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#03 メアリー・ポピオ さん

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参加者
メアリー・ポピオ(MaryPopeo)
(NPO法人Peace Culture Village共同創業者/アメリカ・ボストン出身)

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参加者
三宅崚太郎
(福山市立大学2回生/Peace Now! Hiroshima2021実行委員)

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参加者
荒木崚佑
(下関市立大学2回生/Peace Now! Hiroshima2021実行委員)

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参加者
大平鈴音
(島根大学4回生/Peace Now! Hiroshima2021実行委員)

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interpreter(通訳)

参加者
武田智実
(全国通訳案内士/福山市立大学非常勤講師)

インタビュー日:2021年8月18日

自己紹介

私はメアリーと申します。私はアメリカのボストン出身で、5年前に広島に来てNPO法人Peace Culture Village(以下、PCV)の共同創業者となりました。今日みなさんと時間を過ごせて嬉しいです。よろしくお願いします。

福山市立大学2回生のPeace Now! Hiroshima 2021実行委員の三宅崚太郎です。本日はよろしくお願いいたします。

下関市立大学の荒木崚佑です。現在参加しているPeace Now! では過去グループに所属し、主に過去に広島が経験したことを伝えるための企画を作っています。本日はよろしくお願いいたします。

島根大学4回生の大平鈴音です。Peace Now! では過去グループで一緒に企画を作っています。私は広島出身なので、色々とお話を伺えるのを楽しみにしていました。よろしくお願いいたします。

武田と申します。今日は通訳として参加させていただきます。よろしくお願いします。

平和活動に興味を持ったきっかけについて

自己紹介、ありがとうございました。本日は、平和活動を主体的に行われてきたNPO法人PCVのメアリーさんのお話を聞いて、大学生である私たちが平和をより深い視点から考え、これからできることについて考えるきっかけにさせていただこうと思います。よろしくお願いします。
それでは、メアリーさんの平和活動を行うようになったきっかけについて教えてください。

私はアメリカのボストンで育って、学生時代に広島と長崎の原爆体験について学ぶ機会がなかったんです。日本では修学旅行などといった平和学習を行う機会があると思うけど、アメリカではそのような機会がなかなかないので、私は自分の部活や学校、家族についてたくさん考える学生時代を過ごしてきました。だから、学生時代は核兵器などを含め、社会問題について意識せずに育ってきました。もしかしたらこのインタビューを聞いている人たちもそうかもしれない。でも、グローバル問題を意識することは少ないことは普通だと思うので、Don’t feel bad! (気分を悪くしないで!)
私のターニングポイントは、自分のカトリックの信仰です。私は日本のゲームが大好きだったので、日本語を勉強しようと思い、大学2年生のときに日本語を専攻しました。そのときに、カトリック(イエズス会)の大学に通ったので、私たちはアジアのイエズス会の歴史や隠れキリシタンについて学びました。私はすごく興味があったので、大学2年生で日本に初めて行って、研究プログラムに参加するために長崎に1か月間滞在しました。そのときに原爆について深く学ぶ機会はなかったのですが、原爆資料館に行ってすごく衝撃を受けました。そこには、原爆の熱で溶けた、私が毎日お祈りしているロザリオやマリア様(注1)のような像がありました。そのときに私は、クリスチャンの国であるアメリカは、当時1番大きな東アジアのクリスチャンコミュニティを殺したということを学びました。そこから、アメリカ対日本ではなく、自分事になりました。そして、それがきっかけで核兵器問題への意識がどんどん高まり、平和活動に興味を持つようになりました。

私たちと同じくらいの大学2年生のときに、戦争や原爆などのことについてではなく、自分の興味のある分野(カトリック信仰)がきっかけで長崎に行った結果、戦争の歴史を学んだことが最初のきっかけだったんですね。

はい。

平和を考える中で感じた想いについて

なるほど。自分が予期していなかった身近なことからだんだん自分事として考えられるようになり、その経験が今の活動のきっかけになったということでしたが、以前は日本対アメリカとして考えていたことを自分事として考えられるようになった中で、何か心境の変化があったのですか?考えないといけなくなったという感じですか?

