エド・はるみ 氏 インタビュー

「グー」と親指を立てるポーズで、エド・はるみさんを連想する方は多いのではないでしょうか。
大学卒業後、女優として長い下積みを経て、リズムネタで大ブレイクされた後は、タレントとしての仕事を続けながら慶應義塾大学大学院で修士号を取られ、現在は、筑波大学大学院の博士課程で研究を続けられています。
常に向上心を持ちながら、実際に行動し続ける原動力や、ご自身が強い思いを持って積み重ねられたご経験など、多彩なお話をお聞きしました。

インタビュイー

タレント
エド・はるみ 氏

プロフィール

聞き手

全国大学生協連
全国学生委員会

戸張 桜
(司会/進行)

全国大学生協連
全国学生委員会

寺山 有美

全国大学生協連
全国学生委員会

高須 啓太

(以下、敬称を省略させていただきます)

はじめに

自己紹介とこのインタビューの趣旨

本日はお忙しいところお時間をいただき、ありがとうございます。
全国学生委員会の戸張桜と申します。2023年の春に跡見学園女子大学を卒業して、現在は全国大学生協連でお仕事をしております。本日はよろしくお願いいたします。

同じく全国学生委員会の髙須啓太と申します。この春に岐阜大学を卒業しております。よろしくお願いいたします。

同じく全国学生委員会の寺山有美と申します。高須と同じく今年の春に、青森にある弘前大学を卒業いたしました。本日はよろしくお願いいたします。

私たちは、大学生協の中の組織の一つである学生委員会という立場で、大学生がより充実した学生生活を送れるように友達作りの企画や自転車点検会、環境活動の一環としてリサイクル容器を使ったお弁当販売や食育に注目した取り組みなど、多岐にわたる活動をしています。その中で全国学生委員会は、学生委員会の上級生が集まって各地の学生委員や大学生協の活動の支援をしたり、つながりを作るセミナーを開催しており、さまざまな著名人の方へのインタビューでお話を伺ったりしています。

エドさんは女優としてデビューをされた後に、お笑い芸人としてリズムネタを通じてブレイクされているお姿が印象的で、その後、慶應義塾大学で大学院の修士課程を修了された後、現在は筑波大学の大学院でデザイン学のご研究をされているとお聞きしております。ご自身がその進路を選択された理由や、行動する際に大切にしていること等も、質問の中でお伺いできればと思います。一方で、マナーやキャリアの講師としてもご講演をされていらっしゃるとのことで、大学生が行動することの大切さなども、ご自身のご経験からお話ししていただけたらと思っています。

全国大学生協連が実施している『第59回学生生活実態調査』では、2020年度のコロナ禍に入学した大学生の無念さや、苦難を残したまま大学を去る声というものが実際のアンケートとして集約されています。エドさんのお考えになる自主性やチャレンジ精神を、在校中の学生はもちろんのこと、入学・卒業する大学生に広く届けたいと思っています。多くの学生が、今後主体性を持って物事に取り組めるようなメッセージもお願いしたいと思います。

吉本興業のエド・はるみです。今日はよろしくお願いします。
ところで、私が「グーグー!」とやっていたのは2008年なので16年前なので、すると、皆さん6、7歳くらいですかね。私を知っていますか?

もちろんです!

よかったです(笑)。
私はまず、大学を出てからずっと芝居を20数年やっていました。実は小学生の時から児童劇団に入り芝居がしたかったのですが親には許してもらえず、とにかく大学を出てからという時代でもありました。明治大学に入学してからようやく、大学内の劇研に入り、そこからは4年間ひたすら念願だったお芝居ばかりしていました。

当時は「バブル」といわれる時代でしたが、明治大学は本当に真面目で、質実剛健。普通にみんな堅実な学校生活を送っていて、私はそういう明治大学が大好きでしたし、自分にもすごく合っていたと思います。明治の劇研は、とても熱心なサークルで、授業以外はとにかく芝居に打ち込んでいましたね。

大学卒業後は、渡辺謙さんがいらした劇団『円』の附属養成所に一年通った後、自分で劇場を借りて一人芝居の公演をしながら、舞台・ドラマ・CMなどにも出て女優活動を20数年やりました。いつか絶対にこの仕事で一人前になりたいと信じ続け、辞めたいと思ったことは一度もありませんでした。が、40歳になる頃に初めて、「本当にお芝居でいいのか」と立ち止まりました。

そして、私の原点は何だったのかと考えた時、それは「笑い」だったことに気付き、ならば、笑いといえば「吉本興業」だと。しかしそこから事務所に入る手立てはありません。すると偶然、東京にも吉本の養成所があることを知り、その門を叩いたのです。その時すでに40歳。あまりに無謀な挑戦でした。

しかしこれが本当に人生の分岐点でした。人生、最後の賭けだとすべてを捨てて一心不乱に努力した結果、1年後にはトップで卒業し、そしてようやく皆さんに全国区で覚えていただけるようになりました。その後色々思うところがあり、大学院に行こうと決め、2016年に慶應義塾大学大学院修士課程に入学し修了、そして昨年の2023年に筑波大学大学院の博士後期課程に入学し、現在に至ります。

『第59回学生生活実態調査』自由記入欄より一部抜粋
  • コロナ禍で1年生から2年生は友達が全然出来なかったのが困った。学年が上がると学校にくる日が少なくなるため、学年が上がってから友人を作るのは難しい。
    (文科系・4年・女性・自宅外)
  • 入学と同時にコロナが広まり、約2年間オンラインで授業を受けました。3回生は対面授業が始まりましたが、2年間で奪われた生活を思い返すとやる気が出ず、病んでしまい、4回生を休学するという選択をとりました。
    (文科系・4年・男性・自宅)
  • コロナ時に入学したことで友達を作らず4年まで進んでしまったので、コミュニケーション能力が落ちてしまった気がする。この4年間から、これからの人生はしっかり何かを得ようと思えるようになったので、頑張ります。
    (理工系・4年・男性・自宅外)

『第59回学生生活実態調査』より一部抜粋しております