パレスチナ・ガザ地区問題を考える
蕎麦と約束と
~私にとってのパレスチナ問題~

齊藤ゆずか(京都大学文学部4回生)

 

 ハマスがイスラエルを攻撃して、イスラエルがパレスチナ・ガザ地区に空爆を行っている―― 昨年10月に報じられたニュースは、私の心に大きな波を立てた。私にとってそれは、遠い国で起きたことではあるが、決して遠くにある出来事ではなかった。
 これが読まれるのは2024年の春。パレスチナの状況がどうなっているのか、私にはわからない。ただ日本に暮らす人の多くがパレスチナへ向ける関心は、下がっているだろう。2024年1月末、報道は「落ち着いて」きている。つまり、皆がパレスチナのことを、「忘れそうに」なっている。あるいは、パレスチナに飢えや寒さ、爆撃の恐怖があることが「当たり前」になってきている。
 どうか、この記事を読んだ誰かひとりでも、その「当たり前」の残酷さに気づいて、立ち止まってほしい。

 

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 パレスチナは中東に位置し、地中海に面している。現在「パレスチナ自治区」とされているのは「ヨルダン川西岸地区」と「ガザ地区」の離れた二地域で、前者はイスラエル人がパレスチナ人の土地を奪って拡大し続けている入植地によって分断され、後者はイスラエルが建設した壁で囲まれ封鎖状態にある。
 そもそもなぜパレスチナ人は分断された二つの地域に暮らすのか。二地域の内外に大量のパレスチナ難民が存在するのはなぜか。
 第二次世界大戦後のヨーロッパには、ホロコーストから解放されたものの行き場を失ったユダヤ人難民が25万人もいた。戦前からユダヤ人の一部には、パレスチナにユダヤ人国家をつくろうという「シオニズム」という政治的動きがあった。そこで国連は1947年、「パレスチナを分割し、ユダヤ人の国家(=イスラエル)を建設する」ことを提案する。しかしパレスチナにはもともと暮らしていたアラブ人がいた。
 今から約75年前の1948年、イスラエル建国と同時に、イスラエル人は「民族浄化」、つまり民族を理由にした集団虐殺を始める。パレスチナのアラブ人は故郷から逃げるようにして追い出され、難民になった。こうして故郷パレスチナを追われた人々、そこへ帰りたいと望む人々とその子孫は、自らをパレスチナ人と意識した。
 度重なる戦争でイスラエルは次第に土地を拡大し、パレスチナ人は先述の二地域や国外へ逃げることを余儀なくされた。イスラエルはその後もパレスチナ人への抑圧を続け、ガザは2007年から完全封鎖されている。

 

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 私がパレスチナという地域について初めて知ったのは、高校2年生の秋だった。10年以上、毎年ガザへ渡航して医療支援を続ける札幌在住の医師・猫塚義夫先生の講演会に参加した。
 私はその日、二重にショックを受けた。
 ガザの人々は、自由に外に出たり、外国と貿易したりできない。これでは、病気になっても必要な薬が手に入れられず、外で治療も受けられない。発電所も送電設備もあるが、燃料が輸入できず、電気は1日数時間しか使えない。下水処理ができず、汚れた水が海に垂れ流されている。貿易ができないために産業は破壊され、失業率は46パーセント。
 種子島ほどの大きさのガザには、230万もの人々が閉じ込められて生活している。その生活を知ると、人間の尊厳とはこんなにもたやすく、世界から知られないよう奪ってしまえるものなのか、と思う。
 そう、世界は、その多くの人々は、ガザで起きていることを知らない。私が受けた二つ目の衝撃はここにあった。私は、ガザの人々のことを知らなかった。

 

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 知らなかったのは、知る機会が少なかったからでもある。でも、知ってしまった以上、何かしなければ。知ったうえで無視をすることは、彼らへの暴力に、素知らぬ顔で加担することになるのではないか、とさえ思った。
 大学に入学して、たまたま、岡真理先生のパレスチナ問題についての講義を聞いた。そのことが、私の背中を押した。
 猫塚先生の講演会に誘ってくれた、高校からの友人に電話をかけた。
「オンラインで猫塚先生の講演会をしよう」
 2020年。コロナの流行で、授業も何もかも、オンラインになっていた。幸い、zoomのアカウントが大学から支給されていたので、オンラインで開催することができた。

 

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 一緒に企画したメンバーが、今後もパレスチナ問題に関わりたいと言ってくれた。2020年秋、10名ほどの大学1回生で、SHIRORUというチームができた。大学生の「素人」でも「知ろうと」することで変化を起こせる、というのが合言葉になった。
 縁があって、ガザの大学の先生とつながることのできた私たちは、大学生どうしのオンライン交流会を始めた。終了後もSNSでやり取りをするつながりがいくつも生まれた。

 

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 2023年10月。あの戦争の始まりの日も私はパレスチナの大学生とメッセージをやり取りしていた。
 彼女は、蕎麦の作り方を教えてほしがっていた。もともと日本に関心のあった彼女は麺を手に入れ、作るのを楽しみにしていた。
「みんなびっくりしてる」
 私との会話が始まったとき、もうハマスがイスラエルに攻撃を始めていた。
「こんなときに料理の質問をしていいのかわからないけど、今日すごく楽しみにしてた」
 ガザに激しい攻撃が始まるであろうことは皆わかっていた。それでも、私は今日、彼女がおいしく蕎麦を食べられたらいいのに、と願わずにはいられなかった。つゆや具についてなんとか英語で伝えた。
 しばらくして、再び彼女とやり取りをした。蕎麦は結局食べられなかったと彼女は言った。小さな夢が、戦火に燃された。