でも正直、そのときは知ったばかりだったので、アメリカ人としての罪悪感や恥ずかしさ、自分の国の評判を守ることなど、そういった気持ちを消化するのに長い時間がかかって(今でもそれは持っていると思う)。そのような体験や被爆者との出会いを通じて気付いたことは、私はボランティアではなく、仕事として平和活動をしたいということ。自分のすべてをかけて、平和活動を人生の中で行いたいと思ったんです。でも、それまでに5年くらい、結構長い時間かかりました。

アメリカ人として罪悪感を覚えていたのですか?事実として原爆を落とした国としての罪悪感が平和について考えなければならないという想いに変わったという感じですか?

そうだね。でも、1番平和活動をしたいと思ったきっかけは、罪悪感といったネガティブな気持ちではなく、ポジティブな気持ちだった。私は長崎から帰って平和活動に参加するようになって、正直楽しく感じたんです。平和な未来を作りたいと思っている仲間と一緒に、すごく壮大で重要なビジョンに向けて活動し、人間としてすごく大事な質問に毎日取り組む、そのような活動は私にとって充実していて、もっともっとやってみたいと思ったので、そういったポジティブな気持ちから本当に良いなと思いました。被爆者の方がいつも過去のことを話すのは、私たち若い世代が未来を創るためだと思うから、そのような未来を創ることについてワクワクして、もっとやってみたいなという気持ちもありました。だから、(ネガティブな気持ちもポジティブな気持ちも)両方あったと思う。

そのような両方の気持ちを持ちつつ平和活動をしようと思われたんですね。
日本にもアメリカにも、キリスト教を信仰している人はたくさんいたと思いますが、長崎で自分の信仰しているロザリオやマリア様が焼かれているのを見て、いたたまれなくなったという感じですかね?

アメリカ人は、被爆者の話といった、きのこ雲の下で起こったことは全然学ばないので、被爆の実相とかを見てショックでした。そこにクリスチャンの側面もあったからこそ、自分事として問題に取り組めたのではないかと思います。それと被爆者の方との出会い。この2つは、私にとって大きかったと思います。

被爆者との出会いについて

被爆者の方との出会いというのは、どのような出会いでしたか?

例えば、初めて広島に来たときに、被爆証言を英語で聞くことができました。堀江 壯(ほりえ そう)さんという被爆者の方で、私は堀江さんに「今でもアメリカ人に憎しみが残っているのですか?」と聞きました。すると、「No. 残っていない。」とすごく簡単に答えられました。そのとき私は、「え?No?どうやって乗り越えたの?」とすごくモヤモヤしましたが、このような許せる人ともっと時間を過ごして、私に役割があるのなら被爆者の手伝いをしたいと思いました。広島に引っ越してきてから堀江さんや色々な被爆者の方からお話を聞けるようになって、それがすごく学びになりました。被爆者の方が平和文化を創ることについて本当に真剣に考えていて、心から平和を創ろうとしている人として本当に尊敬します。

広島で活動をするきっかけについて

被爆者の言葉からも平和活動へのエネルギーをもらっていたんですね。
そのような経験をされて、今広島に住んで平和活動をずっとされていますが、広島で活動しようと思ったきっかけはありますか?

あります。私は大学卒業後、ハーバード大学で働きながらフルタイムのボランティア活動を行いました。国連や大使、アメリカの議員に対するデモやロビー活動、署名活動などの企画や大統領候補へのSNSでの質問などをして、本当にたくさんの平和活動をしました。毎年の夏、長崎と広島に戻って日本人と活動をすることもできました。そのときに気付いたことが2つあります。1つ目は、私はこれを仕事としてしたいということ。もしこれがボランティアではなく仕事として出来たら、私の全部のエネルギーや時間を優先できる。生活ができるように平和活動ができたら良いなと思いました。2つ目は、私は良い活動家ではなかったということ。私はあまり説得力がなくて、逆に説得されちゃう人。私が、「核兵器はダメですよ。」と言っても、「メアリー、でもここについてどう思いますか?」と聞かれると、「あ、たしかにね。」ってなっちゃう感じ(笑)だから、平和活動もすごく良いと思うけど、私の役割は平和教育かもしれないと思いました。あとは、問題解決とか。お互いの意見があって、お互いが理解できるように会話をファシリテートするとか、そのようなことにも興味がわいたので、私は平和教育を仕事としてできれば良いなと思いました。

そのような経緯で、PCVで活動するようになったのですね?

