名著 深読み
「『星の王子さま』を哲学的に読んでみる」

秋満吉彦(NHK Eテレ「100分de名著」プロデューサー)×『読書のいずみ』委員

読書好きのみなさんなら一度は読んだことのある『星の王子さま』。この作品を哲学的に読んでみると何が見えてくるか……、「100分de名著」番組プロデューサーの秋満吉彦さんと『読書のいずみ』のメンバーが、『星の王子さま』とサン=テグジュペリについて語り合いました。『読書のいずみ』166号(新学期号)の「座・対談」の番外編で収録した模様をお届けします。

※)いずみ委員(インタビュアー)
河本 捷太(愛媛大学卒業生)
戸松 立希(慶應義塾大学4年生)
岩田 恵実(名古屋大学4年生)
千羽 孝幸(愛媛大学4回生)


秋満
 まずはみなさん『星の王子さま』の感想を聞かせてください。

戸松
 僕はまずバラの赤い花の態度に「え?」と思うところがありました。大事にしてもらっていることをありがたがっていない傲慢さがあるなと。もう一つ印象的だったのは、最後の、王子さまが「大事なことは表面ではわからない」というところです。これは良いことだと思いましたが、現実的に仕事をして数字を上げないといけなかったりお金が絡んだりすると、なかなかそうはいっていられない、理想論なのではないかと思いました。

岩田
 私は小学校一年生のときに初めて読んだのですが、そのときにはつまらなくて、バラの話に進む前に読むのを断念してしまいました。ですが次に高校生で読んだときにはちょっと面白いと感じ、昨日改めて読んだときには急激に面白いと思いました。私は今プルーストの『失われた時を求めて』を読んでいるのですが、プルーストは「世間一般にすごく良いと言われている人が実はイマイチな部分がある」というところを人間観察的に書いていて、その点が『星の王子さま』とも共通している気がして面白いなと感じました。哲学的には、『星の王子さま』は「世界の見方」がテーマなのではないかと思います。王子さまが出会った色々な星の大人というのは、現代哲学につながっているのかなと思い、楽しく読みました。

千羽
 一番心に残ったのは、王子さまが出ていったあとに振りかえる「僕はあんまり小さかったからあの花を愛するということがわからなかった」というところです。広く言うと「今ならわかるけど」という経験をしたことがあったので、この一文には激しく共感を覚えました。『星の王子さま』を哲学の視点で読むのは難しかったです。ただ自分は『星の王子さま』は「友達の哲学」なのではないかと解釈しました。キツネとのシーンで、キツネが「仲良くなるというのは飼いならすこと」と言い、王子さまはそれに共感をするかはっきりしないままでしたが、結局バラのところで「僕の友達のキツネは」とさらりと言っていて、そこが気になりました。キツネは王子さまに友達になってくれることをすごく求めているけど、王子さまにとってキツネは既に友達なんですよね。今僕たちが「つながり」をSNSなどの目で見える形で求めているのとは対照的だと感じました。「友達」とはそもそも何なのか、仲良くなった人を友達と言っているのか、サン=テグジュペリは何を友達としているのか、結局何なのだろうか、というようなことを色々考えました。

河本
 僕が一番考えさせられたのは、序盤の箱の絵を描いているところです。どう考えても箱を描く大人って絶対いないなと。「箱の中にいるよ」みたいなことを言われても、はっとはしないじゃないですか。それはイマジネーションの問題なのではないかと自分では思っていて。全体で捉えると『星の王子さま』は「大人と子供の哲学の対立」の話だと思いました。途中色々な星に行くとき、ネガティブな印象を受ける人ばかりですよね。その中で王子さまは箱でも喜びますし、羊がいるのを想像できますが、それは王子さまの想像力が豊かだからだと思います。「想像力」とは「考えることができるかできないか」という話だと思いました。子供は何に対しても疑問や好奇心を持つ一方、大人は考えることをやめたり無意識に決めつけたりどこか知ったかぶりしているところがあると自分では思っていて。大人は知らず知らずのうちに視野や考える範囲を狭めていると思います。広い視野で考えられるのが王子さまや箱のエピソードであり、「どこまで考えられるか」「見えないところを想像できるか」を考えさせられました。


秋満
 みなさんがそれぞれ全く違う視点から読んでいるところが面白いですね。『星の王子さま』はそういう作りの本だと思います。あえて共通点を引き出すとするなら、みなさんの解釈の中では軸は「子供と大人の違い」だというところが共通していると言えるでしょうか。でもそれ以外には共通点が意外とありません、不思議ですね。もしかしたら『カラマーゾフの兄弟』よりも解釈がバラバラになる作品なのではないでしょうか。『カラマーゾフの兄弟』の場合「父殺しの話である」ことは疑いないですが、『星の王子さま』の場合「星の王子さまは何の話?」と聞かれたら人によって答えが違うと思います。『星の王子さま』はどんな解釈でも成り立つけど掘っていくと深い話かなと、4人の意見を聞いて改めて思いました。


