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ワカモノインタビュー 
#01 中村園実さん

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インタビュー対象者
中村 園実
(Action! for Peace/早稲田大学法学部)

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インタビュアー
大平 鈴音
(Peace Now! Hiroshima2020実行委員/島根大学法文学部)

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インタビュアー
梅田 叶夢
(Peace Now! Hiroshima2020実行委員/岡山大学文学部)

自己紹介

岡山大学2年の梅田です。広島県三原市出身です。よろしくお願いします。

島根大学3年の大平です。広島県広島市出身です。よろしくお願いします。

早稲田大学4年の中村園実です。広島市出身です。よろしくお願いいたします。

今はどんな活動をされていますか?

大学に入ってから行った大きな活動の1つは、クラウドファンディングで「被爆ピアノコンサート」を行ったことです。過去2回やりました。
あとは、東京から来た学生を相手に平和学習ツアーをやっていました。被爆者講話聴講や平和記念資料館を一緒に見て回るツアーを行いました。講演も呼んでいただければ講師として行っています。

平和活動をはじめたきっかけ ~最初は友だちの誘いから~

まずは、中村さんが、平和活動を始めたきっかけを教えてください。

はじめたのは中学1年生の時です。中学1年生から高校3年生まで(広島市主催の)「中・高校生ピースクラブ」(以下、「ピースクラブ」と表記)に入っていました。それは、自分から入ったわけではなくて(今も一緒に活動をしている)幼馴染が入るということで半ば強制的に一緒にやろうと申し込まれたんです(笑)。そこで活動する中で、いかに自分がそういう問題に疎かったか思い知らされました。それ以来、10年くらい平和活動を継続しています。

その「ピースクラブ」の活動の中で印象に残っていることはありますか?

いろいろありますが、今の私と大きく関わっていることだと被爆ピアノとの出会いです。「被爆ピアノコンサート」をやっていますが、そのコンサートで使っている被爆ピアノに出会ったのが中学2年生のころなんです。あのピアノの持ち主だった人は19歳で被爆して亡くなった少女なんですが、自分は習い事や部活でも音楽に関わる機会が多く、同じ音楽好きの同世代の子が亡くなったことには衝撃を受けました。だからそのピアノとの出会いは大きな出会いの一つですね。

平和活動への想い ~「怖い」で終わらないように~

先ほど、講演をされているとの話もありましたが、その時に意識していることはありますか?

聞き手がどういう人かを意識しています。8月8日に日本生協連の「子ども平和会議」で行ったときは小学生が主な対象ということでかみ砕いて説明するようにしました大人を相手にするときも「怖い」が先行しないようにしています。怖いが先に立っちゃうと、その先を考えることができなくなってしまうので。
悲惨さを理解したうえでどう伝えていくかを考えてもらうべきだと思っているので、悲惨さだけではなくて、考えるきっかけを与えられるようにすることを心掛けています。

クラウドファンディングで「被爆ピアノコンサート」をされているということですが、こちらの活動は何か意識されていることはありますか?

弾き手にこだわっています。広島の学生に対象を絞って弾いてもらっています。彼らにも被爆ピアノを弾くという経験を、平和について考える機会の1つにしてほしいと思っているからです。また、聞いている人に伝えることができる機会にもなると思っています。

こういう活動を通してどういうことを伝えたいと思っていますか?

やっていて思うのは、原爆には興味がなくても、純粋に音楽が好きで来てくれる人がたくさんいます。そういう人たちは「被爆したとは思えないくらい優しい音色だね」といった感想をくださいます。今は優しい音色を出すピアノも、壮絶な経験をしてきたということは知ってほしいです。また、被爆ピアノのもとの持ち主は19歳という若さで急性放射能障害が原因で亡くなったんですが、その子やその子と同じ年代の人が多くなくなったという現実は知ってほしいな、と思っています。

いきなり被爆の話ではなく、音楽が入口で考えられるようになることもあるんですね。平和学習というとどうしても被害や悲惨さから入ってしまうので、いろいろな切り口があるのは大事なことですね。

