あの頃の本たち
「四年間の幸福」伴名 練

四年間の幸福

伴名 練 Profile


 高校まで、周りにSFファンはいなかった。正確に言えば、かつて星新一のショートショートだけは読んでいたというクラスメートは何人かいたし、読書好きの友人には広義のSF作品を読んだことがある人も当然いた。けれども、SFというジャンル自体を愛好して、国内外の作品に次々手を伸ばしている人を、中学校や高校で探し出すことはできなかった。中学時代に国語教師の発案で、生徒全員に今読んでいる本のタイトルを申告させてそのリストを廊下に貼り出す、という行事が定期的に行われていたが、そのリストが貼られる度に私がくまなく確認しても、同じ趣味の人間を見つけ出すことは叶わなかった。
 だから、大学に入ったらSF研究会の門を叩くことは決めていた。そのモチベーションには、SF翻訳家・書評家である大森望が所属していた京大SF研への憧れ、というものも含まれていた——私が強い影響を受けた、大森望・豊崎由美『文学賞メッタ斬り!』の刊行は私が高一の頃、大森望『現代SF1500冊』乱闘編・回天編の刊行は高三の頃であり、多感な時期に直撃を受けたのだった。
 新入生歓迎読書会でSF研のもとを初めて訪れた時、そこにいた会員の人数は決して多くなかった。確か六人ほどで、一度だけ見学したミス研に比べて半分以下だったと思う。会員全体でも十人程度だったはずだ。しかし、期待は裏切られなかった。
 読書会で課題本の中身について分析し合い、意見のやりとりを終えた後は、ずっと好きだったSFについて、出たばかりの新刊について、そのエッセンスから発展させた新たなアイデアについて、語り合うことができた。もちろん私はまだ遠慮がちだったが、それでも人生で味わったことのない至福に満ちたひとときだった。
 当然のごとく、私はSF研に入り浸ることになった。例会の場は放課後の教室だ。活動は読書会のほか、SFイベント運営や会誌編集のための会議だったが、それら全てより大きな割合を占めていたのは、フィクションについて好きなようにお喋りする、緩い時間だった。話題の新刊や埋もれた旧作、最近読んだ本について、感想を交換し、議論を交わし、互いに薦め合った。教室が閉じられる時間になれば定食屋に移り、夕食を終えれば解散するか、でなければ会員の誰かの家に移ってただひたすら駄弁り続けた。食事や菓子を囲むことはあっても、アルコールが供されることは少なかった。
 シラフの方が頭はよく回るので、記憶の中から昔読んだ作品を引っ張り出したり、SFファン特有の馬鹿話を加速させたりするのにも都合がよく、そもそも酒が無くても私たちはSF話に酔っていた。
 他の会員が心底楽しそうに語る作品に、私は手を伸ばしていったし、自分が布教する側に回りもした。SFに限らず、非SFのライトノベルやマンガも、誰かが誰かの影響を受けてハマったし、時には会内でブームになった。私は会員に教えられなければ一生知らなかったであろう作品を読み、楽しんだ。
 読書は一人でもできる。本について人と語り合わなくても、一人で読書家であり続けることはできる。それはきっと正しいが、自分の「好き」なものを的確に把握している仲間が周りにいることには、明確な実益もあった。アマゾンのリコメンドどころの精度ではない、「十年以上前のSFマガジンに載った書籍未収録短編で君が好きそうな作品がある」というような深遠かつ適切な助言を幾つも貰えたのは、あの賑やかな場に私がいたからだ。そして自分自身の「好き」の幅もまた広がった。他の会員が熱心に薦める作品に触れてみて、驚きあるいは感動し、自分の中に面白さの受容回路が増えるのを体感した。
 当時の京都には深夜三時まで開いている新古書店とか、二四時間営業している新刊書店などという、大学生を堕落させる桃源郷のような場所があり、例会後そこに寄って本を物色し、衝動買いすることもしばしばあった。古書店にこんな本が置いてあるが欲しい人はいないか、という内容がメーリングリストで回った。
 先輩が卒業で引っ越す際、その家に会員が集まって、処分予定の蔵書を譲り受けた。私の手元にあるソノラマ文庫や富士見ミステリー文庫の大半はその時に貰ったものだ。
 ただフィクションに溺れることに膨大な時間を費やすことのできた、贅沢かつ幸せな四年間だった。今でも当時のSF研メンバーとはSNSで繋がっていて、相変わらず本を薦め合ったり感想を伝え合ったりしているが、物理的な距離に隔てられていることが時々もどかしくなる。
 私が編み、この夏に刊行される予定の日本SFアンソロジーには、あの四年間のうちに私が他の会員から教えられて知った作品がいくつか含まれている。叶うなら、私がかつて過ごしたような幸福な時間を、他の誰かが体験するための一助として、私の小説やそのアンソロジーが役立てばと願っている。
 
P r o f i l e
『なめらかな世界と、
              その敵』
早川書房
本体1,700円+税

■略歴(はんな・れん)
1988年生まれ。京都大学文学部卒。2010年、大学在学中に応募した「遠呪」で第17回日本ホラー小説大賞短編賞を受賞。同年、受賞作の解題・改稿版に書き下ろしの近未来SF中篇「Chocolate blood, biscuit hearts.」を併録した『少女禁区』で作家デビュー。近年は中短編SFを中心に発表。著書に『なめらかな世界と、その敵』(早川書房)、「フランケンシュタイン三原則、あるいは屍者の簒奪」(ハヤカワ文庫JA『伊藤計劃トリビュート』収録)、「彼岸花」(同『アステリズムに花束を 百合SFアンソロジー』)などがある。2020年7月に、アンソロジー『日本SFの臨界点〔恋愛篇〕〔怪奇篇〕』(ハヤカワ文庫JA)が、同時刊行予定。

『アステリズムに花束を
 百合SFアンソロジー』
ハヤカワ文庫JA
本体880円+税

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