あの頃の本たち
「病と恋と最後の読書」川内 有緒

病と恋と最後の読書

川内 有緒 Profile


新潮文庫/定価825円(税込)

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文春文庫(全8巻)/定価825~869円(税込)

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 「最後の読書」というテーマでエッセイを依頼されたことがある。人生最後にどんな本を読みたいかという話だ。つらつらと考えるうちに蘇ってきた記憶があった。福島県のいわき市に住んでいた祖父のことだ。
 
 九〇歳になった祖父が、これ、おもしろかったよ、と当時中学生だった私に文庫本をくれた。それは、オールコットの『若草物語』だった。明治生まれで、故郷の村からほとんど出ることがなく生きてきた祖父が、遠い国に住む「ジョセフィーン」だの「マーガレット」だのという女の子たちの物語を読んでいたことに驚いた。私は東京に戻るとさっそく『若草物語』を読み、その一、二年後に、祖父は他界した。祖父は晩年、緑内障を患っていたのでほとんど目が見えなかった。だから、もしかしたら『若草物語』は、祖父の「最後の読書」だったのかもしれない。
 それにしても、祖父はいい勘をしていた。私は、若草物語に夢中になった。作家志望の主人公・ジョーと自分を重ね合わせたのだろう。高校生になった私は小説を書き、友人と手作りの文芸誌を作ったりしていた。
 それでなくても、私は『若草物語』のような「母と娘」とか、「姉妹」とか、女ばかりの家族の話がかなり好きなのだ。どうしてだろう? 現実世界の私の父があまりにも変な男で、家庭を顧みない人だったからなのかも。
 父がどれほど変人なのかを表すエピソードは数多い。英語が話せないのに、家の電話に「ハロー!」と出ていたとか、ゴルフにどハマりして仕事もせずに週に四日もゴルフ場に通っていたとか、一攫千金を求めて南米に行き知らない女性を連れて帰ってきたとか。
 若い頃は家出して文学学校に入学したくらいに本好きだった父だが、晩年はめっきり読む量が減り、特に六〇代で闘病していた頃は何も読んでいなかった。私と妹は、歴史好きの父のために『竜馬がゆく』の漫画版を全巻揃えて病院に持って行った。漫画はかなり面白く、私も妹も病室で読みふけったが、父は手に取ることすらしなかった。私は大学受験が世界史だったため全く日本史を知らず、かの有名な寺田屋事件のこともわからないくらいに無知蒙昧だった。私は、漫画と史実の違いが知りたくなり、入院中の父に龍馬関係の質問を連発していた。父は毎回きちんと答えてくれたけれど、あるとき「お姉ちゃん、もう苦しくて答えられないよ」と小さな声で言った。あの時のことを思い出すと申し訳ない気持ちになる。私は、父の「最後の読書」を知らない。
 
 父が亡くなったとき、私は三二歳で、国連職員としてフランスのパリに住んでいた。私はまだ龍馬のことが気になり、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』全八巻を買い揃えた。パリの自宅まで持って帰ったわりに、積読のまま本棚で眠らせていた。
 それからちょうど一年後のことだ。I君という七歳年下の男性がパリに遊びにきた。一度、東京の飲み会の席で会っただけの人だったが、世界一周中ということでパリまでサッカーの試合を見にくるという。私はまだ父の突然の死を乗り越えられずにいたのだが、世界一周旅行のお土産話を聞いたら元気が出そうな気がして、ぜひご飯でも食べましょうという運びになった。
 Iくんはサッカーだけではなく、読書がとても好きな人だった。私はそれまで読書好きな男の人にあまり会ったことがなかったので、本の話ができるだけで印象が爆上がりした。Iくんは、わざわざパリのブックオフに出かけ『半島を出よ』(村上龍)というお勧めの本を買ってきてくれた。上下巻の分厚い本である。そこで、私も自分が大好きな『ホテル・ニューハンプシャー』(ジョン・アーヴィング)を貸した。こちらも同じく上下巻の分厚い本だ。なんだかロマンチックな映画の始まりみたいに思えた。
 私は、彼のパリ滞在期間の間に『半島を出よ』を読み通した。同じタイミングでIくんも『ホテル・ニューハンプシャー』を返してくれた。「面白かった」と感想を言い合ったけど、たぶん二人ともちょっと微妙な表情をしていたはずだ。Iくんは、実は上巻しか読めなかったと告白した。私は途中で挫折しなかっただけIくんよりマシだった。
 Iくんと出会って一八年が経った。いま私たちはたくさんの本に囲まれて一緒に暮らし、お互いの本は大きな本棚の中で混ざり合っている。四分の一ほどは二人とも読んだ本、四分の一が積読で、残りの四分の一ずつが、私か彼しか読まなかった本である。
 わざわざパリまで持って帰った『竜馬がゆく』はもう本棚にはない。背表紙を見るたびに父の苦しそうな顔が思い出され、ブックオフに売ってしまった。そもそも私は、龍馬を通じて父と話がしたかっただけなのかもしれない。
 思えば、一〇代で作家になったジョーから五周くらい遅れ、私も作家になったわけで、『若草物語』は今でも特別な一冊である。ただし、最後の読書になるかどうかまではわからない。

 
P r o f i l e
■略歴(かわうち・ありお)
ノンフィクション作家。1972年東京都生まれ。
映画監督を目指して日本大学芸術学部へ進学したものの、その道を断念。中南米のカルチャーに魅せられ、米国ジョージタウン大学の中南米地域研究学で修士号を取得。米国企業、日本のシンクタンク、仏のユネスコ本部などに勤務し、国際協力分野で12年間働く。2010年以降は東京を拠点に評伝、旅行記、エッセイなどの執筆を行う。
『バウルを探して 地球の片隅に伝わる秘密の歌』で新田次郎文学賞、『空をゆく巨人』で開高健ノンフィクション賞、『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』(集英社インターナショナル)でYahoo!ニュース|本屋大賞 ノンフィクション本大賞を受賞。趣味は美術鑑賞とDIY小屋づくり。また東京でギャラリー「山小屋」(東京)を運営している。最新刊は『自由の丘に、小屋をつくる』(新潮社)。

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