堀潤さんインタビュー

足元を見てほしい

どんどんテクノロジーも進化する中で、変わらないのは、大衆の無関心さ、当事者意識の欠如。これは普遍的に向かっていかないといけない。ということを考えると、メディアの技術がどう変わろうと、だれかがやればいいんじゃない?じゃなくて、自分がやるという機運を作っていくほうがメディア変革なのかなと感じている。。
たぶん俺が美容師さんだと、美容師のアプローチでそういったことをしている。

双方向は広がってきてるということですね。

双方向はメディア環境では広まってきたが、まだまだ発展途上。ただ、基本に立ち返ると、日常会話をちゃんとしようよと思う。日常の関係が基本。
「発信について教えてください、堀さん」と来てくれる人はたいがい、インターネットの、とか、メディアのと言う。思ってることを言うと怒られると思って言えない、相手のことを思いやれずに、変なことを言って傷つけてしまった。それって日常の生活で常に向き合っていること。SNSの使い方、メディアの発信の仕方じゃなくて、自分の思っていることを誤解なく、伝えるすべを身に着けたい。その延長に、メディア発信がある。2人よりも100人、100人よりも1万人に届けるマス媒体がある。目の前の1人に伝えられない人は100万人に伝えようとすると大けがをすると思う。だから、足元のコミュニケーションを見ようとという話をよくする。
ツッコめる関係ならいいけど、初めましてツッコみずらい関係だと、我慢しちゃう。あっという間に空気ができて、嫌だなと思っても、もう言えない。思い切っていうと、言葉強すぎて、相手を怒らせちゃう。普段の発信は大切。すぐテクノロジーの話にしがちだが、もっと足元を見たほうがいい。

それは確かにそう思う。人に会わなくても伝えられる媒体があるからこそ、日常的にしっかり会話できる、コミュニケーションをとれる人が減ってきている。

日常のリアルな場でコミュニケーションがうまいことは大事。個の時代と言いつつも、社会が高度になってきて、自分の持っているスキルだけでは立ち行かなくなってきているのでチームを作らないといけなくなっている。全部できるスーパーマンはなかなかいない。いろんな得手不得手をもった人が協力することで、良いものが出来上がっていく。そのためにもコミュニケーション力は必要。オンライン上で出会うとしても。この人だから信頼できるってのがないと。コミュニケーション力がないと、我慢してたんたんと生かされるだけを選択することになる。

なかなか発信することが怖い、できない、反発されるのが怖いとかありつつも、コミュニケーションをとったほうが可能性が広がるイメージがある。

ただ、怖い、やっぱり。自分の思っていることを使えるのは、怖い。恋愛の告白とか、怖い。社会問題的にはライトだけど。パワハラの渦中で言えるか、他に行く場所がない中で、言えない。虐待を受けているが、本当のことを言うともっとひどいことが起こるのではないか。言えない気持ちはよくわかる。言えよというのも、酷。
そこで、良く提案しているのが、自分が言うのは怖くても、世界のどこかに同じことを言ってる人はいるかもしれない。しかもその人は案の定、叩かれてたりする。その人を支える。
大変だと思うけど同じ思いだから、いいね押すとか。支えることで社会は変わるかもしれない。
きっと世の中には我慢しきれず、声をあげる人はいる。でもたたかれる。それを放置しておくのか。言っても支えてくれるんだという実感が広がれば、言いやすい。その空気を作ることが必要なのかもしれない。時間はかかるし、成果は見えにくいけど。頑張れない人に無理やり言わせるのはしんどい。
アドバイスとしては、同じような思いを言っている人を支えてあげてくださいと言ってる。
多分成熟した民主主義との違いはそこ。アメリカでは民主主義の国として、底力があるなと思った。発信に対して批判もあるけど、ガードしてくれる市民社会もある。戦争を起こすのもやめさせるのも、アメリカ。ベトナム戦争とか。世界を巻き込んでしまっているが、民主主義を70年しかしていない日本は学ぶべきところはある。対立し、背景の違う多民族多文化集団が民主主義の中でどうやって社会を発展させるのかという七転八倒してきた経験が、平準化してきた社会の中で、多様性とは言えない、単一的なバックグランドがある日本で民主主義をといっても育ち切ってないことも多かった。最近になって外国から日本にやってくる人が増えた。正社員主体からフリーランス、非正規、働き方も多様、結婚も多様、色んなことが多様。その中で物事を決めるのは大変だと実感し始めている。だからこそ、一元的なプロパガンダ的な情報に支配される社会よりも、情報の多様性のある社会がいいと思うから、メディア環境を多様化させましょうと、テレビ局、新聞社からだけのメディア環境じゃなくて、ここにいる人が発信して、それがちゃんと届くような。そういうことをやっています。