そうそう。そのときに私は、広島平和文化センターの元理事長で、私のメンターであるスティーブン・リーパーに連絡をして、そのモヤモヤについて話しました。すると、スティーブンに「メアリー、私はNPOを設立しようと思っているんだけど、来ない?」と言われて、私は「行くよ。」と言いました(笑)2016年に広島に引っ越して、私とスティーブン、他の日本人も一緒にPCVを設立しました。

なるほど。そういう経緯があったんですね。

本当にmentorshipはめちゃくちゃ大事です!

mentorship?

mentorというのは、悩んでいることや迷っていることに対して助言をくれる人です。mentorshipというのは助言をくれる人との(子弟)関係です。

アメリカ人のメアリーさんならではの経験

長崎に行って原爆の悲惨さについて学んだということでしたが、以前僕が広島の資料館を見学していた時に、アメリカ人の5人組のグループが入ってきて、自分としては「この国の人が原爆を落としたんだ」と感じて、話しかけに行こうとは正直思いませんでした。メアリーさんが長崎で平和について学んでいたときに日本人から冷めた目で見られたりしたことはありますか?

良い質問です!よく聞かれます!そのような質問をしてくるのは勇気を持っている!すごく良いことだと思います。
実際、色々な人がそのようなことを思っているのかもしれないけど、私に直接言ってこないんです…(笑)だから、私のこれまでの経験は結構ポジティブです。例えば、私はよく、平和公園で日本人に日本語でガイドします。なぜなら、外国人がもういないからです。本当は、英語で外国人に伝えたいけど、今はニーズがないので、PCVで働いている外国人も日本語で案内しています。私も元々、それに対して違和感を抱いていましたよ。加害国から来た女性が日本人に日本の歴史について日本語で話すのはおかしいでしょ、と思いました。でも安心したのは、被爆者の方がすごく私を応援してくれて、私の同僚も「メアリーはアメリカ人だけど、みんな同じ地球人だから。日本人だけが核兵器廃絶に取り組むのであれば平和は実現できないよ。」と言ってくれました。また、多くのメールや手紙、SNSのメッセージも来ました。「アメリカ人として活動しているメアリーさんを見て、日本人として私も活動したいと感じました!」とか。正直私も違和感は抱きますが、そのような反応をもらえているから勇気や安心感をもらい、私にも役割があるかもと思いながら活動をしています。

ありがとうございます。

自身の役割について

メアリーさんの中で少しそのような気持ちも感じながら活動されてきたんですね。
メアリーさんのような日本で活動されているアメリカ人の方というのは、珍しいと思うのですが、メアリーさんの中でアメリカ人だからこそできることや自身の役割などはありますか?

私個人の役割は色々あるとは思いますが、まず英語圏の人々に被爆者の魂を伝えること。これは実は、被爆者の方からもらった使命です。また、PCVは平和教育の団体として、修学旅行や平和学習をデザイン・運営します。だから、日本の学生と会うときに、被爆三世・四世とアメリカ人で構成されるチームで平和文化について話していて、それはすごく深い意味があると思っています。原爆投下の76年後、アメリカ人と日本人が一緒に平和活動ができていることが奇跡だと思っています。私はアメリカ人としての視点を提供するためにいることが大事だと思っています。いずれ、私が珍しい存在ではなくなり、他の外国人も広島で平和の仕事ができるように仕組みを作ることができたら良いなと思っています。最後に、核兵器の恐ろしさや広島の復興、希望のメッセージなど、広島から得られる学びを将来、どのように海外にもっと輸出できるのかについてもすごく興味があるので、そのようなことが私の役割であると感じています。

アメリカ人と被爆者が一緒に協力して平和活動を行うことができることが奇跡である、という視点が自分にはなかったと思いました。そのようなことができるのも平和だし、奇跡であると感じました。メアリーさんは主に平和教育を外国人に向けても行うことに力を入れておられますが、いずれは、外国人が広島に来て平和教育を行うことが当たり前になってほしい、という想いも持っておられるということですね。

上手くまとめてくださってありがとうございます(笑)

平和教育におけるアメリカと日本の違い

76年前の原爆投下について、日本が被害国でアメリカが加害国である、という視点もある中で、メアリーさんはアメリカと日本の違いを感じてこられたと思いますが、アメリカと日本の平和教育の違いや原爆に対して持っている想いの違いはどのようなところにあると思いますか?

