小島 よしお 氏 インタビュー

小島よしおさんと言えば、「そんなの関係ねぇ」からの「オッパッピー」でネタを締めくくる、水着で元気なイメージを皆さん思い浮かべるのではないでしょうか。
近年はYouTubeやライブで特に子供たちに大人気ですが、今回は活動の根底にある想い、私たちが協同組合の取り組みを広げる上でのアドバイスや考え方など、さまざまなお話を伺うことができました。
大人と比べると子供たちは素直で正直ですが、その子供たちに圧倒的な支持を得る、小島さんのお人柄を垣間見ることができるインタビューとなりました。

インタビュイー

小島 よしお 氏
プロフィール

聞き手

全国大学生協連
全国学生委員会 委員長

髙須 啓太

(司会/進行)

全国大学生協連
全国学生委員会 副委員長

瀬川 大輔

全国大学生協連
全国学生委員会

藤島 凛香

(以下、敬称を省略させていただきます)

自己紹介とこのインタビューの趣旨

本日はお時間をいただき、ありがとうございます。
私は昨年の春に岐阜大学を卒業し、現在は全国学生委員会で学生委員長をしております、高須啓太と言います。よろしくお願いします。

私は2年前に北海道にある北星学園大学を卒業した、副学生委員長の瀬川大輔と申します。
小さい頃から小島よしおさんの大ファンで、よく「おっぱっぴー」のものまねをしていましたので、今日のインタビューをとても楽しみにしていました。よろしくお願いいたします。

私も全国学生委員会で活動をしております、藤島凛香と申します。
今年の春に宮城県にある東北学院大学を卒業しました。

小島よしおさんはお笑い芸人をされながらも、YouTubeの「おっぱっぴー小学校」で子供向けの教育動画を発信される等、さまざまな活躍をされています。YouTubeで「(※1)賀川豊彦記念松沢資料館」を訪問し、資料館の見学やクイズを通して賀川豊彦に親近感を持ち「背中を押されている」「賀川豊彦の存在をもっと広めたい」と言われているのを拝見して、ぜひインタビューをお願いしたいと思いました。

2025年は国連が指定した国際協同組合年であり、協同組合の価値を再確認しようという年でもありますので、小島さんが感じられている賀川豊彦の魅力、協同やボランティアに対する想いなどについても、詳しくお話をお聞きできたらと思います。

(※1)賀川豊彦記念松沢資料館
https://www.t-kagawa.or.jp/

小島よしおです。早稲田大学出身で、今はお笑い芸人をしています。
元々は大学のサークル出身の「WAGE」という5人組で活動をしていましたが、18年前に解散して、今はピン芸人として活動しています。代表的なギャグは「そんなの関係ねぇ」や「オッパッピー」などを水着のスタイルでやらせてもらっていて、今は子供向けの活動を中心に、全国各地のイベント、ショッピングモールやハウジングセンターなどの家族が集まるようなイベントの出演や、お悩み相談の連載や、JA系の『ちゃぐりん』という子供向けの食の応援雑誌で「小島よしおの産地へGO!GO!」という連載の中で、全国各地の農家さんにお邪魔して収穫体験をして、農業の楽しさを教えるような活動をしています。

早稲田大学在学時

生協食堂での思い出

早稲田大学在学中に大学生協の食堂や購買を利用された思い出や、大学生協の印象などはございますか。

とにかく、人で溢れていましたね。私は人混みがあまり好きではないので、混み合う時間を外して利用していた思い出があります。あとは安くて美味しいという印象と、「WAGE」の打ち合わせを文キャン(戸山キャンパス)の学食でしていたので、飲み物やちょっとしたスイーツで、結構な時間を新ネタの会議で利用した場所でしたね。

大学生協の食堂で小島さんが食事をしたり、コミュニケーションを取られていたりしたと思うと、関係者としてすごく嬉しく思います。

私がいた時に比べると、今の文キャンの建物や施設はかなり新しくなっていますよね。

学生時代を振り返って

早稲田大学での学生生活を振り返られて、どのような学生でしたか。

学生時代にお笑いの活動を始めていて、「WAGE」がアミューズという事務所にも所属していたので、なんだか調子に乗っていました。もう芸能人気取りで、早く学校をやめて活動をしたいと思っていたので、今考えると生意気な学生でしたね。
当時は人もキャンパスも、すごく活気があったなと思います。活気に満ちて、みんなフワフワしている感じだったから、そんな自分もあまり浮いた存在ではなかった気がします。
国文学科でしたが、今になって改めて『古事記』や『日本書紀』や『万葉集』の本を買って読んでいて、当時はそれを授業でやってくれていたのに、聞かずにネタを書いたりしていたんですよ。そのネタも全然面白くないし、授業をきちんと受けるべきでしたね。

現在は「おっぱっぴーチャンネル」で、子供向けに算数などの授業を中心に発信をされたり、賀川豊彦の考えに賛同されたりしていますが、学生時代から教育関係を学ぶ、ボランティア活動をする等、今につながる大学生活を送られていましたか。

恥ずかしながらそういう活動は何もせず、どうやって有名になるかとか、もう本当に自分のことしか考えてなかったですね。

実際に転機になったきっかけ、その想いはどこから生じたものなのでしょうか。

コロナ禍に子供向けの動画を撮り始めるといろいろな取材を受けるようになって、知らなかったことをいろいろと知って、格好よく言うと運命が導いてくれたみたいな感じですかね。今年の東京マラソンはゴールドリボン・ネットワークのチャリティ・アンバサダーとして、小児がんの子供たちを応援するために走りましたが、それも昨年に知り合いが声をかけてくれたことがきっかけでした。

若い時は自分のことしか見えてなくて、自分の目標を達成することにしか気が回っていなかったですけど、年齢を重ねて自分にある程度余裕ができてくると、徐々に周りが見えてきて周りの声に耳を傾けることができるようになってきました。昔からあった声にようやく耳を傾けられるようになったというか、それを知り興味を持って、自分も何かできないか考えられるようになりました。

例えば器があって、それを自分だとすると、自分の枯渇していたものが満たされて溢れ出し、その周りの器も満たしていくようなイメージですね、今は。だから瀬川君たちみたいに、若い時から協同組合的な考え方ができているのはすごいことだし、人生何回目なんだろうと思いますよ。

実際に私も協同組合に関わる前は、同じように自分のことしか考えられていませんでしたが、学生委員会の活動を通して、自分も含めた周りの人の生活をより良くすることについて考えるようになりました。お話を聞いて、それは私にとってすごく大きなことだったんだと実感しました。