
2025年3月4日に開催された第2回東大生協主催トークイベントでは、スピーカーとして苅谷剛彦先生が登壇されました。当日は、50名を超える参加者が会場およびオンラインで参加し、活発な議論が行われました。
参加者アンケートからも、多くの参加者にとって有意義で示唆に富んだ有意義な企画であったことが読み取れます。日本の高等教育の質や大学のあり方を再考する重要なイベントでした。
企画の紹介
苅谷剛彦先生の講演は、日本の大学の未来を語るための大前提として、現在が過去のどのような選択の結果で出来上がっているのか、いくつもの分岐点で日本という国がどのような選択をしてきたのかを理解できなければ適切な選択ができないという認識のもと、近代以来の大学制度の成り立ちを、欧米との比較を踏まえて分析することから始まった。
講演では、以下のような重要な指摘がなされた。
まず、日本の大学制度は後発近代国家としての性格を色濃く残しているが、私たち自身はそれを十分に意識できていないことが指摘された。日本の大学の成り立ちはキャッチアップ型であり、かつ外国語の文献を輸入し翻訳することにより「日本語で高等教育を受けられる」という他の非西欧圏では早期に実現しなかった特性をもっていた。典型的なスタイルは欧米の知識を教授が大教室で講義するというものであり、知識伝達に特化した教授法だった。これは大学という閉鎖的な言語空間を基盤としたものであり、学問が自然に外に開かれる形にはなっていなかった。
日本の高等教育政策は、教育機会の平等化を考えた経験がなく、そもそも日本社会が階級社会として捉えられていないことがある、という指摘もされた。諸外国との比較においても、高い学費、低い支援という日本の現状はなかなか変わらないことの一因でもあるという。
苅谷先生の講演に続いて会場およびオンラインでの参加者からの活発な質疑応答が行われた。降雪による悪天候も予報される中、予定時間を超える熱心な討論がおこなわれ、盛会のうちにトークイベントは終了した。

参加者の声
- イベントでは多くの気づきと学びがあり、心より感謝申し上げます。中国出身の私にとって日本の生協の歴史には馴染みが薄かったのですが、昨日のイベントはそれへの関心を深める貴重な機会となりました。権力や資本の論理に従属しない、何らかの形の緩やかな連帯や、出会いの場としてのコミュニティに魅力を感じております。そういう意味で、国家と市場の「中間」に位置する生協の在り方に、新たな可能性があるのではないかと思うようになりました。(汪 牧耘(おう まきうん, WANG Muyun)様)
- 「現在が過去のどのような選択の結果で出来上がっているのか、幾つもの分岐点で日本という国がどのような選択をして来たのかを理解できなければ適切な選択をすることはできない」「官僚も一人一人は良い人だしよくわかっているが、組織の意思決定になるとそれが反映された選択にならない。だからイナーシャがどうやって出来上がっているのかを理解しなければならない」というお話がとても印象に残りました。
また、「大学の国際化」という言葉の作為性に違和感があったのですが、日本の大学の成り立ち(キャッチアップ型であり「日本語で高等教育を受けられる」という特性)がそもそも閉鎖的な言語空間を基盤としたものであり、学問が自然に外に開かれる形にはなっていない、ということかと腑に落ちました。
多様な学生がいても「コミュニティが無い」というご指摘も考えさせられました。(東大教職員)
- 日本の高等教育政策は、教育機会の平等化を考えた経験がないこと、その前提として日本社会が階級社会として捉えられていないこと、という指摘に共感。(他大学からの参加者)
- 東大生が抱くエリート意識と、その「エリート」という概念自体の曖昧さについての考察に深く共感しました。また、日本の曖昧さに基づくアプローチとは対照的に、「明確な理想に基づく明確な失敗事例」として語られた「カリフォルニアプラン」から得られる教訓に心惹かれました。そして、「抜本的な変革」や「本質的な問題」といった言葉を好んで用いる話者と、その実際の行動との間にある隔たりにも興味をそそられます。(東大教職員)
- 終了間際で面白かったのは、昨今は論文ばかり読ませる風潮もあるが Oxford では本を読ませているのかという話題でした。苅谷先生から、学生に目を通しておくべき資料を提示する際、論文の場合はこちらで筋書きを用意する必要があるが、単行書であれば各章をかいつまんで読ませるにしても著作全体というものがあるので (踏まえるべき文脈の) 或る程度は単行書に委ねることができるというお話があり、玄田先生から音楽を streaming で曲単位で聞くのと LP でアルバム単位で聴く違いだね、とのご指摘があったのは、細分化された情報が飛び交うネット環境の時代に、大学が提供できる価値とは何かを想起させるやりとりでした。(東大教職員)
- 私は春から4年生でこれから学問を深める立場にあり、初めて知ることが多く、刺激的なイベントでした。基礎的なことでお恥ずかしいのですが、階級と階層は全く異なる概念であるということを初めて知りました。また、講演の後の「抜本的」「本質的」という言葉を使う人には気を付けろという旨の話が印象に残りました。(他大学の学生)
- 今回、「大学の現在と未来」を拝聴し、戦前の日本の大学機構のあり方について印象に残りました。私自身は私立大学出身でしたが、戦前の大学機構として、国公立・私立大学それぞれの役割、日本と他国を比較した際の大学機構や学費について、過去から見た大学のあり方について考えつつ、これからの大学がどうあるべきかを考える機会になりました。また、私は大学生協の人間であるため、最後に苅谷先生と玄田理事長がお話していた「コミュニティを形成する」という点においては、まさに大学生協の使命そのものだと改めて感じました。組合員のよりよい大学生活を実現する中には、学園生活でのコミュニティ形成は欠かせないものであると思います。それを大学生協が旗を振り、今後も活性化できると学内コミュニティ活性化につながると考えました。(瀬川大輔さん・北星学園大学既卒2年目、全国大学生協連学生委員会所属)
取材を終えて
今回のトークイベントを通じて、日本の大学の発展の歴史と現在の課題について学び、「大学の学び」についてじっくり考える機会になりました。高等教育の「大衆化」は進んだものの、経済格差やジェンダー格差といった問題は依然として残っており、誰もが平等に学べる環境とは言えないのが現状です。
また、大学における「多様性」についても、大きな課題があると感じました。大学には多くの留学生がいるはずなのに、日本人学生との交流の機会が限られており、その多様性が十分に生かされていないのはもったいないと感じます。
大学が単なる学びの場ではなく、人と人との「つながり」を生み出す場として機能するために、大学生協が果たせる役割は大きいと思います。生協は食堂や購買だけでなく、学生同士が出会い、「対話」を生み出すきっかけをつくることもできるはずです。
大学のあり方が変わろうとしている今、生協もまた、その変化の中でどのような役割を果たせるのかを模索していく必要があります。私たち自身も「大学とは何か」を考え続け、より良い大学コミュニティをつくるために行動していきたいと思います。
全国大学生活協同組合連合会 業務執行理事 全国学生委員会 学生委員長・広報担当
岐阜大学既卒2年目 髙須 啓太
《特別TOPICS》東大生協主催のTALK EVENT「これからの大学と生協のあり方について考えよう」