篠原一朗さん(水鈴社 代表/編集者) インタビュアー・文:齊藤ゆずか
前号で私は、『はじめての』の著者のひとりである森絵都さんへのインタビューに参加した。そのご縁で今回、本を企画した水鈴社の代表で編集者の篠原一朗さんにお話を伺った。
『はじめての』のこれまでとこれから
●略歴
篠原 一朗 (しのはら・いちろう)
1978年生まれ。編集者。東京都出身、小学校時代をスリランカで過ごす。
幻冬舎、文藝春秋を経て独立。2020年7月に水鈴社を設立する。
水鈴社HP
『はじめての』は小説が好きな人だけでなく、YOASOBIの楽曲の原作になるということで読んでみたという人も多かったという。
「音楽のファンが小説に来て、小説のファンが音楽に行くという相互交流がありました」
篠原さん自身、編集者としてミュージシャンの小説・エッセイを多く担当してきた。
「YOASOBIの“小説を音楽にするユニット”というコンセプトを知ったとき、すごく面白いなと思い、自分もそこに関わりたいと思ってしまったんです」
そこで、YOASOBIのスタッフに「日本のトップ作家と組んで制作する」ことを提案、どの作家に依頼をするか、から一緒に話し合ったという。そこには「愛情のある人同士でコラボレーションしていただきたい」という思いがあった。小説と音楽の役割分担をはっきりできたのも「作家とミュージシャン、それぞれが互いに敬意を払って下さっていた」からだという。
選ばれた作家は島本理生さん、辻村深月さん、宮部みゆきさん、森絵都さん——「日本を代表する4名の作家の原稿を、設立間もない出版社でお預かりできたことは、すごく光栄で嬉しいことでした」。一方で、「YOASOBIの楽曲の原作になるからといって、特別気負ったつもりはありません。いつもと同じように、著者の方々からお預かりした原稿を、より良い作品にすべく編集しました」とも振り返る。
本の発売と同時に島本理生さんの「私だけの所有者」を原作とした楽曲「ミスター」が、5月末に森絵都さんの「ヒカリノタネ」を原作とした「好きだ」がリリースされたが、『はじめての』は今後どう展開していくのだろうか。
「辻村深月さん、宮部みゆきさんの小説を原作とした楽曲もリリースされる予定です。それぞれの楽曲のMVも制作していただくことになっていますが、朗読劇化や映像化もできたらと期待しているところです。まだ何も決まっていませんが(笑)」「まずはYOASOBIさんに、4曲を良い形でリリースしていただき、いつかそれをライブで聴けたらと願っています。その時は、著者と読者の方々と一緒に聴けたら嬉しいです」、と話した。
水鈴社設立と仕事への思い
篠原さんは『はじめての』を出版した水鈴社を2020年に設立した。
「わがままに本づくりをしたくなってしまったんです。1年に数冊だけ、作家や作品とじっくり向き合い、これぞと思える本だけを世の中に出していくような出版社を作りたいと思いました」流通や営業面では文藝春秋とタッグを組み、「自分の好きな本を好きなようにつくる」土台としての水鈴社をスタートさせた。
大手の出版社と同じことをしていたら、ブランド力のある会社には敵わない。
「大手の会社ではやりにくいこと、できないことを考えていきたいと思っています。ゲリラ戦をしていけたらと(笑)」
そんな篠原さんだが、最初の就職先は出版社ではなかった。「出版社に入りたかったのだけれど、入れなかったんです。だったら、安定した会社にと思って一般企業に就職をしたんですが、思っていた以上に大変でした。社会をナメていたんだと思います(笑)。でも、だったら好きなことやった方がいいなって」25歳で会社を辞め、アルバイトで幻冬舎に入った。そこで担当したのが、村上龍さんのベストセラー『13歳のハローワーク』だった。
「たまたま担当をさせていただいたのですが、僭越ながら、『13歳のハローワーク』は世の中に必要な本だったという実感があります。小説でもそれ以外の本でも、少しでも世の中を良い方向に変えられる力のある本をつくっていきたいと思っています」
篠原さんの言葉には、小説が世の中を豊かにすることへの希望がにじむ。
「戦争だったり、自分が命の危機にさらされているようなときって、正直、小説にできることは少ないのかもしれません」と前置きしたうえで「でも、平時においては、パンよりも小説の方が、人を救えることがある気がします」という。
最近読んだ小説で面白かったものを聞いてみた。まず挙げたのは角田光代さんの『タラント』と古市憲寿さんの『ヒノマル』。そして、上橋菜穂子さんの最新刊『香君』には「こういう素晴らしい物語を学生の方に読んでいただきたいし、いつかは自分も上橋さんとお仕事をさせていただけたらと願うばかりです」と語った。
