気になる! ヒップホップ

 ヒップホップの発祥は1973年のアメリカ、NY。パーティーを盛り上げるために生まれたのが起源と言われており、現在では世界各国に普及している。比較的若い文化であるが、既にそのジャンルは確立されているといっても過言ではない。ヒップホップの原型は、まず、ビート。基本的に、ヒップホップの曲においては一定のリズムを刻むドラムを基本としたパートが延々と繰り返され、それらをビート、またはトラックと呼ぶ。ヒップホップにおいてはこのビートがBGMであって、そこに様々な要素が組み合わせられる。その中でも最もメジャーなのがラップだ。そして語弊を恐れずに言えば、「ビートにラップをのせる」という、たったそれだけが、音楽ジャンルとしてのヒップホップの原則なのである。あまりに、単純。しかし、その単純さが世界を席巻している。それは、単純さゆえ様々な文化を取り込み、そして様々な形で取り込まれ発展したからであって、ヒップホップには単純さの美学のようなものがある。

 日本のヒップホップ、とりわけラップに焦点を当てると、ラップはヒップホップとイコールで捉えられがちであるが、ヒップホップの歴史を辿って出来るかぎり厳密にいうと、イコールではない。ラップは、あくまでヒップホップの一要素なのである。そして、ラップの要素として大きいのは、皆さんもご存じ、韻だ。だがこれまた韻を踏んでさえいればラップかと言うと、実はそうでもない。というのも、韻を踏むことによって自然と生まれるリズムを単に繰り返すと、ひどく単調なものとなってしまうからであって、音楽として成立するためには「いかにリズムを取りながら韻を踏むか」という問題をひっくるめて考える必要があるからである。韻の踏み方には様々な歴史があり、同時にラップの在り方も常に変化し続けている。そして現在では、日本におけるラップは「イカツイ兄ちゃんの文化」という一面的な固定観念からはほとんど脱却しているように思われる。ポップスにもラップの技術が引用されていたり、逆にヒップホップがアニメソングとして採用されたり。最近の例だと、アニメ『映像研には手を出すな!』のオープニング主題歌(「Easy Breezy」)を女性ラッパーユニットchelmicoが歌っているし、アニメ『オッドタクシー』の主題歌「ODDTAXI」を歌っている一人、PUNPEEは日本のヒップホップを牽引しているラッパー、トラックメイカーである。

 また歌唱におけるラップだけでなく、フリースタイル、ラップバトルの発展に関しても最近大きな注目が集まっている。こちらは「フリースタイルダンジョン」といったテレビ番組や、声優がラップバトルを行うプロジェクト『ヒプノシスマイク』などによって認知度が一気に高まったようである。
 だが、実際のラップバトルの大会を知った人は「ヒップホップって、なんか野蛮!」と思ってしまうかもしれない。確かに、ラップバトルで交わされることばは鋭く、刺激的なものが多いが、ラップバトルはいうなれば「ことばの格闘技」なのである。そこにはれっきとした技術があり、見方を変えれば注目すべき言語文化でもある。ボクシングや総合格闘技の試合を見て、「なんて野蛮な!」と悲鳴を上げることは見当違いであろう。
 ただ、そもそもなぜラップがバトルの方向へ向いていくのか。その根底については一見理解されにくいという点は否めない。「音楽ジャンルのラップは技術として理解できても、何故韻を踏みながら相手を罵倒なんてことになるのか、理由がわからない。やっぱり野蛮じゃないか?」と言われたら、少し考える(私は最初、完全に「理解できない」側であった)。ここで怖い兄ちゃんが「それがヒップホップだ」とでも言おうものなら、逆にわかりやすいのかもしれないが、せっかくなので、こじらせ文学青年だった私がどうやって「理解できない」側からヒップホップに近づいて行ったのかという視点からみてみたい。それは最初にも述べた「単純さの美学」という視点である。
 フリースタイルとは、広く即興で行う自由なラップのことを指すが、即興で作られるからこそ歌い手は「いかに臨機応変に、かつ瞬時にラップが出来るか」を問題とする。そして必然的に、ラップ表現には端的かつ鮮明なメッセージが求められてくるのだが、「メッセージの鮮明さをいかにして生み出すか」という問題に今度は直面する。結論から言うと、それは歌い手の徹底した問題認識、自己認識によってしか生まれない。例えば、「自分は○○が好き」というメッセージは単純であるが、鮮明ではない。「何故○○が好きか。○○のどんな部分が好きか。○○のどんな部分がどのように好きか。……」と認識を徹底していくことによって初めて具体的で鮮明なことばが生まれるのである。これはエッセイと同質だ。
 しかし、エッセイは書き手の中で完結するのに対して、フリースタイルは目の前の相手を前提とするため自己完結しない。逆に、徹底した自己認識の結果生まれたメッセージは、その鮮明さゆえに他のメッセージと対立する構造を取り、さらに巧拙を競うためにぶつかり合う。普通は目の前に「○○が好きではない」人がいたら適切な距離を取るだけだが、ラップバトルでは自分のメッセージをより鮮明に表現するために「○○の良さがわからないなんて」と、逆に相手に踏み込むのである。ましてや相手が「○○が嫌い」な人ならば言うまでもない。つまり、ヒップホップは原則が単純すぎるあまり、自然とラッパーの認識と言葉を鋭くし、その結果摩擦が生まれてしまうのだが、その摩擦を競技として昇華した結果、フリースタイル、ラップバトルに発展するのである。これらはあくまで私の解釈だが、こう考えるとラップバトルやフリースタイルは、ヒップホップの「単純さの美学」の一諸相であり、一つの文化として理解できるのではないかと思う。ラッパーたちは決して罵倒したいからラップバトルをしているのではないのだ。決して野蛮なだけの文化ではない。
 往々にして、原理が単純なものの結実は恐ろしく複雑だ。私は言語文化としてのヒップホップを、常々とても興味深いと思う。是非一度、皆さんもヒップホップにノッてみてはどうだろうか。
 
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P r o f i l e
 

千羽 孝幸(ちば・たかゆき)

愛媛大学教育学部4回生。今回紹介した中で女性ラッパーユニットchelmicoについて少し触れましたが、実は自分が一番好きなラッパーです。ヒップホップに親しみのない人でも聞きやすい曲をたくさん歌っています。ぜひチェックしてください!

*「気になる!○○」コーナーでは、学生が関心を持っている事柄を取り上げていきます。


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