片渕 須直 監督インタビューこの映画の「片隅」に込めた思い~描かれなかったいくつものこと~

つながりの先にあるものを見る

大切なのは想像すること

監督が大学生時代に読んで衝撃を受けた本はありますか。今、大学生にこういう本を読んでほしいとか、こういう本を読んでこういう世界を見てほしいと思われる本を教えてください。僕は監督の『終わらない物語』という本が結構好きなのですが。

何か、書いてありましたか。

先ほどの話とも通じるところがあると思うのですが、人のことをきちんと見るとか工夫をするとか、そういうことが『終らない物語』には書かれていて、僕は勝手にメッセージとして受け取ったのですが。

それはおっしゃる通りだと思います。昔、『アリーテ姫』という映画を作りました。その時は、アリーテ姫は自分一人が救われるだけで精いっぱいだったのですよ。次は主人公を2人にしようと思ったのですが、その『アリーテ姫』を作りながら思ったのは、想像力が大事なのだとしたときに、想像力って“ありもしないものを思い浮かべる力”じゃないのではないだろうかということです。「一番想像力を働かせなければいけないのは、目の前にいる他人の心の中に何があるのかを想像することなのじゃないの?」と思っていました。それで次に『マイマイ新子と千年の魔法』という、想像力でお互いに相手のことをどう思っているのかが分かるようになる子どもたちの話を作ろうと思ったのです。じゃあ自分がそういうふうに行動ができてきたかというのはちょっと違うかもしれませんが、でも心構えとしてそうだったと思います。

僕は結構平和学習が好きなタイプなのですが、なんで好きなのかと考えると、平和学習をしていくと、ちゃんと人にたどりつくなあと気が付いたからです。
沖縄の糸満にある「ひめゆり平和記念資料館」では個人個人にスポットを当てて、その人が戦前、戦争になる前にどう生きていたかとか、戦争のときはこういうふうな亡くなり方をしてしまったとか、生き抜いてこういう人生をたどっていったというのが分かって、学んだあとに僕自身は人に優しくなれると思いました。それをいわゆる平和学習とするのであれば、僕はそれが結構好きだなあと思いました。監督のおっしゃった人の心を見るということに、すごく僕自身共感しています。人に焦点を合わせた監督の作品は多いなと思います。

そうなのですよ、アニメーションで何を作るかとは全然関係なく、自分にそういうものが流れていて、それを描くことで少しでも自分の気持ちが豊かになれればいいなと思って映画を作っていたりしますね。

人の心の底にある「小さな幸せ」を思いやる

先ほどの本の話、大学の頃ではありませんが、子どもの頃に割とませていたので、北杜夫の『楡家の人々』という小説を読んでいました。大正時代から終戦直後ぐらいまでのお話で、一家のいろいろな人が戦前戦中を通じてどう生き抜いたか、あるいは死んでしまったか。少しユーモラスなところもあるし、それを読んで、戦争ってこういうふうになるのだなと思ったのですが、そういうのが自分の中で『この世界の片隅に』に至る根本にあったりするわけです。
例えばその中で一人の登場人物が、その人は物語の冒頭ではただの子どもだったのですけれども、だんだん大きくなって、家が病院だったから陸軍の軍医になって、ウェーク島という島の守備隊に配属されます。ところがウェーク島ってアメリカ軍が上陸してこないのですよ。ひたすら放っておかれて、ひたすら食べるものがないのですよ。それで、その人が頭の中で食べ物のことを熱烈に想像します。どこの店の天ぷらとか、どこの店のステーキの脂身のところには辛子をつけてとか。戦争中のメニューではなくて、戦前のメニューを思い出しているから面白いなと思いました。そういうふつうにおいしものを食べていた人が戦争の飢餓の中に放り込まれて、食べるものがないなと言っているのだと思ったら。それまでの戦前の生活まで含めて感覚的にすごくよく分かる。
例えば、夏になると箱根の別荘に行く。上流階級なので別荘に行くのだけれど、箱根の登山鉄道の線路の鉄の匂いとか、あるいは鼻血が出たときに、母親が鼻血にはいいと言ってイチゴゼリーを作ってくれた。で、イチゴゼリーを弟に分けてあげない。イチゴゼリーの味が戦前を代表する人だっていたのだな、とかね。その人が同じように天ぷらとかステーキの脂身の話をしていて、お金持ちだからだろう、でもお金を持っていなくても、同じようにそうした小さな幸せを持っていただろう。そういうのはね、実は割と子どもの頃から親の本棚にあった本を読んでいたので、それが自分の中で時代を超えてもあまり変わらないなと考えることで、『この世界の片隅に』につながっていったのですね。

人の「小さな幸せ」じゃないですか。そういったものに気付き合えるといいなと思いました。

そうだね。その通りです。

それときっと、たたき合いの議論じゃなくするとか、分かり合える・分かち合うとか、目指したい共通の願いということで、みんなとつながっていけるような気がします。

このコロナ禍で外出もあまりできないようなところでどんな幸せがあるのか。自分にとっての幸せを見つけられるのか。逆にちょっとそんなチャレンジをしても面白いかと思います。あ、こんなところにあったのかと。普段だったらこんなところ、絶対に見なかったな、開けてびっくり。さっきのインターネットもそうですね、窓から見えるものだってそうです。普段は星とか見なかったよな、とかね。

スマホばっかり見ちゃう。夜、すれ違う時にもスマホを見ています。

夜道で手の平ばっかり光ってて(笑)。ああ、でもこんなことが世の中にあったのだと気が付けるいい機会が目の前に転がっているのだなと。与えられたと言われると嫌だけれど、目の前に転がっているのだなと思うと、ちょっと気持ちが変わるかもしれないしね。僕だってそうですよ。だから、そういう意味でいうと、コロナがなかったらこういう話を誰かと話すこともなかった。もっと違ったことを聞かれていたり、他のことを答えていたりしたかもしれない。戦争は、とかそういう話題になっていたと思います。