すごく良い質問です!このような質問が来たときにまず伝えたいのは、[日本の教育]・[アメリカの教育]・[日本人]・[アメリカ人]というように、まとめて話すのが難しいということ。アメリカ人に、「メアリー、日本人はアメリカについてどのように感じていますか?」と聞かれることがありますが、「日本人はみんな同じことを思ってないよ…多様性があるよ…」と感じます。
だからこそ、自分が気付いたtrend(傾向)になるのですが、アメリカでは広島について深く勉強するというよりは、ホロコーストやPearl Harbor(注)について勉強します。広島についてであれば、私のおじいさんもこれを信じていましたが、アメリカでは原爆が投下されたことによって、多くのアメリカ人と日本人の命が救われて戦争が終わったといったようなことを学ぶんですね。もちろんそれは、広島で子供たちが学ぶことと全然違います。被爆者のストーリーとか(はないです)。でも、ある広島の学校では、他の学校での平和教育とは違う視点からのすごく素敵な平和学習を行うところがあって、パールハーバーや日本の加害の歴史についても学ぶんです。でも多分、ほとんどの学校で広島と長崎以外についてはあまり学ばないと思います。
アメリカ人のチームとして日本人やアメリカ人の学生と話すときに平和文化人として成長するために大事だと感じたのは、様々な視点があることを理解すること。例えば、私の身の回りには、ご先祖様の歴史について学びながら育った被爆三世・四世の友達もいれば、全然核兵器について話さなかった家族、日本人を殺す遊びを友達としていた私のおじいさんもいます。でも、私はおじいさんに、「おじいさん、それは正しくない。原爆は悪かったよ。」と説得する気はあまりありませんでした。みんなそれぞれ自分の経験があります。当時、鬼畜米英という言葉を使っていた日本人もいた。だから、それが正しいとか、正しくないとかは、あまり(ないと思う)。相手を説得しようとすると喧嘩になる経験があるので、それよりもまず相手の視点を理解してみることが最初のステップだと思います。
だから、「アメリカ人は何を勉強していますか?」「日本人は何を勉強していますか?」「その視点の違いはなんですか?」「私たちの共通点はなんですか?」これらの質問は全部、すごく大事だと思います。
⦅注;Pearl Harborとは、真珠湾とも呼ばれ、1941年12月8日に日本海軍が奇襲した場所。これにより太平洋戦争が勃発したとされている。⦆

なるほど。日本では戦争や原爆といった事実に目を向けがちだが、アメリカではホロコーストや真珠湾攻撃などに目を向けて学習していて、人々のバックグラウンドの違いによって視点の違いが出てくる。でも、その違いを否定せず、それぞれの視点を大事にしながら、共通している想いなどを一緒に考えていこう、ということをメアリーさんはテーマとして大事にされているということですよね?

うんうん。1つの正しい答えはないかもしれない。それぞれにとって大事なパズルのピースがあるかもしれないということですよね。

平和活動で大事にしていること

そういったことが平和活動のモチベーションや目的になっているということですが、他に平和活動を行ううえで大事にしていることはありますか?

この仕事をしていて1番エネルギーをもらうのは、みなさんのような若者と活動することですよ。みんなそれぞれに興味や才能、コネクションなどがあって、広島ではファッションやゲーム・スポーツを通して平和文化を創っている若者もいる。大きいことではなくても、自分のコミュニティやSNS、興味のあることを通して平和文化を創ることができる。なぜなら、平和文化創りは、私たちの生き方と結びついているから。平和は壮大なイメージがあるけど、私たちは毎日、平和を創る生き方か戦争を創る生き方を選んでいると私は思っています。だから、本当に何でも平和活動になれると私は信じています。特に大学生のcreativity(創造性)や平和を作りたいという純粋な思いを見て、そのような仲間がいたら平和活動は楽しいと思っています。だから、みなさんもぜひ、仲間になってほしいです!