秋満
 僕の解釈の話をしますね。僕も『星の王子さま』は大学時代に最初に読んだときはつまらないと思ったんです。ですが30代に読み直したときに面白くてびっくりしました。そして最近読み直したときにもまた印象が変わっていて、こんなに印象が変わる本があるんだと実感しましたね。最近になればなるほどリアルなんです。
 僕はサン=テグジュペリが好きで彼の作品は色々読んでいるんですが、彼の作品の中で『星の王子さま』が異質なのは「飛行機に乗っているシーンが出ない」ところだと思います。『夜間飛行』など大体の代表作には出ているんですが。なので3回目に読んだときに「飛行機に乗るシーンがないんだ、うわ、既に飛行機が墜ちているんだ」とあらためて思いました。サン=テグジュペリは飛ぶことが大好きなんですね、命よりも大事なくらいで、「飛ぶことを奪っちゃうと存在感がないです」みたいな人なんですよ。そんな人が「飛ぶこと」を禁じ手にしているところが意外で、飛ばない作品をよく描いたなと思いました。
 これは、まさに彼が飛べない時期、アメリカに亡命していたという大変な時期に、ある彼の友達に向けて書かれた作品なんです。名著を読むときには作品を純粋に楽しむのももちろん良いですが、『星の王子さま』の場合は背景を知った方が良いと思います。禁じ手で書く面白さというか、一番好きなことを書かずに一番大事にしていることを書いているらしい、ということが分かるので。
 ちなみに最近『スラムダンク』の作者の井上雄彦さんが、『リアル』という車椅子バスケの話を書いているんですけど、それがすごいんです。彼はバスケが大好きな作家なのに、2、3巻くらいまではバスケのシーンが無いんです。それを読んで、最も大切なことを書くのに好きなことを禁じ手にするという、『星の王子さま』と同じものを感じました。得意分野だから、やろうと思えばいくらでもできるのに。また井上さんのすごいところは、事故でバスケを奪われてしまう話なのに、結果的に書かれるのは「どうしようもないほどバスケが大事」だということなんですよ。書かれないことにより、表現されているんです。サン=テグジュペリも「飛びたくて仕方がなかった」のだと思います。そして「飛ばなくなって見えてきたもの」が描かれているんだと思いますね。
 ちなみに当時飛行機というのは革命的な技術で、人と人との距離、世界の距離を縮めるものだったんです。そんなときに飛行機が壊れるということは、今でいうと「ある時スマホが壊れて、空間的にも山奥にいて誰とも会えない」ような状況に似ています。そんなときに何が起こるのか、ということをサン=テグジュペリは否定的には描いていなくて、ずっと何かと繋がっていたものがなくなったときに何に向かうのかというと「自分の内面」で、自分との対話が始まるんです。そうすると、「あまりに情報の波やつながりのようなものに溺れ翻弄されていた自分が本当の自分に会える瞬間」が描かれているのではないかと思いました。ひょっこり出てきた王子さまは、「本当の自分」のメタファーなのではないかと。
 ところが、そう読める一方で、どうも違うなと思うところもあるんですね。王子さまは王子さまで自分のことを分かっていないんですよ。例えばバラのエピソードだと、あのバラは王子さまに構ってほしい、愛を確かめたいツンデレだったんですが、王子さまは鈍感だからそれに気づいていないんです。王子さまは「僕らが失ってしまった子供の心」と言われたりしますが、王子さまは王子さまで、不完全で周囲が見えていないんですよね。自分がいかに愛されているかにも気づいていないわけですから。
 そして6つの星の人のことを王子さまは「変な大人」と言いますが、確かに大学生で読んだときには「こういう大人いるよな」と思いましたが、今読むと「6つの星の大人は自分のことでは?」と思ってしまうんですよね。6つの星の人は嫌な大人として描かれているけど、現代人そのものという感じがします。全部自分に当てはまるんですよ。サン=テグジュペリはアメリカという消費に翻弄されている社会を見て、そんな人間たちのことを6つの星の人として描いたのではないでしょうか。大学生くらいで読むと墜落した飛行士に感情移入するケースが多いのかもしれないけど、僕の最大の共感ポイントは6つの星の人ですね。みんな自分の分身みたいな感じがします。
 それから3回目に読んだときに、実は一番ぐっときたのは、最後の方の井戸を探す話なんです。井戸のところ、謎じゃありませんでしたか? 直前まで自分のことをずっと語っていたのに、なんで突然井戸を探しに行くのかと。さらに訳がわからないのが、砂漠にある井戸なのにまるでどこかの村にあるような井戸で、なんでそんなものがあるんだと(笑)。多分この辺に、サン=テグジュペリが言いたいことが入っているのではないかと思います。みなさんがおっしゃった大事なところももちろん大事ですが、鍵はこの井戸だと。ちなみにみなさんは、井戸はどのように捉えましたか?


