BOOK REVIEW
畠中 美雨『終わりと希望のありかについて』
徳岡 柚月『心がコバニに呼ばれる理由』

畠中 美雨「終わりと希望のありかについて」

 
『滅びの前のシャングリラ』
凪良 ゆう 著
中央公論新社
本体1,550円+税
「地球が滅べばいいのに」誰しも一回は願ったことがあるだろう。
 これはまさにあと一ヶ月後に滅ぶ地球上ではじまる物語だ。混乱し暴徒と化す人々、食糧や日用品の奪い合いで窓は割られ荒らされる街中、機能しなくなる交通網や情報網。そんな世界が、いじめられっこの中学生友樹、人を殺したヤクザの男信士、友樹の母親静香、そして人気絶頂の歌姫Loco、と4人の視点を繋いで描かれている。

 徐々に地球が破滅に向かっていく中、各登場人物は悲愴感に浸るどころか生きている実感を取り戻していく。家族愛、友情、ずっと胸につかえていた謝罪など今までやり過ごしていたことに向き合いはじめるのだ。地球が崩壊する10日前、『でもこうなる前の世界より、ぼくはずっと自分が好きなんだ。前の世界は平和だったけど、たまに死にたいって思うときがあった』とまで友樹は言う。その反面、罪の重さ、親子間の亀裂、書き換えられない過去など湧き上がった重たい問題や感情も抱えて残りの日々を過ごす。果たしてこの世界はユートピアかディストピアか? 読み進めるうちに私の答えは幾度も反転して、今でも決め切れていない。
 「最後だから」そんな投げやりな理由からはじまっても、崩壊していく世界で何かを取り戻す姿。それは「ドブネズミみたいに美しくなりたい」と歌う有名な曲にある、ドブネズミのような美しさではないだろうか。そして多分、この舞台が破滅間近の世界だからこそ、その理由だけで美しい、という話ではない。この本の世界線のようにみんな同時にではないけれど、いつかくる終わりに向かって歩いているこの現実世界でも、いま生きている人の姿は美しいのだと気付かされる。
 ちなみにタイトルの“シャングリラ” はチャットモンチーの楽曲「シャングリラ」が由来らしい。「希望の光なんてなくったっていいじゃないか」その先にいま希望の光がなくても、これから希望が生まれないとは限らない。そんな希望をくれる一冊。
 
京都大学大学院M1
畠中 美雨
 

徳岡 柚月「心がコバニに呼ばれる理由」

 
『コバニ・コーリング』
ゼロカルカーレ 著
〈栗原俊秀=訳〉
花伝社
本体1,800円+税
わたしは普段、めったにニュース番組を見ない。理由は、殺人事件や事故、それに紛争問題などの報道を見て、暗い気持ちになるのが嫌だと思ってしまうから。でも、それでいいの?という思いもあった。このままずっと、目を塞いで、遠ざけていたら、人間として、なにかとても大切なものが足りないまま、ぼんやり生きていくことになるような気がしていた。同じ生きもの、少しなにかが違っていれば、同じ場所にいたかもしれない人、そして彼らの生きる世界。それらをもう少しピントを合わせて見てみたい。だから、わたしは『コバニ・コーリング』を読む決意をした。  
 美しい星夜の下、聞こえる音。バーン、ラタタタッ、タン・タン・タン、ズブーン。この本は、作者のイタリア人漫画家ゼロカルカーレが、すぐそばの戦場から聞こえる銃声の解説を受けているシーンから始まる。戦場の名はコバニ。彼はなぜ、そのような場所にいるのか。まず、女性の解放、異なる信仰の共生、富の分配などを追求するクルドの革命に惹かれているから。この本には、たくさんの戦う女性が登場する。彼女たちは男性の指図を受けることなく凜と生きており、男性たちも彼女らを認めている。また、特に心を掴まれたことなのだが、クルドの人々は、戦死した敵にも敬意を払い、終戦後に家族が亡骸を引き取りに来たときのため埋葬場所を記録しているそうだ。40年間も戦い続け、仲間を殺してきた相手に対し、なぜそんなことができるのだろう。どうしてそのような心を持ち続けられるのだろう。人類はこの答えを知らなければいけないと思う。「心に自由と人間らしさを持っているなら、男だろうが、女だろうが、コバニに駆けつけるべき」。ゼロカルカーレが戦争をその心に刻みつける中で見つけた、彼がコバニに行った一番の理由。この言葉に、この本の全てが凝縮されていると思う。そして、この言葉の意味が理解できることが、人間を人間たらしめているのだと思う。
 
京都大学3回生
徳岡 柚月


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