なんだか、すごく大事なことを今聞いたような気がします!戦争や原爆というと、どうしても遠ざけてしまうことだけど、自分の今いる環境や興味のあることがすべて平和につながっていくということは、私たちが大事にしないといけないテーマであると感じました。

私は日本のゲームが大好き。私のSNSのタイムラインを見ると、日本のゲームを愛している、だから平和活動をしている、という風に見えますね(笑)自分の直感や大好きなことを大事にすることで、みんなに輝くことができる役割がそれぞれあると思う。だから、私はこのPeace Now! Hiroshima実行委員と関わることができることにワクワクしました。

すごく面白い(笑)ゲームが今のメアリーさんにつながっているっていうことですね(笑)

ゲームからカトリックから平和活動(笑)

インタビューする前はメアリーさんのことを、すごく活動されていて見習うべき存在であると感じていて、私たちがお話から何を学ぶことができるか、ということをずっと考えていましたが、身近なところから平和につながっていくということが、仲間意識というか、私たちもできるというようなワクワク感を持ちました!

Peace Culture Villageについて

PCVではすごく大事なミッションが3つあります。
1つ目は、”To raise human consciousness to a peace culture through education”(教育を通じて、人間の意識を平和文化を創ることまで高めていくこと)。
2つ目は、当時を知る被爆者がどんどん少なくなってしまうので、次世代の平和文化リーダーを培うこと。例えば、私たちはPeace culture academyというオンラインスクールを実施しています。これは、国連や赤十字、Bill & Melinda Gates Foundation(ビル&メリンダ・ゲイツ財団)といった様々な平和文化リーダーが教師を務め、平和文化リーダーになりたいと思っている高校生や大学生、社会人に向けてお話をするというものです。私たちは、インプットをする場としてこれをとても大事にしていますが、アウトプットできる機会も作りたいと思っています。
そこで3つ目は、平和を創る仕事を作ること。私のように平和活動を仕事として行いたいと思っている子供たちのために、そのような仕組みを作りたいと思っています。PCVには今、29歳以下のピースバディという報酬アルバイトの人が30人ほどいて、私たちの修学旅行プログラムを有償で全部運営してくれます。これはメンターシップという点でも重要なことです。修学旅行生は、広島に来たときに少し年上のお兄さん・お姉さんと一緒に平和学習を行い、ピースバディから平和活動を始めたきっかけなどを聞きます。そして、その出会いが次世代の平和文化リーダーを培うことができます。多くの若者たちは「平和は壮大過ぎて、私には平和を創ることができない」と思っているかもしれないけど、自分のきっかけをシェアすると、インスピレーションを受ける人が多いかもしれないです。私もスティーブンがかっこいいなと思ったから平和活動をしようと思いました。みなさん大学生ももっと若い子たちのためのメンターになれると思うので、自信をもって!みなさんは平和活動が十分にできると思います!

3つ目の平和を創る仕事を作る、というのは…?

仕事としてする、というところが大事。sustainable(維持できる)な活動。例えば、みなさんが大学を卒業してから平和活動をボランティアとして行うことが難しくなると思う。でも、それを仕事としてするならもっと優先できるよね。だからそういう仕組みを作りたいです。

3つのミッションによって、平和活動に身近に携われる人を増やしていくことがPCVのモットーなんですね。

ボランティアも大事だが、若いプロフェッショナルのために仕組みを作りたいと思っています。

プロフェッショナルというのは、先頭に立って平和活動を行う人、ということですか?

たいてい、学生やリタイアした人は平和活動ができる。でも、大学を卒業した人の中には、平和活動をしたいという人もいると思うけど、生活するために働かないといけないから仕事を優先しないといけないという人がほとんどだと思う。だから、お金持ちになりたいわけではないけど、生活を維持しながら平和活動をしたい、と考える若い社会人やバイトを探している大学生などが平和活動に関わることができるように仕組みを作りたいです。

なるほど。そのくらいの年齢層の方の平和活動への参加をもっと広げたいということですね。

はい。

PCVには外国人の方が多くいらっしゃるんですか?

