18きっぷで中国・四国地方旅

齊藤ゆずか

 

9月6日 京都→鳥取→玉造温泉

鳥取砂丘

 ぱんぱんに膨らんだリュックから、タオルを取り出して頬に当てる。京都駅を朝6時37分に発つ電車は、高校生や会社員でいっぱいで、わたしは汗だくで火照った顔を隠した。
 ひとり旅は初めてだった。乗る電車の時間やホームの場所、降車駅や運賃を書いた「旅のしおり」まで用意した。
 ただ家を出てみればぎりぎりで、京都駅までは持久走。駅の入口で、手首の文字盤をちらりと見てから足を止め、振り返る。京都タワーの白さが雲で濁った空に浮かび上がり、やたらと大きく見えた。
 最初の目的地・鳥取までの道のりは長い。
 荷物から本を開く。千早茜 『しろがねの葉』。舞台の石見銀山は、今日の最後に辿りつく島根県にある。かつてそこには、死の影を背負って銀を採る男たちがいた。山で育てられたウメは、逃れられない闇を恐れ、傷つきながら、愛というものを知ってゆく。ハードカバーの本はかさばるが、持ってきてよかった。
 ヘミングウェイ『老人と海』、カズオ・イシグロ『遠い山なみの光』も読み終える。がたごとと揺れる電車の窓に、キューバの海も、長崎の山も通りすぎる。わたしは目をつむった。
 鳥取駅に着いたのは、12時46分。駅前からバスに乗って鳥取砂丘へ。
 砂丘で驚いたことはふたつ。まず、思っていたより「丘」だった。湿り気のある砂を踏みしめ、「馬の背」と呼ばれる丘に登ると、じんわりと汗をかいた。
 そして、向こうに海が広がっていること。馬の背から見えたのは、見渡す限りの空と海。白い波が小さく立ち、青くなりすぎない空の映し方を、日本海らしいなと思う。
 鳥取駅から再び電車に乗り、日暮れ頃に玉造温泉駅で降りる。松江の隣の温泉街で、勾玉づくりが盛んだったことに由来する名だ。温泉つきのゲストハウスに泊まった。
 
 

9月7日 出雲大社→松江

稲佐の浜

 宍道湖で採れたしじみの汁物を味わい、宿を出る。のんびりしすぎていたようで、駅まで15分以上走る。いつもこうだ。
 無事電車に乗り、出雲市駅で降り、さらにバスに乗る。向かったのは稲佐の浜。途中にかぶき踊りで知られる出雲阿国の墓がある。『しろがねの葉』の「おくに」だ。彼女の印象的な台詞を思い出しながら手を合わせる。誰が持ってきたのか、カップ酒が供えられていた。
 稲佐の浜には、鳥居を冠した巨岩が鎮座し、穏やかに輝く海が波を寄せていた。
 出雲大社を参拝し、松江に移る。松江城を通り抜け、小泉八雲記念館へ。島根出身の友人の勧め。八雲の作品は未読だった。
 それでも楽しめる展示だった。ギリシャで生まれ、アイルランドやアメリカを経て日本へ来た八雲。松江の地で妻・セツと出会う。セツの語りが、八雲を怪談の世界へ導く。二人の間で交わされた「ヘルンさん言葉」という独特な言い回しの日本語。わたしはいつの間にか、彼らの物語の虜になった。八雲のひ孫である館長のエッセイ(小泉凡『怪談四代記 八雲のいたずら』)をお土産にする。
 宍道湖で眺めた夕陽の美しさも忘れられない。どこまでも広い空と、輝く湖に、丸ごと抱きしめられているようだった。
 夕食を探していたら、アイルランド料理店があった。八雲の縁を感じて入ってみる。甘くないスコーンのようなソーダパンと、羊の肉の入ったスープを注文する。
 アイルランドから来た陽気なシェフが歌いながら運んできたのは、パン、スープ、ハート形に山盛りされた玄米だった。サービスです、と笑顔で言う彼に、主食のサービスって、と突っ込みたくなる。
 スープもパンも、優しい味がした。いつかアイルランドに行ってみたい。ほとんど知らなかった国のことを、そう思うまでになっていた。
 
  • 松江で食べた出雲そば
  • 宍道湖に沈む夕日
 
 

