未来と向き合い平和について考える -大学生協の平和活動特設サイト-

ワカモノインタビュー 
#01 中村園実さん

一歩踏み出したい人へ ~広島人としてできること~

では、小さいころから平和学習をしてこなかった人、考えてこなかった人が、いざなにか始めようというときに、どういうサポ―トができると思いますか?

難しい問題ですよね。私の中でも活動をする上での課題の1つです。前提知識がない人がどうすれば動けるのか。考えたい人のみんながみんないきなり大々的に平和の活動をするのは難しいと思います。だけど、一歩一歩できることをするために、私たちがそういう場を提供してそこに参加してもらうことは最初の一歩としてできると思います。例えば、被爆ピアノに関する動画を作ったんですが、それを見て「考えるきっかけになった」と言ってくれる友達は多かったんですよね。つまり、平和学習をしてきた私たちができることは学びのツールや考えるきっかけを与えることだということです。いきなり「核兵器をなくそう!」「核兵器をなくす活動をしよう!」ではなくて、広島や長崎で起こったことを知り、原爆は恐ろしいということを知り、そのうえで「核兵器をなくさないといけないよね」という話になっていくべきだと思っています。考えるためには学ぶことが大事だと思うので、私たちにできることは、学んできたことを広げること、学ぶ機会をつくることなのかな、と思います。

確かに、「核兵器をなくそう!」みたいにいきなり踏み込み過ぎると拒否反応を示す人もいますよね。そのメッセージの前提を伝えられるのがぼくたちなのかもしれません。

ワカモノである私たちにできること ~学んだことを伝える人に~

今年は戦後75年という節目の年ですが、私たち若者世代にできることにはどんなことがあると思いますか?

戦後75年って、被爆者の人にとっては「75年も経ったのか」という感じでメモリアルイヤーでもなんでもないと思うんですよね。だけど私たち経験していない人からすると、特別なものに感じる部分があります。「戦後75年」という言葉から興味を持つ人も多少いると思うんです。75年って冷静に考えると0歳だった人が75歳になるていう、すごい年月の経ち方じゃないですか。戦争体験者も高齢になっていますが、私たち若者世代はその現状をきちんと受け止めて、その体験をどのように伝えていけるか。必然的な時代の流れの中で私たちが引き継いで伝えていく意識を持つことは大事なことだと思います。

逆に、自分たちの後の世代、下の世代に伝えたいことや残したいことはありますか?

さっきの話とつながるんですけど、私たちの下の世代はいよいよ被爆者講話は聴けなくなってきます。そうなったときに、彼らがどう学んでいくのかは私たちの世代の課題の1つだと思っています。私たちのように被爆者から直接話を聴いてきた世代が聴けない世代に経験を受け継がないと下の世代は知る由もないので、私たちが体験や恐ろしさをきちんと伝えていく必要があると思います。

ぼくたちより上の世代は戦争体験者もいれば、直接体験を聴くことが簡単にできた世代ですよね。自分たちは孫の世代で第3世代と呼ばれたりもしますが、次の第4世代になると本当に難しくなります。ぼくたちが自分の言葉で話せるようになりたいな、とは強く思います。

学んだことを伝えるという話が多かったですが、まず学ぶときになにか意識されていることはありますか?

先ほど「怖い」が先行しないようにしているという話をしましたが、私自身が、小学生の時に平和記念資料館に行ってから5年くらい怖くて資料館を直視できなくなってしまったんですよね。「ピースクラブ」で活動を始めてからも、活動期間の半分くらいは資料館の見学はできなかったんです。その後、見られるようになったのは中学3年生のころ。被爆者の話を聞く中で、資料館の中にあるものは現実に起こったことで、それと向き合わない限りは伝えていく活動はできないと思うようになってからですね。「怖い」という経験をもっているからこそ、「怖い」だけにとどまらず伝えていけるかを考えるようになったし、そのために学ぼうと思っています。

