現在の大学生は、受験や入学の時期がコロナ禍にあたり、これまでとは違った苦労の中で大学生活をスタートしました。
今回は、近畿地方の大学に進学された学生の皆さまとその保護者さまにお集まりいただき、受験期の苦労や新生活準備に意識したこと、また大学生活の様子についてお話を伺いました。
黒字・・・保護者様
青字・・・お子様
糸村 さなえさん:
同志社大学3回生の糸村昌大の母で、糸村さなえと申します。沖縄から参加しています。よろしくお願いいたします。
河内 明子さん:
立命館大学3年生の河内千夏の母の、河内明子と申します。よろしくお願いいたします。
鹿毛 梢さん:
京都大学の鹿毛優光の母で、鹿毛梢と申します。よろしくお願いいたします。
鹿毛 優光さん:
京都大学文学部1回生の鹿毛優光といいます。1年浪人しているので今年で20歳です。よろしくお願いします。
河内 千夏さん:
立命館大学総合心理学部3回生の河内千夏と申します。よろしくお願いします。
糸村 昌大さん:
同志社大学法学部法律学科3年生の糸村昌大といいます。出身は沖縄県です。よろしくお願いします。
鹿毛 梢さん
鹿毛 梢さん:
長女が浪人しているころは息子が中3で受験生でしたが、まず部屋ではしていなかったですね。ほとんどは、対面キッチンの前にあるテーブルで勉強していました。いつもキッチンに書籍が山盛りになっている状態でした。
河内 明子さん
河内 明子さん:
高校生の受験勉強はほとんど部屋でしていました。集中したいのかあまりリビングにも来ないで、ずっとこもっていて大丈夫なのかと思うくらい。音楽やテレビの音も「うるさい」と言われるので、夫は野球の中継の音量を下げたりして気を遣っていましたね。塾にも行っていたので、午前中は自習室に行って、一回帰宅して、また午後に行って、といった感じでした。
糸村 さなえさん
糸村 さなえさん:
高2までは外で勉強していました。海が見えるフリースペースやお店などをよく活用していました。高3に上がってコロナ禍となり、お店もいろいろなところが閉まってしまったので、それ以降は自宅の部屋かリビング。9月から塾に入ったので、3カ月間は塾の自習室を利用していましたね。
鹿毛 梢さん:
一番大きかったのは、娘が共通テストの1週間前に救急車で運ばれたことです。まっすぐ歩くこともできない状態で受験しました。とりあえず普通の状態で受けられるということが、どれだけ大きなことかということをすごく感じました。
河内 明子さん:
同じように、高3はコロナの時期だったので、とにかく風邪をひかせない、感染させないように、家中で対策をしていたのが印象に残っています。
糸村 さなえさん:
うちもまったく一緒です。本人のコロナ感染もあるし、家族もあるし。同じクラスの友達も中高一貫で6年間ずっと仲良くやってきて、どの子も甥っ子、姪っ子という感じだったので、皆でどうにか無事に受験できますようにと願っていました。
鹿毛 優光さん:
第一志望はずっと前から決まっていたんですが、後期に受験する大学を決めるにあたって私が及び腰になっていたので、そこで母にアドバイスしてもらいました。
鹿毛 梢さん:
後期は、第一志望に落ちるという前提で決めていたということもあり、希望に反して、ちょっと安パイな学校を選びがちだったんです。せっかくやりたいことがあって第一志望の大学を決めたのだから、やりたいことを重視した方が良いとアドバイスしました。やりたい気持ちを大切にして向かっていけば、第一志望と同じような学部や同じような勉強ができる環境には、きっと合格するだろうなと考えていました。
河内 明子さん:
私は本人にほぼ任せきりでした。結構意志が強いタイプだったので、ほとんど口は出さなかったと思います。
糸村 さなえさん:
うちもまったく出さなかったと思います。京都に住みたいという希望があって同志社大学法学部を志望していたので、推薦公募なども利用して、1回でも多く受験の機会が得られるようにアドバイスしました。公募推薦の条件が英検準1級以上だったので、これだけは取っておこうかという話はしました。
糸村 昌大さん:
そうですね。僕は受験資格についてまったく自主的に調べていなくて、母のアドバイスで英検準1級だけは急いで取りました。
その後は本当に自由にカフェで勉強するなど受験期を送っていましたが、精神的に参っているときに声をかけてもらって、サポートをしてもらっていました。
糸村 昌大さん
糸村 昌大さん:
自分の短所だと思っているのですが、極度に心配性ですよね。例えば模試の前日になったら、どうしようと思ったり。推薦はやはり評定が大事なので、定期考査も周りの人より良い点数を取らないといけないとプレッシャーを感じていました。それで不安になって深夜2時、3時まで起きて勉強したりしていたのですが、そういうときは必ず一緒に起きて、ずっと隣にいて喋るのを聞いてくれたんですよね。
具体的に言葉掛けをしてくれたというのではありませんが、ずっと寄り添ってくれていて、安心感が強かったです。それでメンタルを保てたかなと思います。
鹿毛 優光さん
鹿毛 優光さん:
現役のときは、私はもともと高2まで理系で高3になってから文転したので、焦りがずっとありました。試験の成績もあまり振るわなかったので、最後まで焦りはついて回りましたね。それが原因で体調も崩してしまったのだと思います。
浪人のときは、現役のとき体調を崩してしまったのがトラウマで、とにかくできるだけ体調を崩さないように気を付けました。実力がついてきている実感はあったので、それを100%発揮できるかどうかというのが一番不安でした。
河内 千夏さん
河内 千夏さん:
私は悩んだことというのはあまりなかったです。とにかく、どこまで自分の学力を上げていけるかということに常に向き合っていました。模試の結果に一喜一憂することもそれほどなく、良い点数が取れたとしても、本当はちゃんと理解していないんだよなというところを淡々と一個ずつつぶしていくようにしました。
糸村 昌大さん:
僕は、先ほども言った通りメンタル面が不安でした。周りの成績もどんどん上がってきているし、共通テストが刻一刻と近づいてくるプレッシャーもあるし、かつ、推薦を取るんだったら学校の定期テストも良い点数を取らないといけないし。それで、学校へ行く前やテストの日の朝は、部屋で吐きそうになっていたこともありました。友達と喋ったりして気を落ち着かせて、なんとか解消していました。
あと、これは自分たちの代に特有の問題だと思いますが、センター試験から共通テストに切り替わる1年目で、英語も がらっと変わることになっていたのでその点にも不安がありました。もちろん予想問題などで対策はしていましたが、実際に受けてみるまでどういう問題が出題されるかわからないという漠然とした不安は、1年間ずっと抱いていました。
鹿毛 梢さん:
やはり予備校だと思いますね。受験期終盤の高3の時期に得た情報は、すべて予備校を通じてでした。あとは保護者のつながりですかね。先輩お母さま方々などからいろいろ情報を集めました。
河内 明子さん:
私はほとんどノータッチなので、全部任せて、「どうしよう」と何か問い掛けがあったときにお話したりといった程度です。
糸村 さなえさん:
うちは中学3年の修学旅行で京都へ行って、プログラムの一環で大学巡りをしたときに、同志社に一目ぼれして志望校を決めていました。だから同志社だけ調べていましたね。
鹿毛 優光さん:
私はちょうどコロナの時期だったので、オープンキャンパスは基本的になくて、オンラインで動画を見たりしましたね。学校では、「夏休みの間に夜行バスでぱっと行って、授業に潜って帰ってくるなりして、大学の雰囲気を見ておくのも一つの手」とは言われていました。高校3年生のときに予備校でも同じように言われたので、深夜バスで行って、京大に通っている友達と一緒に授業に潜入して、その日の夜にまたバスで帰ってくる、というのをしました。
河内 千夏さん:
私は高校1年生のときに、学校の課題で、オープンキャンパスに行きましょうというプリントをもらいました。自分はもともと、文系・理系問わず広い学問領域が勉強できる分野に興味があったので、人間科学系統、心理学系統を中心に大学を見ていました。
糸村 昌大さん:
僕は1つだけ、琉球大学のオープンキャンパスに行きました。もし同志社が駄目だったら琉球大学にしようかなと思っていたので。
中学3年生の修学旅行で、学校側から京都大学は必ず見にいくよう指定されていました。もう1カ所好きなところを見学するプログラムになっていたのですが、僕は修学旅行を楽しみたい一心だったので、タクシーの運転手さんに「京大から一番近い大学へ連れていってくれ」と言って、「びっくりするで」と連れて行かれたのが同志社大学でした。本当に「えっ、ここへ行きたい」と一目ぼれでした。キャンパスの雰囲気もそうですし、建物もすごかったですし、出てくる大学生の人たちがすごくきらきらして見えたんですよ。だから同志社大学を第一志望にしました。