自分たちも、そこまで考えが及んでいない、こういうものなんだなと思ってしまうことが多い。そうじゃないよねと切り替えることはまだまだ難しい。さっきの、怖いけど、それを支えるという手段があると考えられない人も多いなと思う。

おそらく20年前だとこんなに、考えをクリアには僕も言えてない。失敗もたくさんあり、知見は広まり、こうかなと思った。さっきの若者とおじさんの違いは、時間軸の知見の蓄積の違いはある。若いからダメだとか、おじさんだからすごいではなく、上の世代と下の世代で知見を共有すればいい。

それができたらいいと思うが、今の若者はそれを信用したいと思っているのかという弊害はあると思う。

お気に入りの大人を見つけるといい。そういうことができる人と仲良くすればいい。だめだと思えば、去ればいい。よく職業の話を相談されることがある。ブラック企業の問題とか、会社を短い期間でやめるのはどうなんですかねとか、社会的には新卒で入って、1年で辞めましたとか、離職率が高いとか。とんでもない話として、出てくる。それならたんたんと頑張れる外国人の方がいいとか。知見の話でいうと、会社は変えてもいいけど、職業は変えないほうがいいよ。ゲーム会社入った。ブラックだったからやめた。だからといって、ゲーム業界ダメとなってほしくはない。合わない会社ならやめたほうがいいなと。自分の体の方が大切。でも業種をかえるのはどうか。職業を大切にすると、何がやりたいかを考えられる。
僕自身、働き方は変わったが、業が変わらない。同じ業を20年やっている。考えは深まっていった。チームを作りやすいなと感じる。
何かを成し遂げるためにチームを作るには、あなたが見たい未来を言語化、具体的にする必要がある。ハッピーとか、みんなが笑顔にとかもいいが、そのために例えば、稼ぐ力をみんなにつけてほしいとか。すると、稼ぐにはデザイン力を得ることが大事だから、そんなワークショップをしたい。そのためにこんなスキルを持った人が何人必要で、こんな場所が必要なんだ、というプレゼンができる。そこまで、プレゼンをすることが物事を成し遂げていく力。だからこそ発信力が必要。その発信力を身に着けるために、自分で世の中に対して発信してみる。世の中の見る目は厳しいから、鍛えられる。だからお勧めしている。自分が見たい未来がちゃんと伝えられるか試してみよう。そして伝えられるようなスキルを得ようという提言をしている。

今聞いていて、そんな力を4年間、6年間の在学期間で、大学生は養っていってもいい。今後のことを考えると力をつけたいと思った。まずは発信してみる。

あとコミュニケーションは他者だけじゃない。自分。自分とのコミュニケーション。自分は何がやりたいんだっけ。どんな理想があったんだっけ。なにが足りないんだっけ。自分との対話。それを大切にしてほしい。それが出来上がると、自分の見たい未来がわかる。あの時言ってたことできたよと言ってくれる自分が10年後にいたらいいな。じゃあそのために何しようかとか。意外にイメージ。もわっとしている。自分が大学の時は、就職活動が終わったころから、こーだよな、あーだよなと色々思っていた。それは今も変わらない。自分との対話をぜひしてほしい。コミュニケーションはすぐ、誰かとになる。自分としないと、良さをつたえられなかったりする。  

僕なりに大学生協の中で、頑張っているつもり。僕は会議で色々発言をするとき、発言できるのは、誰かが頷いてくれたり、目配りをしてくれるから。勇気が出る。Twitterのリツイートとかもそういうことだなと思った。

一回発信するとそのありがたみがわかる。自分の勇気があったから言えたのか、自分の勇気を支えてくれた人がいたから言えたのか。それを考えるだけでも岐路が違う。わがままな人になるか、人に感謝できるか、後者のほうがいいチームになる。空気悪い中で頑張った経験があるから、やったことがあるから、共感が広がる。やってないとわからない。それ、あなただからできたんじゃない?という人を支えたい。