
■略歴(くりはら・としひで)
1983年生まれ、東京都出身。翻訳家。
カルミネ・アバーテ『偉大なる時のモザイク』(未知谷)の翻訳で須賀敦子翻訳賞、および、イタリア文化財・文化活動省翻訳賞を受賞。

●主な訳書に、ジョン・ファンテ『犬と負け犬』(未知谷)、ピエトロ・アレティーノ『コルティジャーナ』(水声社)、カルロ・ロヴェッリ『すごい物理学講義』(河出文庫)など。
『すごい物理学講義』
河出文庫/本体980円+税

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