阿部 清人さんインタビュー「東日本大震災の教訓を風化させない「伝える」ことが私のライフワーク」

阿部清人さんは、防災意識を高める「防災エンスショー」を全国各地で行い、分かりやすい言葉とユーモアで防災を楽しく学べる場を提供しています。毎年のように災害に見舞われ、また東日本大震災から来年で10年を数えようとする今、社会の一員である大学生がどのような意識で「防災」に取り組むべきか、阿部さんのお考えをお聞きしました。

インタビュイー

阿部 清人さん(株式会社MCラボ代表)
プロフィール

聞き手

  • 矢間 裕大 やざま ゆうだい
    (全国大学生協連 学生委員長)
  • 菅野 瑞貴 かんの みずき
    (全国大学生協連 学生委員)

命を守るためにはイメージし、生き抜き、分かち合うこと

阿部さんはサイエンスショーで幅広い世代に様々なことを発信されています。今日は防災というテーマと、防災から派生して社会の中で生きる一員として、いろいろとお話を伺いたいと思います。

各大学生協でも防災意識を高め、災害に備えられる大学生を育てる様々な取り組みが行われています。来年10年目を迎える東日本大震災の教訓をもとに、大学生を含む若者がどのような意識で防災を心がければいいのか教えてください。

第一段階は命を守るということを考えてもらいたいですね。そのためのキーワードは「イメージすること」です。
東日本大震災の被害を思い浮かべてください。私の出身地である石巻市は町の半分が津波の被害を受けました。家ごと流されて亡くなった人、一階が浸水して二階での生活を余儀なくされた人もいます。また、ほかのところでは、避難先で津波に遭い、亡くなった人もいます。川や海の近くに住んでいなくても、皆さんの場合は旅先や研修先、社会人は仕事先で被災することも十分に考えられます。
この間台風による水害も多く、昨年も台風19号の被害が甚大でした。命を守るためには、今自分がいる場所がどういう場所なのかを知らなくてはなりません。津波警報、大雨警報が発令されたらその場所がどうなるのか。それをイメージし、そのイメージから身を守るためにはどのような行動をとればいいのかを、知識として知っておくことが必要です。
皆さんは自分が標高何メートルのところに住んでいるかご存知ですか。結構小高い50m、100mかもしれないし、もしかしたら0mかもしれない。これは国土地理院のホームページで調べることができます。
また、過去に起きた自然災害を知っていますか。多摩川沿いでは、昔多摩川が決壊して被害を受けたこともあったのですが、なかなかなその事実は語り継がれていません。
それでは、どこに避難すればいいのか。必ずしも避難所ではありません。水害の場合には高いところに避難する。命を守るためにはそういう知識が絶対に必要で、そのためにはイメージできることが大事です。

第二段階は「生きていくこと」。被害が大きいほど情報が得られにくくなるので、情報を得る手段を持つことです。スマートフォンは便利でいろいろなことができますが、基地局が被災するとすぐに使えなくなります。通話も輻輳(ふくそう)といって、利用者が多数集中すると電話局のほうで規制をかけるわけです。
例えば高速道路でいうと三車線あるうちの二車線を通行止めにして一車線だけにします。その一車線は緊急車両が通る所。電話の中の緊急電話というのは警察110番、消防119番。あと海上保安庁の118番。公共機関や放送局などにある優先電話もです。
メールも、震災時は朝に送信したメールが同じ市内の人に届いたのは夕方だったりしました。ですので、緊急時にはラジオが有効です。旅行の際には小さいラジオを携帯することが有効です。

ここからまたイメージしてください。新幹線車両は大きい地震が起きると自動的に停止します。停電すると、冷房や暖房も止まります。新幹線車両は車内放送で停電などの情報を随時伝えてくれますが、私たちは不安になります。電話が通じない、ネットでニュースを見ようにも電波が入ってこない。そのような時にラジオが役立ちます。もちろん、バッテリーが落ちたら使えないので、電池や予備バッテリーを常備することも大切です。