戸松
 井戸のところは、ちょっと良くわからなくて素通りしました。

千羽
 井戸のところで王子さまが水を飲むシーンがありますが、その「水」が何なのかで「井戸が何なのか」が分かるのではないかと思います。おそらく井戸は誰かが作っているもので、「人間ってつまらない」というところがありつつその中で揺るがない一個の答えのようなものを作っていると思うんです。それが「作られている井戸」なのではないでしょうか。そこからくみ上げられる水というのは「揺るがない何か、人間に生きる力を与える何か、なかったら生きられないもの」だと捉えました。

河本
 砂漠の中にある立派な井戸は「何もないところにあるオアシス、重要なもの」という位置づけだと思います。それが何なのかは自分にはわかりませんでした。誰かにとっての「大切なもの」の喩えで、それを一緒に探しに行くシーンなのかなとは思いましたが。

岩田
 私は考察よりも共感してしまいました。昔病気になったときのことを思い出しました。そのとき1日3回運ばれてくるご飯が、特別なもの、大切なものに見えたんです。上手く言えませんが、そのときの気持ちが王子さまだったのかなと。

秋満
 自分の体験とかさなっていたということですよね。


秋満
 みなさんの捉え方では井戸は「大事なもの」だというところが共通していますね。
『星の王子さま』は自分探しの話かと思ったら、スコーンと論点をずらされた感じがして、悩みましたね。僕も大事なものだろうと思ったのと、もう一つは「極限状態の中で見出したもの」というところで、他のサン=テグジュペリの作品も読んでみたんです。『人間の大地』を読むと分かるのですが、サン=テグジュペリも何度も極限状態に陥っているんですよ。飲まず食わずで砂漠を歩いたり、飛行機が墜落したり。そして特に印象的だったのが、ギヨメという親友の話です。彼はアンデスで遭難をして消息不明になってしまうのですが、6日目に発見されるんです。彼は山中奥深くに墜落して食料も防寒具もない状態でひたすら歩いて助かったんですが、そんな極限状態で彼が何を思ったのかというと「待っているみんなのことを思い浮かべた」のだそうです。
 「友人たちはきっと自分が勇猛にも胸をはって歩いていると思っているだろうと思った。だから歩かなきゃと思った」のだと。「どうしても助かりたい」などではなくて、みんなの期待に応えないといけないと思ったらしいんです。それから、もうダメかもしれないという場面で考えたのが彼の奥さんのことで「もしここで行方不明のまま死んだら妻が生命保険を受け取れず困窮するから、死んでも良いから人に見つかるところまで歩こう」と思ったそうなんですね。そして結局全身凍傷になったものの、命はとりとめました。サン=テグジュペリはそのときに「極限状態のとき人はどうするのか」を深く考えたそうです。「極限状態では自分のことは考えず、愛する人のことを思う」というのが、大いなる逆説ですよね。それを読んで感動しました。
「自分が自分が」ということより「自分はこの世界で何を期待されているんだろう」と考えたときの方が力が出るんです。最後に残る本当の自分、「エゴ」に対する「セルフ」、奥にいるその「セルフ」が自分を支えているんです。フランクル流に言えば「自分は人生から問われているだけ」で、根源的には自分はなくて、自分の根源は分かちがたく他者や世界と結ばれているんですよ。だから人は生きているんですね。自分や友人の体験でサン=テグジュペリが見出した真実は「根源的な自己は他者や世界と結ばれているんだ」ということで、彼はずっとそれを書こうとしていたのだと思います。
 そこで井戸を探し見つけるシーンで、どうして井戸なのかというと、元々どこかの村にあったような井戸ということはつまり「元々あったものを僕らが忘れていただけ」ということのメタファーなんだと思います。そして井戸は王子さまと飛行士のつながりも象徴していますが、井戸というのは深いところで水脈として世界とつながっていることも表しているのではないかと。『星の王子さま』は「人間は他者や世界と奥深いところでつながっている」ということを描こうとした作品なのではないかと思います。またこの作品は単体で読むよりサン=テグジュペリの人生や状況、他の作品との結びつきで読んだ方が、読み方が深まると思いますね。この読み方を強制するわけではありませんが。
 ちなみに、サン=テグジュペリはとても辛く孤独でいたときに「今は離れていても友達と深いところでつながっているんだ」と思っていたと思うんです。そしてこの世界とつながっていたいと思った彼は、一年後に周囲に反対されながらコルシカ島に飛びます。そして9回飛行して9回目に墜落するんですが、それも『星の王子さま』っぽいですよね。いみじくも作品が彼の死を予言しているような気がします。最後のシーンで王子さまが見えないシーンが出てきますが、それは「もうあなたには王子の姿が見えるでしょう? この作品と結びついたのだから」と言っているような気がします。これは3回目に読んで気づいたことなんですけど。
『星の王子さま』を2回目に読んだときはちょうど、遠く離れたところにいる友達と一緒に仕事をしていたのですが、その友達とケンカになったことがあったんです。メールでやりとりをしていたのですがどんどん関係が悪化して絶交直前までいって。僕はそのとき不思議なことに『星の王子さま』を読んで、「友達に会いに行かないと」と思ったんです。それで実際に会いに行ったら相手は当然怒っているんですが、顔を背けながらも「来てくれただけで、ありがとう」と言われて握手を求められました。「もう何も言うな」と。そして仲直りをしました。そのときに、会いに行って良かったなと思ったのと、『星の王子さま』に背中を押されたんだと思いました。この作品は「この人とのつながりってなんだろう」ということをもう一度考えさせてくれる作品だと思いましたね。「自分は他者や世界とつながっていて、問いかけられていて、それに答えることが自分を豊かにしていく。欲望のままに生きていくよりは他者とつながっていることを考えていく方が生きる意味としてはすばらしい」と思わせられたのが、僕が哲学的にこの本を読んだところです。自分探しの本かと思ったら本当の自分なんて無くて、他者や世界とつながっていたのだと。きっと自分を支えてくれる本なのではないかと思いました。
 みなさんは、どうでしょう。もちろんこの解釈が絶対ではないです。
*V・E・フランクル(『夜と霧』の著者)