9月8日 松崎→金蔵寺

 今日は松江から鳥取まで引き返し、南へ下って四国へ渡る。
 松江と鳥取の間に、松崎という駅がある。そばに大きな池があり、そのほとりに、モーニング営業をしている本屋さんがある。
 店名は「汽水空港」。扉を開けると、奥のカウンターから穏やかに挨拶された。台湾茶を出す彼女は店の常連客で、店主はいま、畑に出ているらしい。
 お茶を飲みながら、店内を見渡す。そこは、あまりにも幸せな空間だった。本のセレクトも、食と読書を一緒に大事にしようとする場所であることも、心地よかった。
 次の電車の時間ぎりぎりまでお店にいて、買った本は四国へ向かう電車内で読んだ。津村記久子『君は永遠にそいつらより若い』は、京都の大学4回生が主人公。旅先で京都が舞台の小説を読むとは思わなかったが、運命の出会いと呼びたくなる物語だった。
 國分功一郎『暇と退屈の倫理学』を読みながらふと、自分が「ぼうっとする」のを楽しみ始めたことに気がつく。初めは電車で暇になるのが怖かった。でも黙って窓の外を眺めていると、心の声が聞こえてくる。わたしの心はおしゃべりだった。自分で自分のことがわからなくなってしまったら、きっとひとりでぼうっとしてみたらいい。
 香川に入り、金蔵寺という小さな無人駅で降りた。駅前に、友人おすすめのゲストハウスがあるからだ。
 共用スペースの片隅に小さな本棚があった。読み終えた本を旅人たちが置いていくのだという。明るく話しやすいオーナーの女性は、太宰治や村上春樹の本を紹介してくれた。読み切りたかったが、さすがに疲れていて夜は眠ってしまった。
 
 

9月9日 三津浜

「三津の渡し」に乗るところ
  三津の渡しから見た夕焼け

 10時過ぎの電車に乗り、三津浜に到着したのが15時頃。愛媛県、松山の少し手前の駅。
 三津の町は、改築した古い建物に小さな店が集まっていたり、喫茶店やパン屋に行列ができていたり、賑わいがあった。聞けば最近、移住する人も増えているという。
 海を目指して歩きながら、絵本の図書館や、古民家で営まれているカフェに立ち寄る。梅のジュースが、日差しと暑さの中を歩いてきたわたしを癒してくれた。
 小さな港には、所狭しと漁船が停まっていた。ちょっと覗き込むだけで魚の影が見える。釣りや漁のことはわからないが、きっと豊かな海なのだろう。
 ここに、「三津の渡し」と呼ばれる渡し舟がある。距離はたった80m。
 陽の落ちる頃に渡船に乗った。穏やかな海に輝く光の帯が揺らぐ。ゆっくりと進む船が、夕焼けの色に染められていく。このまばゆい光をずっと見ていたい。けれど太陽は海の向こうへと去ってしまうし、船はあっという間に岸へと辿りつく。
 先ほど訪れたカフェで、おすすめの夜ご飯のお店を教えてもらった。三津浜焼きというご当地お好み焼きを食べられると聞いた店の戸を、がらがらと開けた。
 店内にぎっしりと詰まっていたお客さんが、カウンターで料理をしていたおばあちゃんが、いっせいにこちらを見た。
 地元の人たちでにぎわうとは聞いていたが、想像以上の熱量。しかしわたしが入れるようにさらに席を詰めてくれた。三津浜焼きをひとつ頼むと、おばあちゃんがビールをプレゼントしてくれた。ビールを注ぐ若い男性は、孫だと思いきや常連客らしい。半袖からたくましい腕をのぞかせ、おばあちゃんと漫才のようなやり取りを交わす。
 隣に座るおじいちゃんは、自称海賊。店全体を巻き込むカラオケタイムが始まると、艶のある歌声で拍手をもらっていた。
 三津浜焼きは、生地の上に麺を乗せて焼く。焼きたてのそれを、熱々のまま口に入れる。美味しい。店に溢れる笑い声や歓声も、舌の上で喜びに変わるようだった。
 おばあちゃんにありがとうと言われながら店を出た。素敵な出会いに感謝。
  • 「三津の渡し」に乗るところ
  • 三津の渡しから見た夕焼け
 
 

9月10日 高知→京都

高知の日曜市

 最終日。今日が日曜日なのには理由がある。毎週日曜日に高知で開催される「日曜市」に行きたいのだ。
 ただ、松山から高知は、電車では時間がかかりすぎる。高速バスに乗ることにした。午前10時ごろ高知に到着し、12時44分に高知駅を出る電車に乗る(当日京都に着くための最終列車で、さもなくば京都に帰れなくなる)。
 ところが、高速道路で事故があり、バスは一般道を迂回せざるを得なくなった。もしも最終電車が出るまでに高知に着かなかったら? くしくも今日は18きっぷの使用期間最終日。無理してバスを使ったばかりに、と後悔が首をもたげる。
 結局、バスはなんとか11時前に高知に到着した。わたしは早歩きで市に乗り込む。食べ物の店が多いが、八百屋や花、工芸品を売る人たちもいる。芋天を買って食べる。さつま芋の甘みとほくほくさがたまらない。
 欲張りなので、市場の中へ入ってカツオのたたきもいただく。藁焼きで炙られたカツオは、香りも柔らかさも、高知に来たからこそ食べられるものだ、と思う。
 12時44分、わたしは高知をあとにした。京都駅へ着いたのは23時を過ぎていた。ライトアップされた京都タワーを背景に、5日分のスタンプが押された18きっぷの写真を撮った。タワーは温かく、柔らかい光を放っているように見えた。
 
PROFILE

齊藤ゆずか(さいとう・ゆずか)京都大学文学部4回生。いずみ委員。

旅行が好きだが、車を運転するのが怖いのと、面倒くさがりなので免許が取れない。代わりに(?)1日40kmくらい歩けることが自慢です。京都の自宅から、鴨川を伝って大阪湾まで歩くのが夢。


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