それから、生きるためには食べなければならないので、食料の備蓄。震災前は3日間と言われましたが、今はできれば1週間。私の石巻の親戚は1週間どころか1カ月近く食べる物が手に入らなかったといいます。食料を分けてもらおうと避難所に行ったら、飴玉三つしかもらえなかったという話もあります。ですので、食料は自分で1週間分用意する。
学生の中には生活がギリギリで、常に非常食が食事という人がいるかもしれませんが、それも防災訓練なのですね。電気・ガス・水道が1週間使えなくなったらどうやって生活していくかをイメージする。例えば袋麺、カップ麺は、お湯が沸かせなくても水で30分ふやかせば食べられます。そんなことも訓練として試しておくといいでしょう。

最後に第三段階として分かち合うこと。自分が生き延びることも大事ですが、周りで困っている人がいれば、自分の分を分けてあげる。
防災には、公助・自助・共助の三つの要素があります。公助は公の段階で自衛隊・警察・消防などお役所がやること。自助は食料や水を備蓄するなど自分自身でやること。それから共助、共に助けること。
東日本大震災の夜、私は勤めていたラジオ局が被災して放送ができなくなりました。私はこういう時のためにラジオの仕事をしてきたので、非常にじくじたる思いがあり、何かできることはないかと交流のあったNHKの仙台放送局に向かいました。そこで防災士として出演し、「今夜は、みんなで助け合いましょう、共助の夜です」ということを呼びかけたわけです。隣近所友人同士でも助け合うということを、日頃から意識しておくことも必要だと思います。

私は北海道出身で、 胆振 いぶり 東部地震があった時は学生でした。停電でスマホの充電ができないのを初めて経験しましたが、ちょうどバイト先の社員や友達と一緒になんとか乗り越えたという記憶があります。やはり緊急時は一人では生活できません。そういった関係づくりも大切だと実感しました。

災害時、大学生に期待される役割とは

街やコミュニティの中で大学生を中心とする若者に期待される役割や、そのために必要な日頃からの準備・心掛けを教えてください。

先ほど情報が必要だと言いましたが、大学生の皆さんは全年代層の中でその点では優れた能力を持っています。もちろん停電や基地局が被災したら使えませんが、インターネットやSNSを駆使することが非常に得意なので、正しい情報を得て分かち合う中心でいてほしいと思います。
例えば地震で新幹線が止まった時、なんで止まっているのだろう、震源地はどこだったのか、津波警報が発令されているのか、と車内が不安になった時、ネットで検索して分かれば周りの人に伝えるのことは、身近にできることです。
それから、雨雲の動きを知ることのできるアプリもあります。何時ごろに大雨になるのかを細かく知ることができるものも出ていますよね。だから外出を控えようとか、催事を中止にしようというような呼びかけもできます。

また、一人暮らしの学生は災害弱者になる可能性もあるわけですね。電気・ガス・水道のライフラインの断絶ということがまずは考えられます。そのような時のために食料を少し多めに買っておくと、ローリングストックができます。余分に買ったものを順番に使っていくと、いざそれが手に入らなくなった時に活用することができます。
※ローリングストック…家庭で災害時に備え、普段の食事に利用する缶詰やレトルト食品などを備蓄食料とし、製造日の古いものから使い、使った分は新しく買い足して、常に一定量の備えがある状態にしておくもの。

それから最近の災害では、公の機関よりも民間のボランティア支援団体のほうが速く情報を得られます。できれば学生の皆さんにも災害ボランティア活動を経験してほしいと思います。防災への関心も高まるし、自分の命を守ることを考えるようになります。
災害ボランティアにも様々な種類がありますが、力仕事だけではなく、例えば被災地で子どもの勉強をみてあげたり、一緒に遊んだり話し相手になるというボランティアもあります。高齢者の話し相手のボランティアも非常に貴重です。
学生のうちにこのような体験をしておくと、将来に役立つよい経験になります。私は東北福祉大学で防災士養成講座の講師を務めていますが、福祉系の大学なので、そういうボランティア団体が実に多いのです。高齢者の話し相手になる活動や、防災の啓発活動となる救命救急のサークルができて、地域に出向いて応急手当の講習をしたり子どもたちに教えたりという活動をしている姿があります。

