岡山大学4回生 末永 光
九月
「芸術の秋」をすっ飛ばして生きてきた。小中高とスポーツ三昧、九州の辺境の島暮らしで美術館やその他諸々の文化的施設に縁がないまま生きてきたせいか、大学生になってもその勢いのまま生活が続いた。秋といえば、飯だけが楽しみな季節だった。ところで、通っている岡山大学には素敵な制度がある。なんと、倉敷市にある大原美術館に無料で入れるというではないか。行くしかない!と意気込んだのが二年前の夏である。
美術館を訪れてみると、ふむ、美しい。うつくしい……。非常にボヤッとした感想を持ったのを覚えている。しかし、たいして勉強するわけでも、理解しようとするまもなく、普段の生活に戻ってしまい二年の月日がたった。
今回、一念発起して美術を勉強してみようと読んだのが『
いちばん親切な西洋美術史』(池上英洋ほか/新星出版社)だ。いちばん親切な、と謳うだけあり、イラスト解説や作品の画像もふんだんに使われている。わかりやすい。
読了してからは、まだ大原には行けていない。知識の眼鏡をかけて、もう一度美術館を回れば、芸術のより深い部分へ触れられるはず。楽しみである。
十月
塗り絵のように暮れてゆく冬 君でないひとの喉仏がうつくしい
冒頭の一首は『
てのひらを燃やす』(大森静佳/角川書店)のなかに載っている短歌。大森静佳さんの歌の中でも、最も好きなものの一つ。好きな理由を言語化するのは、ムズカシイ。あえて言葉に表すならば、幻想的な冬の様子からの、視点の移動、イメージが完璧にちかい場所でおちついている様子、語彙のうつくしさに惹かれるのだろう。
すぐれた短歌を鑑賞する行為は、歌を通して、歌人の視点を借りることだ。
「塗り絵のように暮れていく冬」という表現をみることで、そんなふうに世界が映るようになる。今までになかった色彩の表現だ。きっとこの歌を知ってからの冬は、より白くて柔らかい。
そして勉強するまでは気づいていなかったが、絵画や彫刻を観ることもかなり近い効果をもつはずだ。モネやシニャックの眼を通して当時の光のようすを感じることや、ゴヤの絵で人々の怒りや哀しみに触れることも、また作者の視点を通して世界に触れることだと言えると思う。
自分ひとりだけの眼だけで生きていたらもったいない。表現者たちの視点を借りながら、世界のうつくしいものにもっと触れていきたい。そう思った十月であった。
最後に大森さんの短歌で好きな一首を紹介して、筆を置く。
比喩としてしか燃えない空に生かされて眼の高さまで沈める帽子