リレーエッセイ
倉本 敬司(読者スタッフ・広島大学3年)

P r o f i l e

倉本 敬司(くらもと・たかし)
広島大学3年、法学部。ここ半年ずっと予備試験の勉強ばかりで、『izumi』のことなんて完全に忘れていた。書籍収集に余念はない。友達いないいない詐欺の常習犯。

「友達」の話を真剣に聞いていると、どういうわけか段々と苦しいような気がしてくる。それでもどういうわけか聞き続けてしまって、後になって不快感と嫌悪感に苛まれたりする。そういうとき、自分の「本当の気持ち」を抑え込んでしまっていることを疑ってみる。後になって不快に思うということは、話を聞いた時点でもきっと何かしら違和感を抱えているのに、「人の話を聞いてあげることは良いことだ」だの「きちんと聞いてあげないと嫌われるかもしれない」だの「聞いてあげてる自分って素晴らしい」だのと、自意識過剰に打ち消しているのかもしれない。言ってみれば、動物的な反応である情動を都合の良い感情に理性の働きで置き換える、あるいは覆い隠す。そんな風にして知らず知らずの内にストレスを溜め込んだって不毛なのにやめられない。誰かがわかってくれるわけではないし……もうやめよう……パチッ、電源OFF。
 押し潰されそうな夜は、『バグダッド・カフェ』を観よう。アメリカの国道沿いにある寂れたモーテルの女主人とそのモーテルへ迷い込んだ太ったドイツ人の女性との間に芽生える絆の話だ。最初は、突然やってきて居座り続ける異邦人を女主人は怪しんでいるのだが、太った彼女の存在がギクシャクしたモーテルの人間関係を変えていって……。
 概して映画というと、この世のものとは思えない美男美女ばかりが出てきて、「感動」の押し売り、大安売りに終始することが多い(全体としては)。反対に、この映画には、美女もイケメンも出てこなければ、特にこれと言った盛り上がりもない。華やかさゼロ。寂れたモーテルとその人間模様が淡々と描かれ続けるだけだ。だけど、生きていればきっとどこかであなたを待っている人がいる、そういう気持ちにさせてくれる。
 だから、自分が聞いて傷つくような話を黙って聞かなければならなかったり、読みたくもない空気に忖度しなければならない、そんな「友達」からは逃げてしまおう、と声を大にして言いたい。「本当の」友達がいるとすれば、その人は、あなたが傷ついているときも癒やしと安心感を与えてくれるものなのではないだろうか。
 

次回執筆のご指名:川柳 琴美 さん

川柳さんは、今回、「読書日記」を執筆してくださいました。いつも積極的にいろいろな提案をしてくださる、『izumi』にとっては川柳さんも頼もしいスタッフの一人です。ひとこと自己紹介をお願いします!(編集部)

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