あとは地域の行事に大学生が参加すると、非常に地域の方が喜んでくれますよね。逆に言えば一番参加していない年代層が高校生や大学生です。一人で参加するのに抵抗があるなら、サークルやゼミ単位で参加するという方法もあります。
災害が起きた時に、初対面どうしというところからではなかなかうまくいきません。それが一回でも夏祭りに参加し、その地域の方と顔の見える関係を築いていれば、いざという時に生かされると思います。

宮城県沖地震の夜の記憶と東日本大震災での後悔の念が原動力に

阿部さんは防災キャスター、防災士として様々な発信に力を入れていらっしゃいます。そのきっかけや原動力を教えてください。

アナウンサーを志した原点は中学2年生の時です。1978年、宮城県沖地震が私にとって生まれて初めての大きな自然災害でした。電気・ガス・水道が止まり、家族でろうそくの火とラジオを囲んで一夜を明かしました。情報を求めてラジオを聞いていたのでアナウンサーの声が有難く、ホッとする気持ちを覚えました。人の声は、人の心を安心させるのだということを体験しました。

そういった経験もあり、アナウンサーになりました。ラジオでも講演でも心がけているのは、今この声を聞いている人たちは何を知りたがっているのかという視点を持つことです。全国様々な所に行かせていただきますが、例えば防災の話をする時に、海沿いに住んでいらっしゃる方と山沿いの方とでは興味関心は違います。都市部の方と地方の方は地域コミュニティの在り方も全く異なります。性別でも年代でも異なるわけですね。
講演の場合にはリアルにその反応を感じます。ラジオの場合はメールなどで反応があれば知ることができますが、講演では皆さんの息遣いを感じながら話を進めるので、一方的に話すだけではなく、皆さんが関心を持っていると感じたことを掘り下げて話すように務めています。

サイエンスショーの活動は来年で20年目になりますね。サイエンスショーでは科学の楽しさを分かりやすい言葉で伝えるように努めています。サイエンスコミュニケーションといいますが、理系の学生が文系の学生に分かりやすく説明するような、そんなイメージです。私の場合はアナウンサーとしての経験と技術を生かしました。ラジオを通じて幅広い年齢のリスナーに理解できるように話します。それから聞いただけでもイメージできるような伝え方をします。例えば、「私が今右手に持っている紙コップはこぶし大くらいの大きさです」という言い方です。

一方で震災の3年前に防災士という民間の資格を取得しました。サイエンスショーの活動と防災士の両方を合わせてできることはないだろうかと考え、サイエンスショーに防災のテーマを取り入れれば防災のサイエンスショー。「サイ」が二つダブっているので「防災エンスショー」というコンテンツを作ったわけです。
けれども、サイエンスショーの依頼を受けた時に「防災のサイエンスショーもやっています」と言うと、「防災はいいので、面白い実験だけお願いします」と言われるのが震災前の状況でした。ところが震災が起き、私のサイエンスショーに参加してくれた地域の子ども達が被災しました。家族を失った子もいます。震災前に私がもっと防災のことを大きな声で伝えていれば、「防災はいいので」と言われても防災のショーをきちんとやっていれば助かった命があったかもしれない。非常に苛まれたわけですね、震災の後で。
それで、決意しました。これからは時間が許す限り、どんなところにも出向いて一件でも多く伝えていこう。いかに引き受けることができるかを重視して、1日のうちに3つの会場で防災エンスショーをやったこともあります。
ですので私の原動力は、アナウンサーを志したきっかけと、サイエンスショーと防災エンスショーの境目のところでもっと震災前にできることをやっておけばよかったという後悔の念があります。

アナウンサーとしてのノウハウとサイエンスショー、防災、中学2年生の頃の経験を組み合わせる発想は本当にすごいと改めて思いました。

アイデアを出す時の研修を以前集中的に受けたことがあります。何かと何かを組み合わせることで新しいものが生み出されるという発想が基本にあります。私はアナウンサーですが、ラジオ局でイベントの企画書をクライアントに提案するということが必要だったのですね。そんな経験も役に立っているのかもしれません。