リレーエッセイ
齊藤 ゆずか(読者スタッフ・京都大学文学部3回生)

P r o f i l e

齊藤 ゆずか(さいとう・ゆずか)
京都大学文学部3回生。
散歩が好きで、琵琶湖方面まで1日に40 km以上歩いたことがあります。どこか遠くへ行きたい気持ちと、一日中家の中にいたい気持ちが交差する今日この頃です。

 四月の初めに、四国を旅した。大阪の港からフェリーで愛媛へ。そこから電車で香川、徳島、高知と時計回りに進み、もういちど愛媛と香川を通って、瀬戸大橋を渡って帰ってくるという行程だった。
 何度も海を見た。大阪湾を離れてゆく船の上から水の重さを感じる黒々とした海を。高松シンボルタワーの屋上から小島が浮かぶ穏やかな瀬戸内海を。桂浜では、暮れなずむ空を背に白波を立てて打ち寄せる縹色の大波でスニーカーを濡らした。早朝の誰もいない下灘駅のホームに座れば、淡青の空を映した鏡のごとき海が広がっていた。
 海のある景色に心が惹かれる。海のない街で育ったせいかもしれない。家族とのドライブでは、車窓から水平線が見えるたびに声を上げていた幼い自分。あの頃見ていた北の海とは全く違う景色は、ただつかみきれない広がりをもつことだけが同じで、辿り着けない水平線が淡く光る。
 海を見ながら考えていたのは、出発の直前まで書いていた物語のことだった。
 わたしは世界のあちらこちらにぽつぽつと落ちたままの、どうしようもない矛盾や悲しみを、全部拾って一息に飲み込んでしまいたいと思うことがある。一方でそれができない弱さや、飲み込んでもきっと零れてしまう穴だらけの自分に嫌気がさす。
 そんな自分を救ってくれるのが読書だった。逃避だろうか。違うと思う。生きている限り向き合わなければならない現実を、まっすぐ見るための勇気をくれたのだと思っている。
 書くことも自分にとってそうであると気がついたのはいつのことだろう。ずっと憧れていた、心を抱きしめて揺さぶる物語の書き手になりたいと願いキーボードを打ち込みながら、わたしは奇妙な心地良さを感じていた。
 書店には数多の本が並ぶ。大学の友人で、物語を書く人は幾人もいる。知っているだけでもこれほどなのだから、この世界には書き手が無数にいるはずだ。わたしは未だ、大海で産声を上げたばかりの小さなしぶきに過ぎないのかもしれない。見渡せば、自信を失う理由はそこかしこに溢れているのだ。
 しかし海を描いたその物語を書きあげた今、わたしはこの夢をあきらめないと決めた。書き続けると決めた。どんなに雄大な波がそばにあろうとも、水平線が遠くとも、時に砕かれてもいい。夢をかなえた自分に、いつかこの文章を読み返してほしいと思っている。
 

次回執筆のご指名:古本 拓輝さん

今年度から読者スタッフとして『読書のいずみ』に参加、今号の特集企画「宇宙のはなし」ではショートストーリーを寄稿してくださっています。古本さん、自己紹介を兼ねて最近一番の関心事をエッセイに綴ってください。(編集部)

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