あと、そのコンサートをクラウドファンディングでやりたいと思ったのは、日常に入り込みたいと思ったことが背景にあります。クラウドファンディングはやっぱり広報が大事なんですよね。全然知らない人にお金を出していただくわけだからアピールをしないといけないし、いろんな人の目に触れて拡散していってもらわないといけないんです。今までの活動の中で大事にしていたのは、多くの人の目に触れてもらうこと。自分のアプローチによって、1人でも2人でも考えるきっかけにしてくれた人がいると嬉しいですね。

みんな忙しい生活をしているからなかなか考えるようになりにくいですが、そういった広報をきっかけに忙しい中でも生活をより良くしていけるか、って言うことを考える機会をつくることは大事だと思いました。
ちなみに余談ですが、広島市出身とのことなので、何か印象的な被爆建物があれば教えて惜しいです。

あえて挙げるなら「レストハウス」ですかね。建て替えられる前までは地下室にヘルメットをして入れたんです。野村英三さんという方がいて、野村さんは原爆が落とされたときあそこにいらっしゃったんですが、爆心地のすぐ近くなのに生き残ったそうです。私はその話が幼心に衝撃的でした。

ぼくもレストハウスは建て替えられたあとにも行ったんですが、その直前に勉強したときにそのエピソードを知ってびっくりしました。

偶然ってすごいですよね。ちなみに新しいレストハウスの2階に被爆ピアノが展示されていますが、あれが私たちがコンサートで使わせていただいているピアノです(笑)。

へー!そうなんですね!(笑)。

あなたにとって平和とは ~広島市出身だから感じるギャップ~

少し話は変わりますが… 平和に対してどういったイメージを抱いておられますか?

難しいですね(笑)。私は被爆3世なんですが、広島で過ごしているとそういう人は周りにたくさんいるじゃないですか、おばあちゃんが被爆者とか親戚が被爆して亡くなったとか。広島で生活をしていると原爆や平和について考える経験は当たり前で身近なことだと思うんですよね。でも、今東京の大学に来て思うのは他県の人にとっては歴史の一幕でしかないという印象なんです。それは広島出身の私たちとの大きな差だと思います。身近な経験から平和について考える機会がある中で身近な平和を大切にしていこう、みたいな、広島出身だからこそ伝えられることもあるなとは思っています。

自分たちも広島県で育ったから似たようなことを感じるときがあります。身近じゃない人たちに伝えていくのって難しくないですか?

ほとんどの人が無関心ですよね。それは私たちが壇ノ浦の戦いとかに関心がないのと同じで身近なことじゃないからしょうがないとは思います。だからいきなり原爆や核兵器について聴くのは無謀ですよね。そこで自分にできることは、自分が学んできた原爆の恐ろしさを伝えて考えるきっかけを作ることだと思います。いきなり講義チックなかたい情報ではなくて、文化的な要素──自分だったら音楽みたいなものから考えるのは一つの方法だと思います。

たしかに無関心はそうですよね。ぼくは岡山県内の大学に通っていて広島県出身ではない人と話す機会はたくさんあります。例えば8月6日には折り鶴折って平和記念公園に奉納したり、毎年平和学習をしたりというのは広島出身の自分にとっては当たり前だったけど、他県の人にとってはそうではないことを知りました。県外でも興味を持っている人はいますが、どうしても温度差を感じてしまうこともぼく自身あったので、そういう意味では少し遠回りでも切り口を工夫するのは大事な考え方の1つだなぁと思いました。

自分も広島市内から島根の大学に来たんですが、平和について考える機会が格段に減りました。例えば8月6日だけとっても、広島なら全部のチャンネルで式典を中継しているんですが、島根だと終わった後で特徴的な部分だけ切り取って編集したものを流すのが中心という印象で、ギャップを感じますね。
先ほど、歴史の一幕でしかないという話がありましたが、中村さん自身が感じたギャップはどんなものがありますか?

同世代だと、一番顕著なのはSNSですね。8月6日になると、広島関連のことを発信するのは広島出身の人しかいないですね。例えば、広島県出身の人のツイートには「8月6日だから早く起きなきゃ」というのが当たり前にありますが、県外の人のツイートを見ると普通の日常が流れている印象です。こうも違うのか、とは思いました。

8月6日は自分たちにとっては特別な日というのが当たり前だけど県外の人と話すとそうでもないな、と思いますよね。小学生の頃はそういう話を先生から聞くというのが当たり前の環境で育ったということもあるのかもしれないですけど。

一歩踏み出したい人へ~広島人としてできること~ 

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