「芸術の秋」をすっ飛ばして生きてきた。小中高とスポーツ三昧、九州の辺境の島暮らしで美術館やその他諸々の文化的施設に縁がないまま生きてきたせいか、大学生になってもその勢いのまま生活が続いた。秋といえば、飯だけが楽しみな季節だった。ところで、通っている岡山大学には素敵な制度がある。なんと、倉敷市にある大原美術館に無料で入れるというではないか。行くしかない!と意気込んだのが二年前の夏である。
塗り絵のように暮れてゆく冬 君でないひとの喉仏がうつくしい
163号の「BLUE」特集を読み恩田陸さんの『ユージニア』(角川文庫)を思い出した。 寝付けない夜に、そうだ読み返そうと開く。
ひとくちに積読といっても、認識している本としていない本がある。後者の彼らには、ある日棚を整理したり、はたまた今回のように勧められたりしてようやく再会する。この度相見えたのは福岡伸一さんの『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)。
こんな話だったっけ? 宮澤賢治さんの『セロ弾きのゴーシュ』(パロル舎)を読んで驚いた。 “真夜中に動物たちがやってきて演奏を聴き、そのおかげで演奏会も成功する” という和やかな話だと記憶していたが、実際はゴーシュの姿を通して、やってきた猫やかっこうに八つ当たりをする人間の残虐さ、すべて上手く終わってから、ひとりごちて謝る狡さが描かれていた。国語の授業のようにして心理描写を事細かく追いたくなったのは久しぶりだった。

『side B』(佐藤正午/小学館文庫)読了。 この前図書館で借りた中の1冊。佐藤さんの競輪ファンとしての顔が見られるエッセイ集。あの日は結局少し考えて、佐藤さんの本はまずエッセイからスタートしようと決め、エッセイ集を2冊借りた。いきなりB面(競輪ファンの面)から入るのもおもしろいけど、A面(もう1冊のエッセイ集)→B面という王道ルートを取った(エッセイから入っている時点で王道ではない気はするけど)。わたしにとっては競輪も未知の世界なので、少しどきどきしながら読み始めたのだけど、文章のおもしろさと好きなものを語るときの熱量に引き込まれ、気づくと夢中でページをめくっていた。いつか生の競輪を見てみたいなぁ。
『毒きのこに生まれてきたあたしのこと。』(堀博美/天夢人)読了。これも『side B』と一緒に借りた本。夏に菌類の研究室見学に行って以来、わたしの中では菌類がアツイので、図書館で背表紙が目に入った瞬間すっと手にとってしまった。表紙のヒグチユウコさんのかわいらしいけどどこかぞっとする画もすてきだ。毎年毒キノコを食べてヒトが亡くなったというニュースが絶えないことが示すように、毒キノコにはヒトを引きつけて止まない魔力を持つ。生きていく上でなんの得もないはずなのに、なぜヒトは危険とわかっているものに神秘的な美しさを感じるんだろう。不思議だなぁ。
*本サイト記事・写真・イラストの無断転載を禁じます。