
朝日山里学校前にある二宮金次郎像
江戸時代後期の経世家、農政家、思想家。
都内は晴天のなか、大型バスに乗り込む学生たち。コロナやインフルエンザ陽性の学生数名が欠席者したものの、25名で出発しました。半年間「食と農の再考」の授業で学び、少なくともフードロス問題や農業経済・農業振興などにも興味があり受講していた学生達は、意気揚々と一路 茨城県石岡市へと向かいました。
まずは朝日里山学校に到着。こちらでは旧八郷町における有機農業運動と生協運動の連携の歴史について、NPO法人「アグリやさと」 柴山 進代表よりお話を聴き、農産物流通の新しい展開について多くのお話を伺うことができました。八郷町は、茨城県のほぼ中央に位置し筑波山を囲む盆地です。町の農業は河川沿いの水田、畑や樹園地と制限された地形的条件で経営が営まれているため大規模な産地は形成されていないものの豊かな自然を活かし水稲・タバコ・花卉・果樹・酪農・養豚・養鶏・野菜・シイタケなど、古くから少量多品目の複合経営がなされていました。環境保全型農業の構築は、畜産農家と耕種農家の連携による畜産有機物のリサイクル、少量多品目と輸作による減農薬の取り組み、都会と農村との共生からの育みでした。そういった中、生活協同組合との産直による消費者とのコミュニケーションも盛んになってきたとのこと。当時の東都生協理事長の認識は「将来を考えて個人ではなく地域的な広がりを持った努力、村の復興ということがあってはじめて産直は、長期的な軌道にのる。村の復興を通じて人間そのものを回復していってこそ、『地域総合産直』である」というものでした。
1976年東都生協でタマゴの産直からスタート、それから約10年後には野菜生産がはじまったそうです。生協からの働きかけで八郷町が産地として産直を形にしてきたとのこと、生活協同組合と八郷町の協議や活動に感謝しか浮かびませんでした。朝日山里学校で昼食をとったあと、独立自営の農家を目指し、会社員を辞めNPO法人「あしたを拓く有機農業塾」で農業研修をされたのち移住された、山田晃太郎・麻衣子ご夫妻を訪ねるため学校を後にしました。

やまだ農園 山田晃太郎さん
2017年旧八郷町恋瀬地区の筑波山地北端の里山集落へ移住、たくさんの生き物と共に生きる農業を目指して雑草や緑肥など植物の力を生かした土作りに取り組まれていました。田んぼ80ヘクタール、畑2ヘクタール、山林70アールを借りられ「旬の野菜セット」を100軒ほどに宅配発送されているそうです。また、やまだ農園の拠点は「茅葺きの家」で、こちらで山田晃太郎さんや中島紀一先生(茨城大学名誉教授)のお話を伺いました。茅葺き屋根は、ススキや竹、稲わら、麦わら、杉皮など、身近な自然素材で作ったものです。数千年前から自然に寄り添いながら生き続けてきた地域の人々の暮らしが息づくシンボルとなっていました。2021年2月にNPO法人「八郷・かや屋根みんなの広場」を立ち上げ、身近な自然素材を集めながら茅葺き屋根を守っていくことや、昔の暮らしの体験を通じて、みんなで「懐かしい未来」を生み出していきたいとの想いをとても強く感じました。

大雨の中、「大場観光ぶどう園」の
大場さんがバスまでお越しになり、
簡単なご説明をうけました。
◆この後は、大場農園にお邪魔して今年初狩りのぶどうを収穫させていただく予定でしたが、ゲリラ豪雨のため止む無く中止となりました。
参加された法学部4年の学生は、「直ぐにとはいかないが、いずれサラリーマン生活のあとに、自然に帰り土いじりをすることに憧れを持っていたのでこの授業を履修したが、このエクスカーションを通して、よりその気持ちが強くなりました!」との感想を仰っていました。自然とともに歩む人類にとって、この授業を通してとっても貴重な経験であったと思いました。
穂の大きさや品種によってばらつきはあるが、一つの稲穂には約100粒から200粒の米が実る(一粒万米)といわれていると中島先生が解説くださいました。