河本
 「つながり」というのは井戸のところとも確かに合致していると思いました。僕が他者とのつながりにおける自分が大事なのだと思ったのは、就活で自分の「○○力」みたいなものをアピールする必要があったとき、それは実体的な能力ではなく相対的な能力で、人と比べたり関係性の中で築き上げたものだったりするなと感じたときです。自分だけで完結するものではないなと思いました。結局は自分だけというより、他者あっての自分だと。それを意識するのは大切だと思います。秋満さんの解釈までには至っていませんが。

秋満
 これは、辛酸舐めつくしたからこその解釈かも……。皆さんはまだ若いから、これから人生経験を積みながら何度も読み返していく中で、すごい読み方ができるかもしれません。好きな作品はぜひ何度も読んでください。特に苦しいときや出口がないようなときに。そういうときに必死で岩にしがみつくように手に取った本が意外とすごかったりします。もちろん外れを引くこともありますが厳しいときほど良い本に出合うような気がします。苦しいときに見つけた本が、その後を支えてくれるものになったりしますよ。

千羽
 自分も生きていく上で糧になることが読書の価値だと思います。文学が役に立たないと言われたりもしていますが、その中で自分は「読む」ということを考えていかないといけないなと改めて思いました。

秋満
 「読んでよかった!」という気持ちを表現することが大事だと思います。頭ごなしに「読め」といっても読まないものだから。一番良いのは「なんかあそこ楽しそうだから自分も入りたいな」と思わせることです。本を読まない人には、面白そうと思わせることが大事。
 これからも本を楽しみながら、読む喜びを伝えていただけたらと思います。
 
  (収録日:2021年2月9日)
 

『星の王子さま』主なラインナップ

P r o f i l e
秋満 吉彦(あきみつ・よしひこ)
1965年生まれ。大分県中津市出身。
熊本大学大学院文学研究科修了後、1990年にNHK入局。ディレクタ一時代に「BSマンガ夜話」 「土曜スタジオパーク」「日曜美術館」「小さな旅」 等を制作。その後、千葉発地域ドラマ「菜の花ラインに乗りかえて」「100分de日本人論」「100分de手塚治虫」「100分de石ノ森章太郎」「100分de平和論」(放送文化基金賞優秀賞)「100分de メディア論」(ギャラクシー賞優秀賞)等をプロデュースした。現在、NHKエデュケーショナルで教養番組「100分de名著」(毎週月曜 午後10:25)のプロデューサーを担当。
著書に『仕事と人生に活かす「名著力」』(生産性出版)、『「100分de名著」名作セレクション」(共著・文藝春秋)、小説「狩野永徳の罠」(「立川文学Ⅲ」に収縁・けやき出版)、『行く先はいつも名著が教えてくれる』(日本実業出版社)がある。


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