自ら編集した、いきものがかりのリーダー水野良樹さんの小説『幸せのままで、死んでくれ』は、「歌詞の描写が魅力的で、小説を書いて頂いたら面白いものができるかもしれないと思って」知人を介して執筆を提案した。数年後に水野さんから連絡があり、そこから5,6年かかって出版に至ったという。「あのとき言ったあの一言が5年後くらいに花咲く、みたいなことが結構あったりする」そうだ。
篠原さんの転機になったエピソードもある。まだ文藝春秋の編集者だった頃、担当した瀬尾まいこさんの『そして、バトンは渡された』が本屋大賞を受賞したときのこと。授賞式後、二人で打ち上げに行った帰りのタクシーで瀬尾さんに「自分で出版社をやろうと思っているんですが……」と告げた。「じゃあ、書きます」と瀬尾さん。水鈴社最初の本『夜明けのすべて』が生まれるきっかけになった。
本屋大賞をとると、出版社も書店も、皆が盛り上がる。
「本屋大賞は、文藝春秋の皆さんが一丸となって作品を盛り立ててくれて、書店員さんがそれを愛して下さった結果です。皆さんには感謝しかありません、あの時、本屋大賞の受賞がなかったら、水鈴社は生まれていなかったかもしれません」
編集者としての今後を尋ねた。10年後20年後のことは全く分からないとしながらも、「人の心に届く物語を、ずっと誠実に編集していきたい」ことは変わらないという。編集者の仕事を核にしつつ、様々な表現に携わる仕事に挑戦するつもりだ。
大学生へのメッセージ
学生時代の経験で今につながっていることを聞いた。ひとつは椎名誠さんの事務所でのアルバイト。椎名さんと息子さんの父子関係を描いた私小説『岳物語』などを読み「椎名さんのことが大好きになってしまって」押しかけた。「小説家やアーティストのことが好き」「そんな人たちの作品が世に出るお手伝いをさせていただきたい」という思いが仕事の原点だという。もうひとつはパラグライダーのサークル。夏休みは1か月も山にこもって合宿生活をしていた。「下界と遮断されて、自分の好きなことだけをやって生きている感じが好きで、こういう時間がずっと続けばいいのにな」と思った。自分にとって好きなものを大事にしたい。社会で生きるのが大変だからこそ「どうせなら、自分の好きなこと、やりたいことで大変な目に遭いたいと思ったんです」
大学生には、「本を読むことのハードルを高く考えないでほしい」と伝えたい。
「本を読むって、難しいことではないし、偉いことでもありません。映画や漫画と同じで、一つのエンターテイメントでしかないんです。
もっとみんな気軽に本を読んでほしいし、本を読んで、『面白かった』だけでも『つまらなかったな』だけでもいい。そうやっていろんな本を読んでいたら、人生の1冊と言えるような本に出会えるかもしれません」
私にとって読書は「こころの栄養補給」だと思うんです、と伝えてみた。
「そう思ってくれたらいちばん嬉しいです。生きていくためにはからだの栄養補給が必要だけど、それだけで生きていくのはつまらない気がします」
「本が、人生にとって必要なものになってくれたら嬉しいですね」
(取材日:2022年4月25日)
篠原さんが手がけた本
インタビューで話題に上がった本
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角田光代
『タラント』
中央公論新社/定価1,980円(税込)
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古市憲寿
『ヒノマル』
文藝春秋/定価2,200円(税込)
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上橋菜穂子
『香君 上・下』
文藝春秋/定価(各)1,870円(税込)
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清志まれ
『幸せのままで、死んでくれ』
文藝春秋/定価1,870円(税込)
Information
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@dokushono_IZUMI
P r o f i l e
齊藤ゆずか(さいとう・ゆずか)
京都大学文学部3回生。進路を考えなくてはいけないタイミングでのインタビューだったが、自分の「好き」を大切にしたいという思いが強くなった。最近、一歩ずつだけれども夢やあこがれに近づこうとしている感覚がわかる。踏み出せることが嬉しくもあり、どきどきもしている。