リレーエッセイ
光野 康平(読者スタッフ・金沢大学法学類4年生)

P r o f i l e

光野 康平(みつの・こうへい)
金沢大学法学類4年生。冬の時期、金沢は雨や雪の日が多くて、車のない僕は時間があっても映画館に行くのをためらってしまいます。「それなら、ネトフリで自宅映画鑑賞だ!」と意気込んでも、非日常感がなくスマホも触れてしまう環境だと全然集中できません。

 自意識をこじらせ、大学に入学してから人と仲良くなることができなかった。講義室や食堂にいる時間のほとんどが一人ぼっち。僕は、そんな自分を惨めに思わないように集団でいる人達を「何も考えず、群れているだけの奴ら」と心の中でバカにしていた。
 そんな日々を救ってくれたのは、フィクションだ。休日を小説や映画のなかの世界で過ごすことが多くなっていくなかで、現実世界や自分自身の見方が変化していった。
 朝井リョウさんの小説は、人間の醜い感情といった普段は見ないようにしている「パンドラの箱」をこじ開けて、その先にある希望を僕に与えてくれた。
 村田紗耶香さんの小説は、唯一無二の世界観を通して、社会の「普通」といった息苦しい磁場から僕を解放してくれた。
 綿矢りささんの小説は、この世界や人の感情の「美しさ」を圧倒的な文章力で描き出して、この世界を愛したいと僕に思わせてくれた。
 今泉力哉さんの映画は、どんな不格好なものであっても、人と人が分かり合うために行う「コミュニケーション」は尊くて愛しいものだと僕に実感させてくれた。
 吉田大八さんの映画は、僕のように「夢見ること」で現実から目をそらして、なんとか生きる人々の滑稽さを描きながらも「夢見ること」を肯定してくれた。
 深田晃司さんの映画は、他人によって日常が崩壊していく人々の姿を通して、いい方向にも悪い方向にも変容できてしまう「人生の脆さと可能性」を教えてくれた。
 4年間で出した結論は、フィクションなしで生きていくには、僕には欠点がありすぎるし、この世界は理不尽すぎるということだ。
 大学1年の僕、あるいは自意識をこじらせすぎた結果、他人を腐すことで高すぎる自己愛を必死に守っているそこの君へ。
 お前は「何者」でもないこと、「地球星人」の不完全さをさっさと認めて、フィクションの中で「勝手にふるえてろ」。そしたら、他人を攻撃しなくても何とか自分を愛せる。しかも、素敵な本屋や映画館がある「街の上で」好きなことや自分の弱さを語り合える人と出会えて、人間が住んでいるこの「美しい星」も少しは愛せるようになるから。まあ、残念ながら過剰な自意識と高すぎる自己愛と「さようなら」はできないけどね。
 

次回執筆のご指名:齊藤 ゆずかさん

169号では読書日記で、今号は座・対談で大活躍! 本を読むことだけでなく文章を書くことも好きという齊藤さんですが、最近の興味関心事をぜひこちらで綴ってください。(編集部)

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