片渕 須直 監督インタビューこの映画の「片隅」に込めた思い~描かれなかったいくつものこと~

分かり合う、分かち合う

健全な議論をしよう

『この世界の片隅に』の中のお母さんのセリフに、「戦争に行く人におおごとじゃ思えた頃が懐かしいねえ」というのがありました。やっぱり戦争ってこういう社会だったと思うのですよね。それに対して現代は、自分たちの声がちゃんと届く、民主主義の社会だと思うのですが、でもその中でなにか社会に声を出すとか、こうしたいなとか、これちょっと違うんじゃないかなというふうには、学生はなかなか言いづらい。学生が政治に関心を持つのはちょっとみたいな風潮が今あるかと思うのですが。

今の人はみんなけんかするのは嫌がるよね。言い争いするのは。それは確かに感じますね。

もちろん自分ごとにするというのも大事だと思うのですが、そこで社会の動きに関心を持って自分の意見を発信できるようにするためにはどういうことができるか、監督のお考えをお伺いできたらと思うのですが。

それは非常に難しい話ですよね。なぜならば、言い争いになったときに、どんどん不毛な気分を味わっていくからです。言い争いになっているようで、実は全然なっていなくて、すれ違いにすれ違いを重ねていくだけで。だから、初めに自分の意見をちゃんと描いていても、それをどこに持っていけばいいのか分からなくなってしまう。どんどん道から逸れていくような気がしてしまう。
今、SNS上で議論が始まっても、その議論が議論にならないみたいになったりしませんか。それが、議論としてきちんとできるなら、「ここまでは一致できるんだ、じゃあ、一致したところでどういう方向に進めばいいのか」というような、合理的に導かれる道を探すという道もあるのだけれど、最初からすれ違うことが前提になって、ネット上でけんかするというのもちょっとね。あれは本当に駄目ですよね。自分でもどうしていいか分からないのですが。でも当然それが理想的な姿ではないのだということは、自分の中にきちんと抱いていておいたほうがいいと思いますね。本当はこういうようななじり合いをしたいのではないのだと。ちゃんとした答えを出したいがために議論をすべきはずなのだと。
みんなが同じように答えを出したら、いつかはそれが大きな声になるかもしれない。みんなで共通して抱けるものというならね。例えばいろいろな思想的違いを超えて、そのうえで共通して認識できるものを提案することができたら、それはすごく威力のあるものだと思います。その前のところで、全然そういうものを導き出すために議論しているのではない場合は、それこそ我々は健全な民主主義からどんどん外れていっているのではないかという気がしますね。

分かり合うとか、分かち合うというところが少ないですよね。もう分からないからということ前提で。

相手のここまで分かる、というのが実は大事な話。相手のここまで分かるのだから、じゃあ自分もここまでは引くけれども、でも引いたところにこれが残って、これは向こうがもってくる話だろ、みたいなものが成立しないのが不思議だね。

難しいですよね。そこまで分かると認めたからといって、自分の主張がなくなるわけでも自分の存在が消えるわけでもないはずなのですけれど。

そうそう。初めからたたき合うことが目的化してしまっているのは、それは民主主義ではないということが分からないと。民主主義でも自由主義でもなく、自分たちのいるところを狭く、苦しいものにしていくだけなのじゃないかな。
良い答えをこちらも言うことができないのですけれども、でもこれはここだけはみんなで乗り越えたいなと思うところ、そこが着地点ですね。

根本は、まず知ること

大学生協もさまざまな活動で「知り、知らせ、考え、話し合い、行動する」という流れをすごく大事にしています。今の問題点を解決し、ちゃんとした議論にするためにも、根本はまず知ることから始めて、それを友達に知らせて、しっかり議論をし、相手のことが分かるように話し合ってそれを行動に結びつけるということが改めて大事なのだと思いました。

マウントを取らないことですね。

それは大事ですか?

大事ですよ。

必ずしも最初から頑張って知らないといけないわけではなくて、自分が意見を持ったときに、違う意見の人を認められるかどうか。「そうだよね」と言うことができるかどうか。話し合うということが前提にあって、知っている人や知らない人がいる中で、話し合いをしてお互いを知りたいと思い、相手のことをばかにしないとか、知ったことでマウントを取らないとか、そういったことが大事だと思います。

そう、“分かち合う”ってそういうことなのだろうな。それが自分たちでうまく実践できるかというと、そこまでの道のりがすごく遠大な気がして気が遠くなるのが、今の世の中の残念なところじゃないのかな。でも、そこは残念がらないで、いつかは意見の交換ができるところにたどり着きたいし、若い人にもたどり着いてほしいな、という気がしますね。何十年後になるか分からないという話ですよ、本当に。どんなに世の中に大きなことが起こっても、例えば今回のコロナのようなことが起こっても、全然変わらなかったものがある。例えば戦争みたいなことがこれから起こっても変わらないかもしれない。でもそこのところは変わっていってほしいですよね。答えが出せなくて申し訳ないのだけれど、でもなんとなくおぼろげに見えている道がそっちの方向で、それは地平線の向こうにあるみたいで、実はそこまで道がまだつながっていないのが本当に残念な気がします。

やっぱりそういうふうな道を作っていきたい人たちが集まって、少しずつ少しずつ描きながら次の人に引き渡していくしかないかなと、そんなふうに思いながら。

あとは、正しい本当の知識や知恵を身に付けるのを、恥ずかしがらないとか、てらわないとかということが大事なのではないかという気がしますね。ちゃんとそういうものが自分の中に沁み込んでいったときに自分の心の栄養になるのだなと思って。知識や知恵を得ることって、最終的には心を豊かにしてくれると思ったほうがいいですよ。