リレーエッセイ
中川倫太郎(読者スタッフ・東京工業大学2年)

P r o f i l e

中川 倫太郎(なかがわ・りんたろう)
東京工業大学生命理工学院2年。
おうちにスパイスを20種類以上常備しているスパイスカレー大好き人間、兼、毎週何かしらの劇を観に行く演劇大好き人間。オススメのスパイスはフェンネルで、オススメの劇作家は別役実。

 小学校低学年の頃、サッカーのクラブチームの練習が嫌で嫌で「行きたくない!」と駄々をこね、小学校の敷地内で母親の片脚にぐるりとまわした両腕、しがみついたまま泣き叫ぶ姿を監督含むチームメイト全員に見られたときの羞恥心、あれを超える恥は当時の二倍以上歳をとった今でも思い当たらず、幼いうちに相当酷な体験をさせられたのだな、と、親を怨む気持ちがないとはいえないし、凄まじいのは親が子供に与える影響の計り知れなさよ。僕が常々「名前と習い事は子供の人格形成コントロール二大要素」と吹聴しているのは、自分自身がまさしくそうだったからで、第一に名前、僕の名前「倫太郎」は森鷗外の本名である森林太郎に由来しており、これは陸軍軍医であった彼の如く医者になってほしい父親の深層心理の表れ、第二に習い事、水泳に囲碁、幼少の僕に好きな競技を選ぶ手立てはなかったように思われ、現在のアイデンティティが本当に自分自身の力のみで勝ち得たものだと胸を張って言えるのだろうか、と、時々自分がわからなくなるが、まあ、そう単純明快に自己分析できるならば苦労はしないし、苦労なしの人生は至極つまらない。
 特別講義の選抜課題「A4用紙一枚を使って自己紹介してください。ただし、本当のことを書いてはいけません」のアンサーに、未亡人がテーマの2000字に及ぶ簡単な掌編小説を提出した僕は無事選考をくぐり抜けたが、実のところこの私的な小説はとある劇作家のエッセイから着想を得たものであり、つくづく“自称”創作者はお気楽なご身分だ、生み出し(てしまっ)たものに対する責任を負わずに済み、作品の対価を求めないボランティア活動、明日食うに困らぬ人間の暇潰し穀潰し、と、創作と遊戯の狭間で窒息しかけていた、そんな僕を救ったのは「なにもかも模倣からはじまる」という父の論しだった。たしかに、あらゆる動物が自立への第一歩として育ての親を徹底的に模倣することは野生動物に育てられた人間の例からも明らかで、忘れ去られた洞窟壁画から始まる人類の創作活動は、度重なるコピー&ペーストによって数万年後の私たちへと受け継がれてきたため、僕のような小さき者が罪の意識に苛まれる必要はなく、それでも罪悪感を覚えるような事がもしあれば、モノマネの歴史を否定したお前はたった今、生きとし生けるものに対して宣戦布告をしたことになる。上等。
 

次回執筆のご指名:後藤万由子さん

大学では医学部で学び、『izumi』では読書日記やBOOK REVIEWなどで大活躍の後藤さん。今回の読書日記では「風土記」についていろいろご紹介いただきましたが、ほかにも何か引き出しがありそう。ぜひ、いま気になっていることを教えてください。(編集部)

「リレーエッセイ」記事一覧


ご意見・ご感想はこちらから

*本サイト記事・写真・イラストの無断転載を禁じます。

ページの先頭へ