あの頃の本たち
「濫読期の勧め」斜線堂有紀

濫読期の勧め

斜線堂 有紀 Profile


新潮文庫/定価1,045円(税込)

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 「好きな本を気ままに楽しめるだけ読めばいい」というのは社会に出た現在の私の意見であって、あの頃―― 大学時代の私に改めてアドバイスをするのであれば「優雅に楽しむな。好きな本を選ぶな。手当たり次第に読め、とにかく読め。本をどこにでも持ち歩け。賞の歴代受賞作を全部浚え。十巻を超えるシリーズを読め。古典を読め。年末ランキングで話題になっているものを全部読め。冊数をこなせ。毎日習慣づけて読め」になる。そんなノルマに追われる読書生活なんて……と思われるかもしれないが、偽らざる気持ちだ。こうやって冊数を積む読書を追い求められるのは、学生時代だけなのである。社会人はとにかく時間が無い。メフィスト賞の歴代受賞作を総ざらい出来るのは学生くらいだ!
 それはそれとして、人生には濫読の機会があった方がいいのではないかと思っている。一度浴びるように本を読むと、自分はどんな本が好きか、どんな本だったら楽に読み進められるかが分かるようになる。豊かな濁流の中で、これからの読書方針を選び取ることが出来るのだ。
 あと単純に『自分が本気で読もうと決めた時はどのくらい読めるのか』を知っておくのもいい。自分が酩酊しないだけのアルコール摂取量を見極めておくのと同じで、自分がどれだけ物語を呑み込めるのかが分かっていれば、それがまた物差しになるのだ。その結果「自分は思ったより読めなかった」「集中力が続かなかった」「読むのが遅かった」と思っても心配は要らない。矛盾するようだが、濫読期を終えた人間が速度や集中力なんて気にする必要はない。読書で頑張る必要なんか無い。あくまで限界トップスピードを出さなくてはいけないのは、時間と気力が最大限にある学生時代の話であって、そこから先のハッピーライフでは好きな本を気ままに楽しめるだけ読めばいいのだ。卒業してからは、楽しめる速度が最高速度である。
 そんな私の濫読期はどうだったかというと、それこそ何かに取り憑かれたようだった。ノンフィクションから古典ミステリ、純文学からライトノベルまで、話題になっているもの、少しでも気になったもの、好きな作家のエッセイで触れられているものは全て読んだ。私は成績も悪い、講義もサボりまくり、公募に対しても身が入らないという駄目学生だったので、せめて「大量に本を読んでいる学生」ということにならなければと考えたのだ。何もせず大学のベンチでボーッとしているよりは、近年の芥川賞直木賞を粗方読んでいる方が箔が付く……と思っていたのである。
 そんな私の前に立ちはだかったのが、国文学に詳しく(ジャンルは偏っているものの)私と同じくらい本を読んでいた先輩である。
 この先輩に出会った時、正直うわ~!! と思った。何故なら先輩は成績優秀で講義にもサボらず出る優秀な大学生だったからだ。積み上げた本の数でマウントを取る必要の無い人間だ。これだと私は、明らかにこの先輩の下位互換になってしまう!
 おまけに先輩が話を振ってくるのは私の守備範囲外のものが多かった。「無人島に持っていく一冊は何が良いか」という飲み会でしか話さないような与太話をしている時に、その先輩が川端康成の『掌の小説』を挙げてきた時は、あまりの悔しさに憤死しそうだった。読んでいない。読んでいないものを挙げられた! きっと洒落臭い回答だろうに、読んでいないから何も言えない。私は広辞苑という大喜利と本気の狭間にあるものを挙げていたので尚更悔しかった。その時は「あ~なるほど……ね」なんて分かった風な返しをしたけれど、すいません先輩あれはフカシです。
 その後、改めて『掌の小説』を読んで、いやこれ無人島で読むのは違うだろ、洒落臭え~! となった。そこから私は川端康成を読めるだけ読んだ。翌週に先輩が梶井基次郎の『ある崖上の感情』の話をし始めて、せめて『檸檬』にしろ……! と歯噛みした。梶井も読んだ。冊数をこなさなければ、いつまでも歯噛みし続けることになる。
 そういうわけで、私の濫読期とは誰もが一度はぶつかる「何者にもなれない」の壁から始まったわけだが、結果的に「試験は落ちまくったが、川端康成を読めるだけ読んだ奴」にはなれた。大学時代に濫読をしておくといいのは、そうした自我の外堀を埋める作業たり得るからというのもある。「試験に落ちまくった奴」よりは「試験に落ちまくったが梶龍雄の代表作は押さえている奴」の方がマシなはずだ。絶対。そうした意味でも、毎日図書館と書店を往復する大学生活を送る価値がある。
 だから、今から濫読をしろ。興味があるものを全部読め。斜線堂有紀の本も、そうでない本も全部読め。『掌の小説』を読め。無人島に持っていくのがこれなのか!? と戦き、これからの読書人生の糧にしてほしい。読了を積み重ねた先には、多分今より良い景色が広がっている。

 
P r o f i l e
■略歴(しゃせんどう・ゆうき)
上智大学卒業。2016年、『キネマ探偵カレイドミステリー』で第23回電撃小説大賞メディアワークス文庫賞を受賞してデビュー。2020年発表の本格ミステリ『楽園とは探偵の不在なり』(ハヤカワ文庫JA)で、『ミステリが読みたい!2021年版』国内篇第2位など各ミステリランキングに続々ランクイン。現在最も注目される作家となっている。主な作品に『コールミー・バイ・ノーネーム』(星海社FICTIONS)、『恋に至る病』(メディアワークス文庫)、『愛じゃないならこれは何』(集英社)、『廃遊園地の殺人』(実業之日本社)ほか多数。最新刊は、『回樹』(早川書房)。

早川書房/定価1,760円(税込)購入はこちら >

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