『あちこちのすずさん』の話もそうですけれど、最近、大学生協では高校生の方とも平和学習をして、本当に熱心に学びながら楽しみながらやっている人たちときちんとつながろうという話をしているのですが、何かそういう平和活動や人のことを知る活動をしている学生に対して、監督から改めてメッセージがあればぜひいただきたいのですが。

そうですね、本当にたくさんの人の体験談が世の中にあるのですが、そうした話で語られる戦争で大変だった時、一番苦しいピークを味わったときではないときにこの人は何をしていたのか、ということに興味をさらに持っていくといいのではないかと思います。すごく大変なことに陥ってしまった、味わってしまった、苛められてしまったという人は当然いて、そういう人の話はよく耳にするのですが、それまでにこの人は何をやっていたのかとか、そんな中でこの人の小さな幸せってどんなことだったのだろうかとかいうところに展開していくといいと思います。それは語られなかった部分かもしれないし、穴になって開いたままになっているかもしれませんが、そういうふうに持っていくといいと思います。大変だったけど、こんなに痛ましいことになるまでは普通だったはずで、その普通ってなんなのだろうなというところですね。それを理解してはじめて「戦争が何を損なっていったのか」わかる。

小学校から高校・大学までの過程で学んでいるはずのこと、例えば大正時代ってこういう暮らしをしていたよねとかあったはずだったのですけれど、そこが結構抜け落ちるというか。

つながっているはずですね。特に戦争中って話が出たとたんに明治とか大正とか全然関係なくて、戦争中という時代は独立して存在しているように思ってしまう。ある人が、戦争中に亡くなった兵隊さんの名前を見ていたら、名前の付け方で「ああ、この人たちはみんな大正デモクラシーの時代に生まれた子どもたちなのだな」と分かると言うのですね。“健康”とか、それに関する漢字が名前に入っている。“勇ましさ”が入ってくるのは、むしろ戦争中の子どもたちです。戦争中に二十歳ぐらいだった人たちは本当に大正デモクラシーの真ん中に生まれているから、むしろ自由な感じの字が名前に乗っていたりする。そういうことに気が付いた人がいたのです。
僕の知り合いでいうと、この間亡くなったアニメーターの大塚康生さん。「健康に生きる」って。それから、一緒に仕事をしていた高畑勲さん。宮崎駿さんとか昭和10年代の生まれだと、急に勇ましい名前になるのですね。でも、大塚康生さんは昭和6年で、それこそ日本が戦争に入っていく入口付近、まだ入っていないところで生まれている。そうしたら、健康に生きるということが願われた名前なのですよ。でも、本当に戦争中に兵隊になって戦死していった人たちは、それよりももっと前の人たちですからね。大正デモクラシーというのはどれくらいのものなのかというのは、もう今日は時間がないから、ちょっと置いといて、そういうような時代からほんの一世代分世の中が進んだら、みんなで知らなければいけない時代に変わってしまっていた。そういうお話です。

本日はお忙しい中、貴重なお話を伺いましてありがとうございました。

2021年4月12日
片渕監須直督杉並区事務所にて

PROFILE

片渕 須直(かたぶち すなお)

1960年、大阪府枚方市生まれ。日本のアニメーション映画監督、脚本家。日本大学芸術学部映画学科在学中より宮崎駿監督作品に脚本家として参加。89年、『魔女の宅急便』で演出補を務める。TVシリーズでは『名犬ラッシー』、『BLACK LAGOON』などで脚本・監督を務め、劇場用映画としては2001年に『アリーテ姫』にて長編映画を初監督。以後は監督作として09年、山口県防府市に暮らす少女・新子の物語を描いた長編映画『マイマイ新子と千年の魔法』は異例のロングラン上映となる。16年、広島・呉を舞台にした長編映画『この世界の片隅に』を公開すると幅広い世代に大きな反響を呼び、日本アカデミー賞《最優秀アニメーション作品賞》、アヌシー国際アニメーション映画祭 長編部門《審査員賞》を受賞するなど、国内外で高い評価を得て数々の映画作品賞・監督賞を受賞する。その後は、あらためて別作品として作られた『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』(2019)も、現在公開中です。日本大学芸術学部映画学科特任教授。

アニメーション映画『この世界の片隅に』(2016)、『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』(2019)
同名漫画を原作とする、片渕須直監督・脚本の長編アニメーション映画。2016年公開。昭和19年(1944年)に広島市江波から呉に18歳で嫁いだ主人公すずが、戦時下の困難の中にあっても豊かに生きる姿を描く。
2016年11月12日に日本国内63館で封切られた後、公開規模を累計484館(2019年10月31日時点)まで拡大し、2019年12月19日まで1133日連続でロングラン上映された。累計動員数210万人。公共ホールなど約450の会場で上映会が行われ、海外では世界60以上の国と地域で上映される。制作資金をクラウドファンディングで一般から調達したことでも知られる。
第90回キネマ旬報ベスト・テン日本映画第1位、第40回日本アカデミー賞最優秀アニメーション作品賞、第41回アヌシー国際アニメーション映画祭長編部門審査員賞、第21回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞などを受賞。片渕監督は、第90回キネマ旬報ベスト・テン日本映画監督賞、第59回ブルーリボン賞監督賞、第67回芸術選奨文部科学大臣賞などを受賞。またチームとして第65回菊池寛賞を受賞した。

※現在、新たなエピソードを加え新作となった『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』(2019)が公開中。