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『三浦按針の謎に迫る』小川 秀樹

解明近づく三浦按針の謎

小川 秀樹
 
小川 秀樹 Profile
購入はこちら >森良和、フレデリック・クレインス、小川秀樹=編著
『三浦按針の謎に迫る』
玉川大学出版部/定価2,860円(税込)
 イギリス生まれのウィリアム・アダムス、日本名「三浦按針」はちょうど1600年にオランダ船で渡日し、のちに徳川家康の寵愛を受けたことで有名である。按針の出自の謎についてはこれまで不明のままやり過ごされて来たが、最近の遺骨鑑定の結果が本書でも解説され、謎は次第に解明されつつある。
 按針は1564年にケント州ジリンガムで生まれたが、父親の名前以外、その家系は全く不明である。しかし岡山の牛窓港でオランダ使節に対して、オランダを自分の祖国と思っていると発言し、またイギリス人の同僚たちは、按針が同胞よりもオランダ人と親しく、いつスペイン人やオランダ人に寝返るか分からないとも記している。初めて家康に謁見した大坂城で、按針はポルトガル語を話した。またオランダ語は会話だけでなく、読み書きも出来、日本にオランダ商館が出来るとそこで働いた。按針の肖像画は残っていないが、スペイン人宣教師は、外見だけではスペイン人修道者でも欺かれてしまうとしており、外見的にはイベリア風だったようだ。
 有名な1066年の「ノルマンの征服」から宗教改革に至るまで断続的に、今のベルギーとフランス北部から多くが海峡を渡り、しかもそれらのなかには、レコンキスタでスペイン、そしてポルトガルを追われたユダヤ系の人々で、フランドルのアントワープを経てイギリスに移住した人々も多い。イギリスの有名な船乗りは大半がそれらの末裔であり、つまり按針も、イベリア半島やフランドルから移住した末裔の可能性がある。按針は自分の姓をAdamsではなくAdames(アダメス)と多く綴っていて、これはスペイン語系の姓である。
 さて2020年は按針の没後400年に当たり、没地である平戸市は伝按針墓の遺骨の科学鑑定を行った。DNA鑑定を担当した東邦大医学部は、ミトコンドリアDNA(母方)から、ハプログループHはヨーロッパの出自を示し、さらにサブグループも推定し、その現代人の分布はイベリア半島であるとした。
 私たちは、1600年前後に平戸で亡くなったヨーロッパ人数十名を選び出し、彼らの素性や死亡時の状況を調べる調査を継続している。遺骨自体が按針以外のヨーロッパ人である可能性は残るからである。しかし按針と同じ境遇にあったヨーロッパ人は実は極めて少数である。いよいよ三浦按針のルーツの 謎が解かれつつある。

 
執筆者紹介

小川 秀樹(おがわ・ひでき)

元岡山大学・千葉大学教授。専門はグローバル社会史・ベルギー地域研究。『三浦按針の謎に迫る』(編著、玉川大学出版部)のほか、『ベルギーを知るための52章』(編著、明石書店)。『シャムの独立を守ったお雇い外国人』(翻訳、岡山大学出版会)など。

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