良い質問です。
実は、日本人がほとんどです。お客さんもほとんど日本人です。私と共同創業者であるスティーブンは、両方アメリカ人です。理事は、全員日本人です。他のメンバーは、1人のイギリス人を除き、全員若い日本人です。1番多いお客さんは日本の学生です。でも、オンラインプログラムもしているので、今年は40か国から来た5500人以上の人々のために広島のオンライン体験を提供することができました。そして私たちは、ARやVRといったテクノロジーの会社と協力しながら、すごく面白く行うことができるようになったので、そのような方法で外国人と出会うことができますが、ほとんどは日本人です。

ありがとうございます。

現在、クラウドファンディングでのピースポータルといった、新たに始められているものもあるようですが、コロナ禍で外国人との交流がなかなかできない中で、ピースポータルやオンラインの活動を通じて目指しているものは何ですか?

1年前に私たちはクラウドファンディングキャンペーンを始めました。コロナ禍で、私たちのチームがこれまで行ってきた、平和文化や被爆者の心を広げる活動が難しくなってきました。なので、私たちはテクノロジーを使って動こうと思いました。そこで、タイムルーパーという会社と一緒にヒロシマの記憶というアプリを開発しました。これは、AR技術によって、広島にいなくても平和公園を探求することができるアプリです。今年は、助成金を頂き、被爆者のホログラムもアプリの中に入れることができました。被爆者の田中 稔子(たなか としこ)さんがグリーンスクリーンの前で証言をしてくださり、アバターになったので、私がアメリカに帰っても田中さんをいつでも色々な人に紹介できます。田中さんは、「ここから私はもっと休みたいから、私のアバターは頑張って私のために働いて!」とおっしゃっていました(笑)テクノロジーのおかげで、できることはどんどん増えていると思っています。証言をしてくださる被爆者の方がどんどん少なくなっている今、ARやVRを通して被爆者の方が自分の前で話してくださる、そんな経験が出来たらもっと被爆者の方とつながることができると思います。だから、被爆体験の継承という点でも大事だと思います。

コロナ禍での活動の中で感じる想い

コロナ禍を上手く活用し、色々な技術を使って世界に平和を広められているんですね。
コロナ禍以前と現在で、メアリーさんの活動や心境などに変化はありますか?

PCVでは、アプリ開発とオンラインプログラムをしています。オンラインプログラムでは、被爆者の方とピースバディが平和公園を歩きながらツアーをしている様子をライブ中継でつなぎます。例えば、被爆者の方が「私はあそこにあった保育園に行っていましたよ。」と教えてくれるとか。広島の現地で被爆者の方と平和公園を歩くことは本当に珍しいことなので、オンラインだからこそできることだと思います。
他にもたくさんありますが、例えば今年、日本の中学生がみんなタブレットをもらいました。みんなタブレットを持っているから面白いことができるし、コロナ禍の影響で新しい形で平和学習に挑戦することができたと思います。もちろん、直接外国人に会うことができないから寂しいけど、待ってます!

コロナは大学生にも大きな影響を与えて、大学にも行けないときもありましたが、コロナがあったからこそ見えてきたものやできることを考えるきっかけになったのですね。

本当に大変です~。
特に留学しようと思っていた大学生とか大変だよね。オンラインを通じて、以前より多様な人々と関わることができるようになるという希望もあります。

そうですね。オンラインだから移動もなく、タブレット1つで参加できるから、幅が広がるし、色々な人の考えに触れることができますよね。

もちろん、良い面と悪い面、両方あると思います。

活動に関して、アメリカでの周りの反応と、日本に来てから気づいたこと

1つ聞きたいことがあって、話は少し遡りますが、広島で仕事として平和活動を行うにあたって、メアリーさんの家族や友達の反応はどうでしたか?

良い質問です。
すごくポジティブでした。私は子供のときから日本に興味があったので、そんなに大きなサプライズではなかったと思います。私は少し頑固で、両親に聞くよりも伝えました。「私は広島に引っ越します」って(笑)だから、それもあったかな。
私が日本に来て驚いたことは、活動家と呼ばれることが若い人にとってあまり良いことではないということ。extreme(極端)過ぎて…。「みんなより特別」、「みんなよりすごい」、「みんなより上」、「みんなより変な人」みたいな感じで見られることが多い気がする。アメリカでは、平和についてだけでなく、環境問題や人種差別、ジェンダーの権利といった他の問題にも当てはまることですが、活動をすることが特に若者として良いことであると考えられます。履歴書でも書けるし、憧れられることでもあるから。だから、私が平和活動をしようと思ったときには、結構良い反応ばかりでしたが、逆にどう思いますか?多くの若者から聞いたのは、「私は平和について関心を持っているけど、学校で話せる仲間がいなくて…。」とか。みなさんはどう思いますか?

