『お探し物は図書室まで』
青山美智子 著
ポプラ文庫
定価814円(税込)
『こんばんは、太陽の塔』
マーニー・ジョレンビー 著
文藝春秋
定価2,090円(税込)
「暑い!」と声を出したとき、そこには二つの意味が隠れている。一つは文字通り暑さを感じたということだ。だけどそれだけじゃない。暑いと言ったとき、言外に「窓を開けてほしい」といった行為遂行的な思いがこめられていたりする。この小説はそういった言葉の奥行きが、良くも悪くも主人公に影響を与える作品だ。
来日したカティアは言葉に息苦しさを感じている。「大丈夫?」と聞かれれば「大丈夫」と答えなければならない気がするし、「日本語が上手」という会話の裏側にある意味を探ってしまう。そんな彼女にとって最も意味不明な存在が、30代くらいと見える陰鬱な「サイコパス」という男だ。彼は人の多い駅のホームで彼女を睨みつけて「電車に乗りなさい!」と叫ぶ。言うことを聞かないと、彼はカティアの首に掴みかかり体を揺さぶってくるのだ。そんな状況なのに誰も助けてはくれない。そして恐ろしいことに、その事件のあとも何度も駅でサイコパスに出会い襲われてしまうのである。この発話も彼女を苦しめる言葉のように思える。
しかしながら一見暴力的な「電車に乗りなさい」という発言も、その裏に言外の意味が隠れていたのではないだろうか。私にはこの言葉がなぜだかカティアを救う天啓に聞こえるのだ。サイコパスというトリックスターが、彼女をひとりの女性のもとへと運び、自らのトラウマと立ち向かう勇気を彼女に与える。サイコパスがどんな存在なのか、それは物語を読んで確かめてほしい。
最後に私は、日本で生きづらさを感じる彼女のために何ができるか考える。本作で気づかされたのは日本人の不躾な視線だ。電車の中で外国人を見た時の物珍しそうにする視線。よそ者への冷たい眼差し。われわれはいつもその視線の主体であったが、カティアの立場つまりみられる側に立つことで初めてその不快感を知った。そのむずむずした違和感を忘れないでいること。それが最も大切な一歩になるのかもしれない。
『校庭の迷える大人たち』
大石 大 著
光文社
定価1,925円(税込)
四角いコンクリートの校舎に、だだっ広い校庭。規則正しいチャイムの間を子どもたちの高い声がさざめく。一見そのように見えないが、学校という場所は迷宮だ。学校では、誰もが迷っている。大人も、もがいている。
『校庭の迷える大人たち』は、その迷宮に様々な理由、様々な立場で戻ってきた「大人」たちが主人公のオムニバス・ストーリーだ。隠し部屋、謎の“危険業務”、付喪神、霊、妖精、タイムリープ……。彼らは、迷宮にしかけられた不思議な出来事に戸惑い、ときに振り回されながらも、進む道を見つけていこうとする。
大人たちは、それらの「不思議」を受け入れてはじめて、自分が迷子だったと気がつく。過去を振り返ったり、直面している現実に目を凝らしたり。迷い道から抜け出すことは簡単ではないけれど、窮屈になっていた心がほぐれてゆき、思いもよらない偶然や出会いによって、新しい景色が見えてくる。
舞台になっているのは、小学校や中学校。大学生のいま思い出しても、たくさんの人がいて、それゆえに理不尽なことや、うまくいかないことが度々あった。あの頃学校で出会い、あまりに遠く大きく見えていた大人たちにも、きっと迷うことがあったのだろう。この本では、学校の外での先生の姿―― 例えば、家で“推し”のライブ配信を見ている場面―― がある。「先生」も「大人」もひとりの人間。寄り添って描くからこそ、先生でも親でもないわたしのような読者にも、共感できる作品になっている。
最近、足元ばかり見ているかも……。目の前のことで精一杯で、息苦しさを感じているかも……。そんな人には、ぜひおすすめしたい一冊だ。夜、疲れ果ててベッドに倒れ込んで、でもうまく眠れないでいるあなたへ。枕元に置いておいて、少しだけページをめくってみませんか。温かい筆致や心地よい会話のテンポに包まれて、ちょっと不思議な学校を覗いて。それぞれの短編を読み終えたときには、ふっと力が抜けているはず。
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