ペン助にとって、はじめての短歌は石川啄木でした。はじめていいなと思って、はじめて覚えた短歌です。
空に吸はれし
十五の心
『石川啄木歌文集』(講談社文芸文庫)
現代文の教科書だったと思います。格好いいな、綺麗だな、と思って歌集を手に取って、次の歌に出合いました。
『石川はふびんな奴だ。』
ときにかう自分で言ひて、
かなしみてみる。
同
〈不来方〉の爽やかさはどこに!? と驚きつつ、ぐっと親近感が湧いて心に残りました。〈石川は〉という淡々とした自己規定は、自分に呪いをかけているようでもあります。雰囲気に惹かれて、何度自分と重ねながら口ずさんだでしょう。
男の子なるやさしさは紛れなくかしてごらんぼくが殺してあげる
平井弘『平井弘歌集』(国文社)
この歌には、まだ歌集を読んでいなかった頃に出合いました。〈かしてごらん〉は優しい男の子の言葉だと思って、その歪な感覚と丁寧な口調にくらくらと一目惚れしたものです。男の子が殺せずにいるから呼びかけている、という解釈を知って、ますます印象深くなりました。唯一の正解なんて分かりっこないからこそ、ずっと惹かれているのかもしれません。
歌集を読むようになって、『えーえんとくちから』(笹井宏之/ちくま文庫)に短歌ってすごい! と思い、『しんくわ』(しんくわ/書肆侃侃房)で短歌ってこんなに面白いんだ! と思い、昨年には『ピクニック』(宇都宮敦/現代短歌社)と『風にあたる』(山階基/短歌研究社)にときめいて——と、好きな短歌に出合いつづけることで、短歌そのものを好きだという気持ちが更新されているようです。たとえば一番新しい「好き」は、さっき出合ったばかりの一首。
わが
高瀬一誌『高瀬一誌全歌集』(六花書林)
眼鏡に対する自然な情に、キュンとときめきます。意思を持たず、けれど常に共にあった眼鏡だからこそ、「ここにしか居場所がないものをおいていくこと」の不安が素直に沁みこみます。
そこに直れ、歌にするから歌になりさうなポーズを今すぐに取れ
田口綾子『かざぐるま』(短歌研究社)
歌ができないからっていい迷惑なのに、あまりの鬼気迫りっぷりに笑ってしまいそうでもあります。〈そこに直れ〉も〈歌になりさうなポーズ〉も、相当切羽詰まっていないと出てこないのでは。〈われの奇行の続くを見ればまた歌ができないのかと君は怯えぬ〉には、歌にできる立場かとツッコむべきか、歌ができて良かったねと言うべきか。 同
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ー 掲・示・板 ー
ペン助のうただよりは最終回です。3年間お付き合いいただきありがとうございました。うただよりがなくなっても、あなたの周りには素敵な短歌が当たり前にあふれています。これからも多くの短歌との、嬉しい出合いがあることを願っています。*本サイト記事・写真・イラストの無断転載を禁じます。