おいでませ、フランス文学の世界へ
最終回

「Bienvenue au monde!
〜ようこそ、新たな世界へ〜」

 

今回ご紹介した本

バルザック〈中村佳子=訳〉
『ゴリオ爺さん』
光文社古典新訳文庫 定価1,386円(税込) 購入はこちら >

 春、僕は都内のX大学に入学した。片田舎に住む僕は上京・一人暮らしを余儀なくされたが、愛情に満ち溢れた両親は、息子の将来に期待を寄せ、なけなしの財産をかき集めてX大学へと送り出してくれた。緊張と期待に胸を高鳴らせつつ、田舎から遙々やって来た僕が初めて目にした都会の空は、高層ビルによって塞がれており、その薄暗い天井には頭を押さえつけられるような、どこか不穏な、圧迫感を感じた。
 大学内では全国から集まった様々な人々と知り合い、彼らとの交流の中で自分がいかに平凡な一優等生であるかを思い知らされた。また都会の洗練された華やかさを身に纏うクラスメイトと接していると、田舎くささが抜けない自分が惨めに思えた。そんな中、突如生活に転機が訪れた。偶然ゼミでノートを貸した女性と仲良くなり、彼女に誘われてサークルに入部したのだ。そこはいわゆる「飲みサー」で、入部してまもなく夜の繁華街を飲み歩く日々が始まった。夜の街に広がる世界は、見慣れた昼間の世界とは何もかも異なっていた。即席の人間関係、本音を隠した上辺だけの会話、軽薄で華やかな人々、そして光り輝くネオンライト。僕は圧倒されつつも、その光にすっかり魅了されてしまった。いつしか僕は、勉学への意欲をすっかり忘れ去り、親からの仕送りを全て交際費に費やして夜の社交界に浸りきっていた。派手な生活を一年も送ると、僕はすっかり「洗練」されて、もはや田舎にいた頃の素朴な感情や実直な人間関係は忘れきっていた。そして家族とは、いつの間にか仕送りを催促するメール以外には連絡をとらなくなっていた……。

 ……とまあ、一昔前の上京大学生あるあるみたいなのを描いてしまいましたが、こんなことはコロナ禍では中々起こらないのかも知れませんね。

 挨拶が遅くなりましたが、Bonjour!
 いつのまにか外は暖かくなり、桜の季節となってしまいました。そして、春といえば入学式の季節でもありますね。大学入学とともに、遠方から遙々上京される方も多くおられると思われます。ご実家からの通学であっても、都市部の大学に通う場合は、電車などで毎日街を通ることになるでしょう。都会の風は私たちの胸を躍らせ、少し大人っぽくさせてくれます。しかしながら、その「都会の風」は良いことばかりをもたらすわけではありません。洗練されるといえば聞こえがいいのですが、都会の冷たさに慣れるほど、かつての素朴な感情や人間関係はどこかへ消え去ってしまい、どこか乾いた感覚が身についてしまうのかもしれません。約200年前のパリでも、同じ様な状況の青年がいました。彼の名はウージェーヌ・ド・ラスティニャック。田舎貴族の生まれで、家族の期待を背負って花の都・パリへ上京し、古ぼけた集団下宿場に住み着きます。そこで出会ったのは一人の男性で、彼は他の下宿人達から「ゴリオ爺さん」(この「爺さん」には、「老人」ではなく「親父」のようなくだけたニュアンスがあります)と呼ばれていました。ゴリオ爺さんは、みすぼらしい外見で宿舎内でも邪険にされているのですが、実はかつて事業家として一財を成した人物であり、二人の美人な娘がいました。長女は社交界で高名な伯爵家、次女はオランダ人銀行家の下へと既に嫁いだのですが、なぜ親子間にこれほど経済格差が生じたのでしょう。なんとゴリオ爺さんは、自分の生活が破産するほど多額の資金援助を娘たちに行なっていたのです。特に、長女は愛人に貢ぐための費用を彼から搾り取っており、彼は娘のために家財の銀食器を溶かして売りさばく始末です。一方ラスティニャックは、そんな彼の事情を露知らず、物見遊山で社交界に潜り込んでゴリオ爺さんの長女に一目惚れしますが、純情な青年は社交術を知らず、歯牙にもかけられない上に身分差の屈辱を味わいます。しかしラスティニャックは挫けずに、自分も社交界で成り上がってやるという野心を発揮します。ラスティニャックは従姉妹のボーセアン子爵夫人から社交術を学び、さらにはゴリオ爺さんの次女に近づいて、それを足がかりに社交界を掌握することを考えます。またラスティニャックは野心にとりつかれるあまり、宿屋の怪しい同居人・ヴォートランにそそのかされて危うく悪事に手を染めそうにもなります。そんな中、彼はゴリオ爺さんや娘達の裏事情を知り、社交界や人間関係のあり方に疑問や怒りを抱き始めるのですが、彼はもはや勉学を忘れ、家族に多額の仕送りをさせながら社交界に入り浸っており、思考に行動は伴っていません。さてラスティニャック、ゴリオ爺さん、彼の娘たちの命運はいかなるものか……。
 バルザックの小説は、情景描写が細かすぎて骨が折れるのですが、数十ページ我慢した先にはジェットコースター並の山あり谷ありドラマチックなストーリーが待っています! ぜひ読了して、高揚した気持ちのままご家族や旧友に連絡を取ってみてくださいね。

 それでは、Au revoir〜!
 
P r o f i l e
岩田 恵実(いわた・めぐみ)

名古屋大学4年生。「木綿のハンカチーフ」を聞きながら記事を執筆しました。残念ながら木綿のハンカチーフを振る相手がいない上に、私自身が今夏には都落ちの危機なのですが、それでもこの曲には感動しました。関係ない人を曲の世界観に引き込み追体験させる歌詞、メロディー、歌声。これらが名曲たる所以でしょうか。


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