 

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 パレスチナとイスラエルの戦争は激しさを増し、日本のニュースでも大きく取り上げられるようになった。しかしメディアもガザに入ることが出来ない中、ガザで生きているひとたちの存在が見えにくい報道が気になった。SHIRORUでは、やり取りをしていた大学生たちからメッセージを受けとり、SNSで発信する活動を始めた。
 電波も不安定で、無事に生きることが精いっぱいの中で、メッセージを送ってもらうことには抵抗もあった。でも、提案してすぐに、たくさんの長いメッセージが寄せられた。彼らには伝えたい言葉が、届けたい声があった。あとは世界が、耳を傾けるだけ。
「わたしたちが沈黙させられている間、わたしたちの声になってください」(ガザ地区・20歳の大学生より)
 私たちは、ラジオやテレビ、新聞に出て、その声が少しでも多くの人に届くよう願った。大学祭で行ったパレスチナの写真展には、予想を上回る来場があった。

 

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 一方、ガザの友人たちの状況は、どんどん悪化した。大切なひとを亡くしたと連絡があった。家を失ったと連絡があった。連絡が何週間もとれないままのひともいる。
 数時間後、生きているかわからない。そんなメッセージが来たとき、私はサークルでダンスの練習をしていた。
 私は、ガザに生きることはない。学びたいことのために海外に行けるし、旅行だってできる。好きな本を読んで、友達と楽しく笑って、ガザのことを考えてない時間だって、たくさんある。
 パレスチナ問題に取り組んでいることを、ときどき、素晴らしいと言われる。嬉しくないわけじゃない。でも、怖くなる。どこまで向き合えば、私は彼らを裏切らないでいられるだろう。いま褒めてくれているひとに、嘘つきだと思われることも、自分で自分を嘘つきだと思ってしまうことも、全部怖い。
 メッセージをくれた友人は、今も生きている。私は彼女に感謝している。生きている方が辛いかもしれない状況で、彼女は生きていてくれている。
 私は彼女と約束をした。
「戦争が終わったら、日本に連れて行く」
 彼女の夢は、日本に留学すること。日本語の勉強も進んでいた。この約束は本物だ、と私は思った。

 

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 私の願いは、戦争が終わること、だけではない。いまパレスチナで生きているひとたちが、私たちと同じように、名前や夢、大切なひとをもつ、ひとりひとりかけがえのない人間であるということ。それを遠い日本から想像するひとが、少しでも増えてほしい。
 大きく見える問題からは、激しい映像や写真の報道からは、目をそむけたくなる。そんな気持ちも、よくわかる。そんなときは、本を読みながら、ゆっくり考える時間を持ちたい。この記事を読んでくれた誰かが、そんな時間を持ってくれたら、とても嬉しい。

 

※参考:岡真理『ガザとは何か』大和書房、2023年

 

読んで知るパレスチナ・ガザ地区問題 おすすめの本

本紹介=齊藤ゆずか

  • 岡真理
    『ガザとは何か』
    大和書房/定価1,540円(税込)購入はこちら >現代アラブ文学・パレスチナ問題の研究者が、大学で行った緊急講義を基に執筆。わかりやすい解説はもちろん、ガザの危機を前に自らの人間性が問われているという訴えには息を呑んだ。最初の1冊に強くおすすめ。

     

  • 岡真理
    『ガザに地下鉄が走る日』
    みすず書房/定価3,520円(税込)購入はこちら >ガザで生きるとは、どういうことか。著者がアラブ世界の旅の記憶、京都での出会い、映画や文学を振り返り、「『人間であること』を主張してやまない」人々を描く。目の前にパレスチナの風が吹いてくるようだった。

     

  • ガッサーン・カナファーニー
    〈黒田寿郎/奴田原睦明=訳〉
    『ハイファに戻って/
     太陽の男たち』

    河出文庫/定価968円(税込)購入はこちら >パレスチナの解放を願いながら小説を執筆し、暗殺された作家の、ペンの力を感じる短編集。「太陽の男たち」ではタンクに隠れて密出国しようとする男たちを描く。最後のセリフが、こだまするように心から離れない。
 

  • ナージー・アル・アリー
    〈露木美奈子=訳、藤田進=監修〉
    『パレスチナに生まれて』
    いそっぷ社/定価1,760円(税込)購入はこちら >パレスチナ難民であった風刺漫画家の作品集。貧しいパレスチナ人のシンボルとして描いた少年「ハンダラ」に占領の風景を見つめさせた。印象的な絵は、ハンダラを愛するパレスチナ人の思いに迫る手がかりとなる。

     

  • 早尾貴紀
    『ユダヤとイスラエルのあいだ』
    青土社/定価3,630円(税込)購入はこちら >パレスチナ問題の理解には、イスラエルを論じた本を読むことも重要。紹介した他の本と比べ難度の高い学術書だが、イスラエルを通して「国民」の定義を問うという視点や、日本との類似性を挙げている点が興味深い。
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執筆者紹介
 

齊藤ゆずか(さいとう・ゆずか)

京都大学文学部4回生。パレスチナで暮らす人々とのかかわりを通して、実際に行く機会のほぼない場所にいるひとたちとどうしたら繋がれるのだろう、どう想像力を働かせられるのだろう、ということを考えています。


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