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私の読書

 
『春琴抄』
谷崎潤一郎 著
新潮文庫
本体370 円+ 税
  私は世襲税理士を志向する身で、岩倉(同志社高校)の頃より院進し税法を勉強するつもりだったので、将来文章力が要ることは自明であった。しかし岩倉なので(?)そういうことは後回し、勉強に励まずに、キャッチボールに勤しんだものだ。入学後、そろそろ文章力、日本語の勉強をしようと思ったとき、手にしたのが『春琴抄』だった。

 なぜそれなのかは忘れたが、誕生日が谷崎潤一郎と同じだからというこじつけで、谷崎作品を読んでみようと思ったことは覚えている。『春琴抄』は一見非常に読み辛いし、明らかに初心者向けではない。しかし胸をうたれた。佐助のあの場面では、あの音が、耳の傍でしたような気がしたものだ。今思えば『春琴抄』でなければならなかったと確信する。贅沢ながら『痴人の愛』では物足りなさがある。

 『春琴抄』の文章表現を樫原辰郎氏が「濃厚スープ」と喩えたのは言い得て妙であろう。そして谷崎は作品との照応でこの文体を選んで記述している訳だが、もはや斯様な文章は現代人には書けやしない。たまに擬似的に書かれたのも見かけるが、爪先立ち感を免れぬ。無理なくあのような表現をするのは無理である。

 あるいは作品は文章・言葉より内容が大事だ、という意見もあろう。「言葉は符牒にすぎない」とも谷崎はいっている。しかし人が作品の文面から得るのは、視覚的情報としての言葉である。内容のみ重視するのは、余りに貧しかろう。

 他には『少年』『少将滋幹の母』『小さな王国』などが印象に残っている。『盲目物語』も捨てがたい。面白いのは、谷崎が生前全集にいれないようにしたという『金色の死』で、興味深く読んだ。これを三島は云々批判していたが、管見によれば別に気にすることもない。

 谷崎以外では、例えば吉行淳之介を好む。といえば、私は女好きと思われるやも知れぬ。たしかに両者の共通点として、随筆の名手たること、そして性の把捉があげられよう。しかし二股をなし得た栄光も今は昔、目下没交渉、結晶作用のけの字もない。SNSにて,,, わぎもこを同じからざる人心にいざ見の山にくすぶる余燼,,,。とにかく明けない夜はない。が、朝まで生くるとも限らぬ。動くならば今である。などと百家争鳴の格言を述べるつもりはないけれど、まずは尽くす姿勢を示さねば(?)。佐助になれる自信はない。あるいはナオミの馬となるのも、尽くすことになろうか。富美子にふまれることも、尽くすことになるのだろうか。
 
同志社大学 法学部4回生
山本 尚平
 

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