メアリーさんのような平和活動を主体的にされている方は本当にすごいと思うし、尊敬します。ただ、逆を言うと、自分たちもしないといけないことだよなと感じるんですよね。平和な未来を創るために活動家が動く、というよりは、みんなで考えないといけない問題であると私は考えています。だから、伺ったお話はたしかに、と感じました。

そうだね。PCVがいつも話すのは、私たちはすごい人ではないということ。私たちは普通の大学生。平和活動をするからすごい人っていうわけではなくて、みんなもできることがあるよね?「バイト行ってくる!バイトは平和活動!それは普通!」そんな感じになったらいいなと私も思います。

中高生のころは、平和活動を頑張ってしようと思っている人に対しての冷たい目線とか、自分はいいやという雰囲気はかなりありました。僕は隣の岡山県出身なのですが、広島に来て感じたのは、広島や長崎とは平和に対する意識や想いが違うということです。同じ日本人ですが、全然知らなかったことがたくさんあった…。アメリカでは活動自体がすごく良いことだとされているということでしたが、逆に日本では無関心な人が多く、中心となって活動している若者は少ないイメージがあるので、逆に活動している人が目立ってしまうという状況はあると思っています。

そうね、難しいよね。何か寂しく感じる。想いはあるのに、そのような環境で…。
「平和」という言葉を使わなくても良いのかもしれない。例えば、「平和」の代わりにconflict解決やwell-being、mindfulnessとか。「平和」という言葉を聞くだけで、ウッとなる人もいると思うから。でも、みんなの視点を知ることができるのが有難いです。

conflictは、意見の対立や考え方の違いのこと。conflict解決は、それを解決すること。well-beingは、幸せということ。mindfulnessは、自分の心に目を向けること、ありのままの現実を受け入れることです。あえて日本語にするなら、自分を大切にすることとかかな。

きれいな定義ですね!

アメリカに帰られたときに家族や友達と広島での活動について話したりしますか?

もちろん!ワクワクすることなので、たくさん話します。

反応はどのような感じですか?

色々ありますよ。例えば、若い友達に「広島の若者たちは今すごいことをしているんだよ!」と話すと、「本当に頑張ってほしいね!」といった感じになる。初めて原爆や戦争について考える人であれば、その人の意見を聞くことが大事。「どういうことを学んだの?」など、それを聞くことが1番大事。あと、本当にしたいのは、説得することではなく、ただ被爆者のストーリーを伝えたい。

なるほど。

他者との対話のなかで意識していること

例えば、私が結婚式に行ったときの話。アメリカの結婚式には、bridesmaidとgroomsmanがいます

bridesmaidとgroomsmanは、介添人のこと。日本にはないが、欧米には花嫁さんや花婿さんに友達などが一緒に付き添って出席するような仕組みがあります。

bridesmaidとgroomsmanはペアになって結婚式に参加するんです。私がペアになった人は核兵器を作る会社で働いている人だったんです。私は話を聞いてウッと感じたけど、私はそのようなときこそお話を聞かないといけないと思っている。「なるほどね。」「だからこの会社に入って仕事をしているんだ。」という感じで聞くと、私の視点の話も聞いてくれるようになると思います。あとで、良い友達になれました(笑)

メアリーさんの活動を相手に伝えて、その後にメアリーさんが相手の仕事や想いなどを聞いて、どうやって友達になったのですか?

その方は事前に私の活動を知っていたと思う。多分彼は、(私がそのような活動をしている中で、彼の仕事や想いについて話すと)私が怒ると思っていたんだと思う。でも、そうではなく、「もっと教えてください。」とか「どんなきっかけでその仕事を始めたの?」ってどんどん相手の話を聞いていったから、Defense is down.

自分の作っていた壁を下げた、取り払ったということ。

彼の話を聞いてから、「私は被爆者との出会いがあって、こういう視点や考えを持っているので、あなたの持っているような意見を聞くことが少ないからありがたい!」とか「この意見がわからなかったからもっと教えて!」とか。そういう戦略(笑)

彼からすると、思っていた反応とメアリーさんの実際の反応が違ったから、自分の中の壁が下がって、仲良くなれたということですね?

