あの頃の本たち
「大学生活と、一冊の愛情」三宅 香帆

大学生活と、一冊の愛情

三宅 香帆 Profile  恥ずかしい話だが、学生時代の自分がいちばん飢えていたものは愛情だったように思う。
 ……と、いちおう恥ずかしい話だが、と書いたけれど、内心そこまで恥ずかしい話だとは思っていない。高校生や大学生のときなんて、みんな何かしら愛情に飢えているものだろ、と考えているからだ。幼少期のような、親にすべてを(管理と表裏一体ではあるけれど)理解される時代と比べたら、十代後半から二十代前半にかけて、自分を理解してくれる人がいない、愛してくれる人がいない、と感じるのは当然のことだ。自分が親以外から愛されることはあるのだろうかと不安になるのも、思春期の特徴のひとつだと聞いたことがある。
 私はずっと、愛情とは理解のことだと考えてきた。いまもそう考えている。相手をちゃんと理解しようとする試み。もちろん他人のことを100パーセント分かるなんて不可能だけど、それでも現状30パーセントの理解をどうにか75パーセントの理解にまで上げようとする、そしてその理解にもとづいた行動を相手に対してとろうとする、その関心そのものを、愛情と呼ぶのだと思っている。

 そういう意味で、大学生のとき私にもっとも愛情を与えてくれていた相手は、彼氏でも友達でも家族でもなく、本、だったと感じている。
 なかなか根暗な話に聞こえるかもしれない。私も書いていて根暗だと思う。だけど、たとえば大学の構内で一緒にごはんを食べる彼氏がいても、パフェを食べつつえんえんと喋ることのできる友人がいても、たまに心配して連絡をくれる親がいても、それでも、なにか足りない、なにか自分に与えられる愛情に飢えている、と感じる学生は私だけではなく、意外と多いんじゃないだろうか。日々コミュニケーションをちゃんとうまくやっているのに、それでも世界を眺めたとき、「自分と他人の関係性って、この程度なのかなあ」と感じたりする。──そんなときは、やっぱり本を読むのがいちばんいいんじゃないだろうか、と私は思う。私はそうやって飢えをしのいでいたからだ。

 たとえば村上春樹の『ノルウェイの森』には、なんでひと昔前の小説なのにこんなに共感できるんだろう、と不思議に思ってしまうような孤独の描写が綴られていた。たとえばカズオ・イシグロの『わたしを離さないで』を読んだときには、自分のなかでいちばん大切にしたい感情が物語のかたちをとっている! と驚いた。たとえば松浦理英子の『最愛の子ども』を読んだときは、自分のことが書かれているんだろうか、と切なくなった。
 自分のことを、いちばん理解してくれているのは、どう考えても、周りの人よりも図書館や書店で出会った、本のほうだった。
 そして私はその事実にものすごく癒されていた。周りの人は100パーセント私のことを分からなくても、本は私のことを100パーセント分かってくれているのだ。大学生時代の私は、まぎれもなく作家が書いた物語に愛情をもらっていたのだと思う。

 大学院生のとき、自分の書いた書評をあつめた本を出版することになった。以来「若いのにたくさん本を読まれているんですね」と言われることが増えたけれど、読書をちょっと偉いことのように扱われるたび違和感を覚える。本を読むことは修行でも高尚な趣味でもなんでもない。単純に、理解という名の愛情に飢えていただけだ。愛情摂取のために、本を読んでいるだけなのだ。
 さらにこの「愛情」にはオマケがある。私は大学で文学部に入って、そこから文学研究を専門分野に決めて大学院に進学した。すると、「あれ面白かったよね」と話せる友人ができたのだ。自分だけが本に理解をもらって癒されているのかと思えば、他人もまた、本に共感することで癒されているようだった。「あの本面白いよね」と言い合うことで、私は、そのこと自体にもまた癒された。
 もしいま大学に通っていて、友人なり恋人なり家族なりうまくいっているのにも拘わらず、それでも何か足りない、何か満足できない、と感じる人がいたら。私はやっぱり、本を読むことをおすすめしたい。本の世界は広い。なんだかんだ、自分を理解してくれる本が、一冊くらいはあったりする。その一冊に、手を伸ばしてみてほしいなあと思う。
 私自身、大学ではいろんな出会いがあった。たくさんの素敵な友人にも恋人にも先生方にも出会うことができた。だけどそれでも、本との出会いにいちばん感謝している。それはまぎれもなく、自分が必要としていた愛情のかたちそのものだったからだ。


 
P r o f i l e
■略歴(みやけ・かほ)
 1994年生まれ。高知県出身。文筆家、書評家。
 京都大学大学院人間・環境学研究科博士前期課程修了。博士後期課程中途退学。
 大学院にて萬葉集を研究する一方、天狼院書店京都天狼院店長として勤務。2016年天狼院書店のウェブサイトに掲載した記事「京大院生の書店スタッフが「正直、これ読んだら人生狂っちゃうよね」と思う本ベスト20を選んでみた。≪リーディング・ハイ≫」が2016年年間総合はてなブックマーク数ランキングで第2位に。現在は会社員の傍ら、文筆家として活動中。
 著書に、『人生を狂わす名著50』(ライツ社)、『文芸オタクの私が教えるバズる文章教室』(サンクチュアリ出版)、『副作用あります!?人生おたすけ処方本』(幻冬舎)、『妄想とツッコミでよむ万葉集』(だいわ文庫)がある。
 

『妄想とツッコミでよむ万葉集』
だいわ文庫/本体700円+税

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