ぼくは、資料館が改装されてから久しぶりに行ったんですが、未だに「怖い」とか衝撃は強いです。だけど一方で、受ける衝撃が毎回違うんですよね。小さい頃は、真っ黒になったお弁当箱を見て「怖い」という衝撃を受けたんですが、先日行ったときは、手紙などに書かれている文字を読んで、「怖い」とはまた違った衝撃を受けましたね。生々しさを感じました。

すごくわかります。広島市内だと平和学習の機会がたくさんあるのでたくさんの人が傷ついて、たくさんの人が亡くなったことは知っているんですよ。だけどその本質は全然理解していなかったなぁというのは、「ピースクラブ」に入って気づいたことなんです。手紙や日記、被爆者の体験に触れて、亡くなった方や傷ついた人たちは私たちと変わらない人間だったんだ、私たちと変わらない人たちがなくなったんだ、ということを強く感じたので、生々しいという表現はすごくわかります。その言葉が「生きていたんだ」という証だから。それが一瞬にして奪われる、数字だけでは分からない恐ろしさを学んだのが「ピースクラブ」です。

衝撃をみんなに感じてほしいは少し語弊があるが、この衝撃はみんなと共有したいと思います。

あとは、大学生はいろんなことに興味を持てる時期なのかもしれないと思っています。私の大学のゼミのメンバーを見ただけでも興味の対象は多種多様です。だけど、自分の興味に貪欲な人は他人の興味の対象にも真剣に向き合ってくれます。大学生という立場を生かすなら、そういう仲間に伝えてみるのも大事な一歩だと思います。

平和ってどんな活動をするにも根底にもありますよね。平和じゃないとできないことがたくさんある。

私は、大学生の強みはアカデミックに平和を考えることだと思っています。例えば自分だと法律の観点から──例えば式典中のデモ規制は憲法違反になるかとか、表現の自由に関わるのかとか。学問的にアカデミックに考えられる大学生の強みじゃないかな。

得意なことを生かせるのも私たちならではですよね。仕事じゃないから、得意なことを生かしながら頑張れるのは大学生の活動の特徴ですよね。私だと音楽。伝える側は得意なこと、受け取り手は興味のあることにアンテナを張っていくといいと思います。

活動している中で悩んだこと

活動をたくさんされていて、困ったこととか悩んだことはどんなことですか?

いっぱいありますが、一番は無関心の人にどうやって伝えればいいのか、ということですかね。コンサートをしてはいますが、音楽に興味がある人が来てくれるか来てくれないかの瀬戸際のイベントだと思います。興味がない人にどのように自分の学びを伝えていくのかは、困っているわけではないけど、一番悩ましいところですね。
もう一つは、大学に入学するときに広島から東京に出てきたときに、自分が何をすればいいか分からなくなったのは困った経験としてあります。広島にいると市や平和記念資料館が提供してくれるいろんな活動母体があるのでそこに参加することでアウトプットできるが、東京ではそれができないんですよね。それは困りました。

そこからどうやって活動をしていくようになったんですか?

それでも伝えないといけないという想いはありました。6年間の「ピースクラブ」での経験もあったので。そこでまずはいろんな人に話を聞こうと思って、大学1年生のころに長崎で行われた「平和首長会議」というのに参加しました。そこで平和活動をされている方々の話を聞きました。被爆証言を英訳している人や、全国各地で様々な平和活動をされている方などいろんな方がいて、そういう様々な人の話を聞く中で、クラウドファンディングで「被爆ピアノコンサート」をしようと心に決めました。

自分から知りに行こうとする姿勢は尊敬します。

私自身が自分で考えていろいろできているのは、自分一人の力ではなくて、そういういろんな人に支えられながらできていると思いますね。

一人でできることは限られているからこそ、違う観点からの意見に触れながら活動されている姿勢は参考になります。

大学生へのメッセージ

最後に大学生にメッセージをいただきたいです

大それたことは言えないですが、広島はほかの都市に比べて傷が大きな地域です。若い世代である私たちがその経験をどのように伝えていくかによって未来は決まってくると思います。その使命感と責任感を持って学んでいきたいし、学んでいってもらえればと思います。

(記録:四方遼祐/全国学生委員)

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