そうです。Yes!

Peace Culture Villageの活動に参加する外国人と日本人の違い

PCVの活動への参加などの点で、外国人と日本人の違いとかありますか?

あると思います!みんなが同じというわけではないけど、私が気付いたのは、アメリカ人とプログラムを行うときには、被爆の実相をたくさん話すということです。なぜなら、知らないから。あとは、質問タイムやブレイクアウトセッションのときに時間がとても必要。みんなが話したいし、みんなが質問をしたいと思っている。逆に、日本人とプログラムを行うときは、日本人は被爆の実相を見聞きしたことがある人が多い。でも、平和文化をどうやって私たちは自分の生活の中で創るのか、視点の違いの大切さなどといった、平和文化の理念を大事にしている。他には、時々日本の学生でアウトプットを引き出すのが難しいときがある…。だから、私たちは色々な戦略を使います。「質問のタイムの前に質問を2つ作ってください。」、「チャットで質問してください。」、「まずは小さいグループで話して、後でグループで答えを出してください。」など。そういった違いはあるかなと思います。

ありがとうございます。

色々な人がいると思うけど、アメリカ人と日本人では結構違いがあるんですね!

そうそう。アメリカ人はもっと聞かないといけない、日本人はもっと表現しないといけない、みたいな。良し悪しではなく、バランスをとることが大事だね。

聞かないと分からないですよね。

そうそう。アメリカ人の癖で、相手が話しているときに、自分は話したいことをずっと考えていて、あまり聞いていないことが多いから、それは練習しないと。

今を生きる私たちが大切にすべきこと

大学生と一緒に平和活動をしていきたいということでしたが、現状として被爆者の方がご高齢になられて直接語ることができる方が少なくなっている中で、直接戦争や原爆を経験していない私たちが取り組んでいくべきことは何ですか?

良い質問です。
私たちはやるべき。個人的な信条ですが、私はみんなが生まれる理由があると信じています。それは、自分の生きがいや好きなこと、得意なこと、世界に貢献できることなど。人生はこれらを探すプロセスだと思う。「私はこれをすると輝く。」「これをしていると貢献していると感じる。」「この人のこの言葉がすごく響いた。」私はそのような経験をどんどんして、ここまで引っ張られました。だから、生きがいや夢などがあれば、みんながそれを叶えていけば平和になる気がする。
被爆者の田中さんは悲惨な経験をした後、何をしたと思いますか?クラスメイトや家族が亡くなり、放射線の影響もありました。そのような中で、田中さんは冒険をしたんです。彼女はやりたいことを全部しました。ピースボートを4周して、ベトナムに行ってベトナム戦争を経験して、台湾でモデルを経験して…。本当にすごい人ですよ。生き生きしている。被爆者と聞くと悲しいイメージがあるけど、田中さんは証言をするときにも少し笑顔で。私たちが笑顔で過ごせる生活を追及して、平和と愛を広めることを頑張れたら、壮大な何かが起こる気がする。

1人1人やりたいことは違うけど、みんながそれらをできるような世界が実現できたら、メアリーさんの思う平和につながるということですかね。

きれいなまとめ!(笑)
もちろん、世界で起こっている問題は永遠にあるけど、それと同じくらいのポジティブなきっかけがあれば絶望にはならないと思います。

戦争などの被害を受けた側の事実だけを見ると、どうしても悲しいイメージとかがあるけど、同時にみんなが明るい何かも持っていて、それをみんなが探していけたら平和になるのかな。みんなが同じような想いをもって、自分のしたいことを見つけられるような世界を目指したい!

そうそう。田中さんは、「みんながやりたいことをできるような世界は平和な世界である」とおっしゃっていたので。

田中さんがおっしゃっていたことがメアリーさんの想いにもつながっているんですね。

はい!大先輩!

ここまで、平和の想いなど、たくさんのお話を聞いてきました。現在の社会を見て、私たちが今だからこそできることなど、色々な可能性を探していけたら良いなと思いました。本日はお話いただき、ありがとうございました!

ありがとうございました!

ありがとうございました!

ありがとうございました!

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