あの頃の本たち
「本が読めぬ体でして」浅倉 秋成

本が読めぬ体でして

浅倉 秋成 Profile  読書ができない体に生まれてしまったのだ。
 私は本気でそう思っていた。大学に入学するまで、十八年間、ずっと。
 とにかく集中力が持続しなかった。文字を目で追うことはできる。一つ一つの言葉を脳内で音読するようにして拾うこともできる。
しかし言葉が意味のある像を結んでくれない。仕方ないので立ち止まり、三行ほど戻ってまた同じことを繰り返す。朧気ながら情景が見えてきたときには体力が尽きている。
 朝の読書時間では、文字よりも他の児童を眺めている時間のほうが圧倒的に長かった。
みな真面目に本を読んでいるのに僕はいったい何を。誰かがページを捲る音が幼い胸の中で強烈な焦燥を煽る。十分あった読書時間を丸々使い、私が読み進められるのはわずか三ページ前後。果たしてこの本をすでに何ヶ月読んでいるのだろう。私にとって読書時間とは、すなわち羞恥心を育む時間であった。
 後年になって考えてみれば、私がここまで苦戦した理由は明白である。
 選ぶ本が悪かったのだ。
 日常的に本を読む習慣がない癖に(あるいはそういう人間だからこそ)やたらに背伸びした文学作品に手を伸ばす。え、今? 今は夏目漱石を読んでるね──誰かにそう伝えたい。無意味な虚栄心を満たすために、理解できない書籍とともに時間を過ごす。なるべく有名で高尚そうな、可能ならば大人からの称賛を浴びることができそうなものを。
 間抜けであったことは認めるが、自己弁護を許していただけるのなら「本を勧める人々のあり方」というのも、少なからず私の読書人生に悪影響を与えていたように思う。
 本を読みなさい。本は読むべきだ。
 誰も彼もがそう口にした。反論するつもりはない。仰るとおりだと思う。しかしどこか警告めいた彼らの言葉は「読書というものは本質的に苦行である。しかし歯を食いしばって挑む価値があるからひたすら耐えよ」という訓戒のニュアンスを伴って響いた。
 だから読めもしない書籍を率先して手に取った。苦しければ苦しいほど良質な血肉になるのだと信じ、昭和の運動部よろしく痛みをありがたがった。そしてまもなく読書が嫌いになり、本を手に取ることを止めた。
 この体は、読書ができない体なのだ。
 誕生日プレゼントとして東野圭吾の小説を貰い、贈り主に失礼があってはいけないと無理にページを捲ったその瞬間、ようやく長い呪いが解けた。大学一年生。読書は「楽しい」のだと初めて知った。
 そこからは怒濤のように、などと見栄は張らない。それでも読書は私の中で花が芽吹くような速度で確かな喜びとなり、習慣となっていった。宮部みゆきが読めた。村上春樹が読めた。彼の日は難解な文字の羅列でしかなかった夏目漱石が、面白かった。時間はかかったが、芥川龍之介もドストエフスキーも読めた。川端康成で躓いたが、落ち込むよりも高揚感が勝った。私は書店のど真ん中で震えた。
紙の束が放置されているだけの意味のない空間が、宝物庫へと変貌している。秘めたる特殊能力に目覚めたような心地であった。世界の大きさが倍くらいになった。
 文章を読む力というのは、とりもなおさず学力である。いきなりフェルマーの最終定理が解ける天才もいるのかもしれないが、四則演算を使いこなせなければ複雑な方程式には挑めない。
 読書が好きな人に対して私が語れることは少ないが、苦手な人にならいくらだってアドバイスできる。「大学生ならニーチェくらいは読んどけ」。言われれば冷や汗が出るかもしれないが、気にする必要はない。
 楽しそうなものから手に取ればいい。表紙の女の子が可愛かった。字が大きくて読みやすそうだった。お金儲けの本だったので興味があった。手に取る理由は何だって構わず、棚に戻す理由だって簡単でいい。「ムズっ」と思ったら躊躇せず閉じてしまえ。まだ手に取るべき書籍ではなかったのだ。
 楽しんで読んでいるうちに力は着実についていく。読めるということは知ることができるということで、それはつまり、より大きな世界に身を置けるということだ。
 恥を忍んで告白するが、プロの小説家となった今でも、川端康成は読めない。「雪国」の冒頭一文の凄まじさは理解できるが、情けないことに作品を堪能できたことはない。氏の作品は私に小学生のときの読書を思い出させる。
 しかし焦る必要がないことを今の私は知っている。読める範囲の書籍を楽しめばいいだけの話。
 本が苦手なあなたも、どうか気長に娯楽としての読書を楽しんで欲しい。どんな道を選ぼうが、楽しい限り正解である。長い読書の果てに、一緒に雪国へと続くトンネルを抜けよう。いつかきっと夜の底が白くなる。
 
 
P r o f i l e

撮影:ホンゴユウジ
 

略歴(あさくら・あきなり)
1989年生まれ、小説家。関東在住。
第13回講談社BOX新人賞Powersを『ノワール・レヴナント』で受賞しデビュー。2019年に刊行した『教室が、ひとりになるまで』(KADOKAWA)で第20回本格ミステリ大賞と、第73回日本推理作家協会賞長編および連作短編集部門にWノミネート。『六人の嘘つきな大学生』(KADOKAWA)はブランチBOOK大賞2021受賞、2022年本屋大賞ノミネートのほか、各種ミステリランキングに多数名を連ねる。
その他の著書に『フラッガーの方程式』(角川文庫)、『失恋の準備をお願いします』(講談社タイガ)、『九度目の十八歳を迎えた君と』(創元推理文庫)など。現在「ジャンプSQ.」にて、原作をつとめる「ショーハショーテン!」(漫画:小畑健)を連載中。5月に最新刊『俺ではない炎上』が双葉社より刊行。
 

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